観音山(580m)
2006年1月8日
富士見峠から富士山を望む(左) 観音山山頂にて(右)
年末に富士山を見るために、愛知県と静岡県の県境に横たわる湖西連峰に登ったが、
生憎、富士を見ることは出来なかった。
今日も晴天で風が強く富士見日和と家を出る。
国道257号線から県道47号引佐六郎沢線を経由して、県道359号長沢田沢線に入る。
登山口の中代(ナカシロ)峠へはいなさ湖畔から少年自然の家経由で峠に向かう道が広そうだが、県道359線を峠まで走る。
峠までの舗装道路は擦れ違いが困難な車幅で、やたらと「凍結注意」の標識が目に付いたが、少年自然の家の私道は通行止になっていて、
結果的には正解であった。
車が一台も見当たらない標高461mの「中代峠」に駐車して、観音山放牧場内の道をユニークな建物のトイレがある「ほうろく峠」まで歩く。
左手の峰の向こうに、富士山が頭を覗かせ、次第に姿を現す。
ほうろく峠から登山道に入る。
登山道に鉄塔のあるピークの展望台があり、西に富幕山が見える。
次の「ごろはち展望台」からは遠州灘を背景に広がる浜松市内が遠望できる。
通行止めになっている少年自然の家に下る道を横切ると、富士見峠がある。
ここからの富士山の眺めは素晴らしい。
三角点のある527mのピークを越えて、春にはマンサクが咲く「まんさく峠」を過ぎると、清水寺観音堂がある。
観音堂は執金坊が開いたと伝えられ、江戸時代には引佐33霊場の一つとしてお参りされた。
昭和35年まで管理人が住んでいたと言う。
更に東に尾根を進むと、標高580mの観音山山頂に着く。
山頂からは左にアクトタワー、右にはいなさ湖越に、
先日登頂した三岳山が見える。
更に東に富士見展望台の案内板があり、展望台まで行ってみると、正面に富士山が見える。
残念ながら、この時間になると、富士山は雲に覆われ、僅かに山頂が見えるだけであった。
帰りは往路を戻ったが、「ほうろく峠」から牧場内の道を避けて登山道を直行したら、養豚場に出てしまった。
用意してきた、地形図とコンパスを頼りに中代峠まで戻る。
観音山 地図の中央「+」印が山頂の場所です
<静岡県浜松市>
宮城谷昌光の「古城の風景」 C 野田城址
野田城址に立つ城址の石碑(左) 林の中に雑草だけが生い茂る野田城址(右)
観音山登頂の帰りに、宮城谷昌光の「古城の風景」に記載されている野田城址に寄って見ることにする。
かなり以前に訪れたことはあるが、未整備な城址にがっかりした記憶があるが、現在はどんな風になっているのだろうと期待する。
カーナビで調べても、野田城址の場所が分からない。
兎に角、飯田線に野田城駅があるので、その近くだろう、駅に行けば案内板があるだろうと行って見たら、案内板一つ無い。
再度、カーナビで位置を確認し現地に向かう。
丘状の野田城址は直ぐ分かったが、周りを一回りしても、駐車場は愚か、入口も広場も無い。
道の脇に、案内板があり、「野田城は1508年に築城され、菅沼定則、菅沼定村、菅沼定盈等がここを居城とした。
戦国時代、今川、武田、徳川などによって幾度も争奪戦が繰り返され、天正18年定盈が関東へ移封されるまで続いた。」とある。
掲示板の横に寂びた石段があり、城址の中に入ってみると、中央に野田城稲荷が祀られている。
周りは、林の中に雑草が生い茂っていて、人が立ち入った形跡は全く無い。
稲荷神社への参道を下り石段を降りると、小さな鳥居があり民家の裏庭から道路に出る。
道路わきには何の標識も無く、これでは、野田城址を訪れる人は無いだろう。
現在も、名が知られている割には全く未整備の寂しい城址であった。
野田城址 地図の中央「+」印が城址の場所です
<愛知県新城市>
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