石巻山(358m)と嵩山の浅間山(370m)
2005年12月29日
岩がゴツゴツした石巻山山頂(左) 石巻山城跡の石碑(右)
年末の多忙の時期ではあるが、上天気なので近くの山歩きに、家を出る。
車窓からは、薄霞の向こうに白い雪を被った御嶽山も認められる。
今日は風もあるので、湖西連峰の富士見岩から富士山が見えるかもと、
湖西連峰の登山口でもある石巻山の駐車場へ。
石巻神社の上社に参拝後、石巻山山頂へ。
登山道には、神様のお使いの大蛇が住んでいたと言う「石巻の蛇穴」や巨人ダイダラボッチの足跡がある。
低山にも拘わらず、鉄梯子や鎖があり、間もなく、石灰岩の風化によりゴツゴツした山頂に到着。
石巻山山頂から尾根伝いに湖西連峰を目指すも登山道は見当たらないので、
一旦下り、中腹で湖西連峰の方向に延びる山道を進むと、ロッククライミング場に出る。
数人の若者達がオーバーハングした岩壁を這い登っていた。
登山道はここで行き止まりになっているので、石巻神社の奥社を経由して
駐車場近くの観光車道と名付けられた石巻山自然歩道まで戻り、
車が走るその林道を進むと、通行止めの柵があり、歩行者も通行禁止と明示されている。
通行禁止の理由も禁止の期間も明示されていない。
このような場合は、実際には工事中止で通行可のような「いい加減」な場合が多い。
石巻山方面から湖西連峰に向かうには、この道しかなく、通行止めならば駐車場まで引き帰すしかなかった。
石巻神社の石段の横に石巻山城跡の石碑が建っていた。
宮城谷昌光の「古城の風景」で取り上げられた「石巻山城」の跡である。
本に寄れば、伝承によると南北朝期の創建で、1506年頃の史料である「本間宗季軍状」に石巻城の攻防が記されている。
駐車場に戻ったものの、未だ昼であり、このまま帰るのは勿体無いので、本坂峠経由で富士見岩を目指すことにする。
石巻山 地図の中央「+」印が山頂の場所です
<愛知県豊橋市石巻町>
宮城谷昌光の「古城の風景」 @ 宇利城 2005年2月23日
湖西連峰のピーク山頂に建つ浅間神社(左) 湖西連峰の稜線から浜名湖を望む(右)
石巻山登頂後、国道362号まで戻り本坂峠へ。
本坂トンネル前の姫街道の分岐点で旧国道に入るも、県境にはトンネルがあり、
湖西連峰の稜線に出る登山口は見当たらない。
仕方がないので、旧国道を戻り、姫街道を横切ると石段があり浅間神社への標識がある。
石段を登ると、嵩山自然歩道と名付けられた登山道が続いていて、
稜線までに3つの浅間神社があり、稜線から富士見岩に行けそうである。
石段を登ると直ぐに、足浅間の富士社があり、木花之佐久夜姫命(コノハナノサクウヤヒメのミコト)の伯母で、
足の神様である速秋津比売命(ハヤアキツヒメノミコト)が祀られている。
中腹の腹浅間の原川社には、安産など腹の神様である富士山の神の木花之佐久夜姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)が祀られいる。
腹浅間から可也きつい急坂を登り稜線にでると、標高370mのピークの山頂に頭浅間の大山社がある。
地形図にはピークの名前が付いてないが、後で調べたら地元では、「嵩山の浅間山」と呼んでいるようだ。
その社には、木花之佐久夜姫命の父で、頭の神様である大山祇命(オオヤマズミノミコト)が祀られている。
山頂は樹木に囲まれて視界は全く利かないが、隣のピークの富士見岩からは富士山が見えるので、この頭浅間の大山社からも、
以前は富士山が見えたから、浅間神社が祀られただろうと納得した。
稜線を富士見岩に向かうと、登山者が来たので富士山は見えましたかと尋ねると、残念ながら今日は見えないとの
返事でした。
日も西に傾いたので、湖面が輝く浜名湖の展望を眺めて、来た嵩山自然歩道を戻る。
嵩山の浅間山 地図の中央「+」印が山頂の場所です
<静岡県浜松市三ヶ日町>