巨勢の道      2010年03月14日


 稲の神として古くから信仰されている葛木坐御歳神社(左)

 巨勢の道の散策は近鉄吉野線葛駅からスタート。
 葛駅前の葛タクシーに乗車して、巨勢の道の小道を走り、説明して頂ながら船宿寺へ向かう。  花とサツキの寺として有名な船宿寺は「関西花の寺第二十二番」になっている。  船宿寺は725年に行基によって開かれたと言われている。
 舟岡山新四国八十八ヶ所霊場や焼け地蔵を見ながら、葛木(坐)御歳神社に向かう。  葛木御歳神社は葛城・金剛山の東、葛城氏・鴨氏の本拠地にある。  鳥居を潜って境内に入ると、ユーモラスな狛犬と御神木の杉の巨木が出迎えてくれる。
 中鴨神社とも云われ、鴨一族が祭事を執り行ってきたことを示している。  参拝後、宮司さんとお話をする、御歳神へのお供え物である鏡餅は御歳魂と呼ばれ、お年玉の起源だと云う。
葛木坐御歳神社          地図の中央赤い「+」印が神社の場所です               <奈良県御所市大字栗坂にて>
   船宿寺から葛木坐御歳神社までの風景を、  下記の「船宿寺から葛木坐御歳神社」のボタンをクリックして、43枚の写真でご覧ください。


 万葉の寺として知られている阿吽寺(左)

 葛木坐御歳神社を出て、小殿の住宅街に入り、ミニ公園の右を西に向かうと栗坂峠に出る。
 峠からは、右手に葛城山、左手には金剛山が遠望できる。  栗坂峠から朝町川沿いの旧道を下ると、軒先に、見事な枝垂れ梅、杏、椿などの花が目に付く。
 右手にある杏の花に見とれていたら、その木を接ぎ木して育てたと云う翁が現れて、周りの花の木を説明してくれる。  その翁の特に自慢なものは、特別の花を咲かせる椿だと云う。 木から花をもぎ取って見せて呉れる。
 唐笠山の中腹にある大穴持神社、ユニークな仁王像がある八紘寺、蝦夷の墓と云われる水泥南古墳、引合餅神事の川合八幡神社 などを巡り、万葉の寺として知られている阿吽寺に到着。  持統天皇紀伊行幸時に、阿吽寺に立ち寄ったとき、坂門人足が巨勢山の椿を詠った歌が万葉集に載っている。
 先日、飛鳥散策時に立ち寄った万葉文化館で、持統天皇三河行幸時に、 高市黒人が安礼の崎を詠んだ歌が、三河の国を代表する 万葉の歌として紹介されていたが、帰宅後、万葉集を開いたら、三河行幸の直ぐ前の段に、紀伊行幸の歌が載っていた。
今回は、偶々、非公開である阿吽寺の十一面観音を拝観できる幸運に恵まれた。

阿吽寺          地図の中央赤い「+」印が神社の場所です               <奈良県御所市大字古瀬にて>
   栗坂峠から阿吽寺までの風景を、  下記の「栗坂峠から阿吽寺」のボタンをクリックして、46枚の写真でご覧ください。


 聖徳太子建立の葛城寺とも考えられている安楽寺(左)

 阿吽寺を出て、正福寺の前を過ぎ、巨勢寺塔跡へ。
 椿の花が咲いている丘の上に、大日堂と「史蹟巨勢寺塔阯」の文字が見える石碑がある。  円柱の穴があり、当時は大きな五重塔が建っていたと思われる。
 重信院の横の石段を登ると、天ノ安川神社があり、境内には権現堂古墳ある。  石棺内部に石枕を取り付けた、珍しい石枕式石棺である。
 葛の里まで戻り、安楽寺へ。 この辺りには、地名から大伽藍があったことが推測される。  縁起によると、葛城寺貞心院は聖徳太子の創建、四十六院の随一で八大伽藍として栄えたとある。
 葛城寺の塔であった安楽寺塔婆は、国の重要文化財に指定されている。
 安楽寺の奥に御霊神社がある。  巨勢の道散策で最後に訪れたのは、安楽寺の奥にある径約25mの円墳である新宮山古墳。  巨勢氏の本拠地巨勢の近くにあり、今後の解明が期待される。
 帰路では、悪政の1000円割引の煉獄渋滞に嵌り、往路15分の道を復路2時間半もかかる。
安楽寺          地図の中央赤い「+」印が安楽寺の場所です               <奈良県御所市大字稲宿にて>
   史蹟巨勢寺塔阯から新宮山古墳までの風景を、  下記の「史蹟巨勢寺塔阯から新宮山古墳」のボタンをクリックして、31枚の写真でご覧ください。

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