サント・ペテルブルグ市内観光    2001年8月10日


 宮殿広場にて、エルミタージュ宮殿を背景に(左)

 ロシアでの最初の朝をサント・ペテルブルグのホテル・サント・ペテルブルグで迎える。  ホテルはネヴァ川と大ネフカ川の合流点の東北にある。  部屋からは、ネヴァ川の対岸にある、夏の宮殿の「夏の庭園」の森が見え、その右側がマルス広場である。  大ネフカ川の河口には、巡洋艦「オーロラ号」が浮かんでいる。  この船は、ロシア革命の始まりを合図して冬宮に向けて発砲した巡洋艦である。  昨晩深夜にホテルに着き、簡単な夕食だったので、朝食のバイキングでやっと空腹を満たす。
 ホテルを出て、市内観光に出発、最初はネヴァ川の左岸、帝政時代に練兵場があった「マルス広場」へ。  マルス広場からは、スパース・ナ・グラヴィー聖堂が見える、 左に広がる森にはピョートル大帝が1714年に住まいを移した夏の宮殿がある。  スパース・ナ・クラヴィー聖堂は地の上の救世主の聖堂で、別名「キリスト復活教会」と呼ばれている。
 マルス広場からモイカ川と名付けられた運河の右岸沿いのリモ・モイキ通りを西に歩く。  川の向こうに玉葱頭のキリスト復活教会がみえる。  モシュコフ通りの橋を過ぎ、ジムネイ・カナフキ通りからミルリオンナヤ通りへ左折すると右手に新エルミタージュ美術館がある。  その向こうに小エルミタージュ、冬の宮殿と続く。
 高さ47.5mのアレクサンドルの円柱が立つ宮殿広場へ。  右手にエルミタージュ国立美術館、左手に旧参謀本部の建物がある。  国立美術館である冬宮の右には小エルミタージュが続く。  エルミタージュ美術館は歴代皇帝の住まいであった「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれている。  宮殿広場の南には、壮大な参謀本部の建物があり、建物の中央には、馬に引かれた馬車に乗った勝利の女神の像が立つ凱旋アーチがある。  勝利の女神の像は、ロシア人が祖国戦争と呼ぶ、対ナポレオン戦争の勝利を記念して立てられたものである。
 宮殿広場  地図の中央が宮殿広場です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 宮殿広場の風景を、  下記の「宮殿広場」のボタンをクリックして、32枚の写真でご覧ください。


 ペトロパヴロフスク要塞にあるペトロパーヴロフスク聖堂(右)

 宮殿広場の次は兎島にある「ペトロパーヴロフスク要塞」へ。  クロンヴェルク運河を渡って兎島の城壁門を潜り要塞内に入ると、右手に造幣局の建物、左手にペトロパヴロフスク聖堂がある。  造幣局はペテルブルグで最も古い工業企業の一つで、古典主義様式時代の記念建築物の傑作で、 現在も少額貨幣と勲章、メダル、胸章が鋳造されている。
 聖堂の南には、要塞司令官邸があり、メモリアルホールになっている。  要塞の中央には、キリストの使途ペテロとパプロを記念したペテロパヴロフスク聖堂がある。  聖堂は現在、ロシア歴代皇帝の霊廟であり、戦功を称えたメモリアルになっている。  聖堂には、サント・ペテルブルグで最も高い鐘楼の突塔が聳えていて、先端には、十字架を持つ天使の像が乗せられている。
 聖堂内の空間は三つの広い内陣に分かれていて、聖像壇には、 パスペーロフとプロトポーポフが画いた43点のイコンが収められている。  1918年にボリシェビキに銃殺された皇帝ニコライ二世と家族たちなど、 ロシアの皇帝とロマノフ家の人々が葬られ。現在、32基の墓碑がある。  聖堂を出て、次の目的地のイサク聖堂に向う。
 ペトロパヴロフスク要塞  地図の中央がペトロパヴロフスク要塞です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 ペトロパヴロフスク要塞の風景を、  下記の「ペトロパヴロフスク要塞」のボタンをクリックして、25枚の写真でご覧ください。


 金色のドームがシンボルのイサク寺院は世界で3番目に大きな聖堂(左)

 ペトロパーヴロフスク要塞から、 ネヴァ川に架かるブラゴヴェシェンスキー橋を渡って、コンノグヴァルディスキー通りへ。  通りの南側にそって、両脇に並み木が並んだ遊歩道があり、イサク聖堂へと続いている。  途中で、ザミャチン通りの所で、通りに面した建物のお土産屋に入る。
 お土産屋を出て、ネヴァ川の左岸にある英国河岸通りに出ると対岸に「メンシコフ邸博物館」、 その左には、「芸術アカデミー」の建物が見える。  セナツカヤ広場通りとアドミラルティスキー通りの交差点に出ると、イサク寺院が目の前に。  バス専用駐車場は観光客で溢れている。 広場でも、寺院への入場待ちの人の列でごった返している。
 イサク寺院は、世界で3番目に大きな聖堂で1万4千人を収容できる。  聖堂を見学後、外に出て、旧海軍省大通りから海軍省の72mの突塔を持つ凱旋門を望む。  イサク聖堂からクルーズ船乗り場に向かう。  エルミタージュ宮殿の前の宮殿海岸通りにある遊覧船乗り場から、遊覧船の乗船する。
 イサク聖堂  地図の中央がイサク聖堂です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 イサク聖堂を、  下記の「イサク聖堂」のボタンをクリックして、24枚の写真でご覧ください。


 ペトロパヴロフスク要塞がある兎島を望む(右)

 エルミタージュ劇場の前にある桟橋に 横付けされている遊覧船に乗り「大ネヴァ川クルーズ」へ出発する。  サンクト・ペテルブルグの街は、ロシアの真珠であり、北のベニスと云われている。  遊覧船ではコンサートが行われ、ロシア民族舞踊が披露される。  コンサート開始、シャンパン・キャビア付の演奏は、クルーズが終了するまで続く。
 ネヴァ川の対岸には、旧取引所広場、その右に小ネヴァ川に架かる旧取引所橋、 その右にミトニンスカヤ通りに面した街並みが見える。  小ネヴァ川の東には、先ほど訪れたペテロパヴロ要塞の突塔が見える。  トロイツキー橋を潜ると、左手にピョートル小屋がある森が見える。  橋を南へ渡ると奥にマルス広場がある。
 橋が後方に遠のくと、夏の庭園の森が見えてきた。  リチェイヌイ橋を潜りネヴァ川の上流へ。  橋を通り過ぎると、ネヴァ川右岸にレニナ広場がある。  ネヴァ川に架かるリチェイニ橋の左岸上流にあるロペスビエラ通りの街並みや  右岸上流にあるアルセナリナヤ通りの街並みが見える。
 右岸のスヴェルドロフスカヤ通り辺りでネヴァ川は右に大きく曲がる。  前方に、アーチ型のボリシェオフチンスキー橋が見えてきた。  全長334mの中央が開く跳ね橋でピョートル大帝橋と呼ばれていた。  遊覧船は、橋の手前でUターンする。
 ネヴァ川左岸の森の中にスモーリヌイ修道院が見える。  遊覧船は左に90度旋回して、ネヴァ川を下る。  ネヴァ川左岸のロベスピエラ通りの街並みを眺めながら西に進む。  リチェイニ橋が見えてきた、橋で河岸の通りは、ロベスピエラ通りからクトゥゾヴァ通りに替わる。  橋を潜ると、トロイツキー橋が近づいてきた、右手にペテロパヴロフスク要塞が見える。  ネヴァ川左岸のクトゥゾヴァ通りの街並みを見ながら下流へ。  再び、巡洋船「オーロラ」やホテル・サンクト・ペテルブルグが見え、 トロイツキー橋が近づいてきた、右手にペテロパヴロフスク要塞が見える。
 ペトロパヴロフスク要塞  地図の中央がペトロパヴロフスク要塞です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 大ネヴァ川クルーズの上流での風景を、  下記の「大ネヴァ川クルーズの上流」のボタンをクリックして、39枚の写真でご覧ください。


 宮殿橋の右岸下流にある人類学・民俗学博物館(左)

 遊覧船がトロツキー橋が近づくと左手にマルス広場が見える。  橋を潜ると前方に宮殿橋が、後方にリチェイヌイ橋が見える。  左手には、サーヤチ(兎)島にあるペテロバヴロフクス聖堂の突塔が目立つ。  島の左手に、大ネフカ川に架かる旧取引所橋が見え、大ネヴァ川と小ねヴァ川の間に旧取引所広場がある。  広場には、高さ32mの2本の海戦勝利記念柱が立っていて、 海軍中央博物館になっている旧商品取引所の建物もある。
 左岸には、新エルミタージュ宮殿、小エルミタージュ宮殿、エルミタージュの冬の宮殿と並んでいる。  宮殿橋が近づいてきた、橋の左岸下流の黄色い建物が旧海軍省である。  海戦勝利記念柱のロストラ柱を見ながら宮殿橋を潜る。  宮殿橋の右岸下流には人類学・民俗学博物館がある。  大ネヴァ川左岸に建つ旧海軍省の後にイサク聖堂のドームが見える。  人類学・民俗学博物館、左に、科学アカデミーの建物が続く。  大ネヴァ川の下流に架かるシュミット中尉橋が見えてきた。  右手前方に、ロシア帝国美術アカデミーが母体になった、サンクト・ペテルブルグ美術大学の建物が見える。  遊覧船はシュミット中尉橋の前でUターンする。
 再び、イサク広場の前を通過、広場には車が満杯で、河岸には船着場がある。  旧海軍省の前には観光用の帆船も見える、エルミタージュ宮殿が近づいてきた。  宮殿橋を通過、目の前にエルミタージュ宮殿が迫る。  出発した船着場に到着、大ネヴァ川クルーズの旅を無事終了する。  クルージング観光の思い出として、ショーチームのメンバーと一緒に記念撮影する。  宮殿河岸通りに戻り、昼食場所であるツルゲーネフ公園へ。
 人類学・民俗学博物館  地図の中央が人類学・民俗学博物館です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 大ネヴァ川クルーズの下流の風景を、  下記の「大ネヴァ川クルーズの下流」のボタンをクリックして、34枚の写真でご覧ください。


 ツルゲーネフ公園(右)

 ツルゲーネフ公園に向かう途中で、イサク広場の横を通る、 青銅の騎士像の前で結婚式が行われている。  イサク聖堂の南のイサアキエフスカ広場へ、左手に、ニコライ一世の騎馬像が見える。
 先程、拝観したイサク聖堂を眺め、モイカ運河に沿って走り、サドヴァヤ通りからツルゲーネフ公園へ。  フォンタンカ川の河口の東にある公園は楕円になっていて、その周りが電車のロータリーになっている。  公園の東南にあるレストランで昼食。
 ツルゲーネフ公園の東口から、サドヴァヤ通りに出てピョートル宮殿に向かう。  ピョートル宮殿があるペトロドヴァレェツの南にあるペテロ・パウロ寺院が見えてきた。  ペテロ・パウロ寺院は、フィンランド湾に面したペトロゴフにあり、スルターノフ、コシャコフ共同設計で造られた。
 ツルゲーネフ公園  地図の中央がツルゲーネフ公園です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 ツルゲーネフ公園周辺の風景を、  下記の「ツルゲーネフ公園」のボタンをクリックして、16枚の写真でご覧ください。


 ローマの噴水の前で、日本の曲で大歓迎してくれた楽団(左)

 ペトロゴフにある、フィンランド湾に面した、ピョートル大帝が建てた夏の宮殿に到着。  湾から段々高くなるテラス状の地形を利用して、庭園と宮殿が造られている。  宮殿の前から下の公園へ。 大滝と呼ばれる左右二つの階段があり、共に噴水と彫刻で飾られている。  大滝を飾る彫刻は、19世紀の初めブロンズで製作されたものである。
 大滝が流れ落ちる半円形のプールの中央には、巨大なライオンの口を切り裂くサムソン像が立っている。  コフシュと呼ばれている人工の入江の中央にあるサムソン像の噴水は、ペテルゴフで最も水の噴射が高い。  噴水の水は、海中運河と呼ばれる水路を通って、フィンランド湾に突き出た船着き場から海に注いでいる。
 海中運河に架かる橋から東に行くと、庭園の中にイブの噴水がある。  橋から反対の西の方向に歩くとアダムの噴水がある。  噴水の八角形の池からは8本の並み木道が放射状に広がっている。  アダムの噴水から北東に歩き、ピョートル大帝が愛した海辺の小宮のモンブレジール宮へ。  庭園には、五つの噴水と二つのいたづら噴水がある。  モンブレジール宮から南に歩くと、ピョートル大帝の像があり、更に南下するとローマの噴水がある。
 上の公園に入り、四角い池の中央にある噴水越しに、夏の宮殿の大宮殿を望む。  池の向こうに、大宮殿の東翼に建設された、王家の紋章を戴いた黄金色のドームが見える。  上の庭園の中央部に、「ネプチューンの噴水」があり、海の神とその空想上の取り巻き達が表現されている。  ピョートルの夏の宮殿という意味のペトロドヴァレィツの町を離れ、サント・ペテルブルグに戻る。
 ピョートル宮殿  地図の中央がピョートル宮殿です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 ピョートル宮殿を、  下記の「ピョートル宮殿」のボタンをクリックして、44枚の写真でご覧ください。


 エルミタージュ劇場の特等席にてバレー「ジゼル」を鑑賞(右)

 夏の宮殿を見学した後、ペテルブルグ帝室劇場とも呼ばれているエルミタージュ劇場へ向かう。  劇場に入ると、観客席は少なく、もう観客で満席近い。 ツアーの連中は最前列の特待席を陣取る。
 今日の出しものは、ア・アダン作曲の「ジゼル」で、二幕のファンタステックなバレーである。  ハイネの「妖精物語」にヒントを得て台本が書かれた。   シンフォニー・オーケストラの指揮者はスタニスラフ・ゴリコウェンコである。
 村娘ジゼルはアルベルトという王子を恋するが、実は彼には婚約者いて、彼女が村にやってきて、ジゼルが真実を知る。  彼女は、真実を知り、あまりのショックに発狂して死んでしまう。  伝説では、結婚前に死んだ若い娘はウィリーと云う精霊になる。  精霊は夜中に墓から抜けだし踊り狂うと云う。  ウィリーの掟は、人間の若い男が夜、墓に来ると、彼を死ぬまで踊りの輪に巻き込まなければならない。  墓参りに来たアルベルトは、ウィリーの輪に巻き込まれるが、ジゼルの愛によって死を免れてハッピーエンドで終わる。
 外に出ると、遅い夕方に街が赤い夕に日染まる。  イサク広場の中央に立つ、「ニコライ一世騎馬像」や先程訪れた「イサク寺院」の黄金のドームを背景に記念撮影。  夕日を背景にデカブリスト広場に立つ「青銅の騎士」の騎馬像を最後に、ロシアでの最初の長い一日を終える。
 エルミタージュ劇場  地図の中央がエルミタージュ劇場です        <ロシア サント・ペテルブルグ>
 エルミタージュ劇場での風景を、  下記の「エルミタージュ劇場」のボタンをクリックして、16枚の写真でご覧ください。

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