宇利城趾
2005年2月23日
山城の宇利城趾(左)
宇利城趾碑(右)
私と同郷の蒲郡出身である小説家の宮城谷昌光氏が昨年末に発刊した「古城の風景1」に、
「宇利城の主が熊谷直実の裔孫で・・・、私が通った豊橋の学校の校長は熊谷先生であった。」
との文に触れ、あの話がナガーくて有名な、私と同じ熊谷校長先生であったかと近親感を持ち、宇利城趾に
寄った次第である。
宇利城は文明年間(1469〜87)に熊谷直実により創建された。
戦国時代には宇利城主は熊谷実長であった。 1530年11月4日、家康の祖父松平清康は
三千余りの軍勢を率いて、東三河を目指して岡崎を出発した。
清康は東三河を手に入れようとしが、熊谷実長が従わなかったため、宇利城に向けて
攻撃を開始した。
宇利城は三方を山に囲まれた天然の要害に築かれているため、清康は苦戦したが、
城内の松平方に通じた岩瀬庄右衛門が城に火を付けたため、城主実長は裏山伝いに
落ち延びていったと言う。
宇利城趾 地図の中央「+」印が城趾の場所です
<愛知県新城市にて>