玉城町を歩く        2005年3月2日


 1.玉城町の紹介

 のどかな伊勢平野に広がる玉城町は人口15,000人の町で、三本の街道が合流する旧城下町である。  朝日新聞の創業者である村山龍平氏の生誕地でもある。  現在の田丸城跡があるその丘は、かつて玉丸城と呼ばれ、多くの武将たちが悲運の運命をとげた場所である。  1342年、南朝北畠氏と北朝足利氏の戦。1532年、下剋上風潮の高まりによる一揆。  そして1580年、ついに織田信長の進攻により田丸城は炎上。  一方、京の都と伊勢を結ぶ初瀬街道、熊野と伊勢を結ぶ熊野街道が落ち合う場所として、  また合戦の後は参宮の宿場町として玉城一帯は旺盛を極めた。
 玉城町は、各時代の遺跡がたくさん発掘されており、歴史の古いまちである。  皇大神宮(伊勢神宮内宮)の鎮座と共に神領となり、倭姫命に随行して皇大神宮の祢宜と  なった荒木田氏により開拓されたと伝えられていまる。  このことから町内には神宮の摂社・末社が11もあり、神宮との関わりが深い町であったことが分かります

 2.玉城町の名所旧跡

 廣秦寺    田丸神社    田宮寺    村山龍平記念館    田丸城趾

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 引用資料 旅くらぶ三重(伊勢志摩編集室) 三重県の歴史散歩(山川出版社) 玉城町のホームページ



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