シカゴからジャクソンへ        1990年8月27日

 
 シカゴからカラマーズまで飛行する、双発のプロペラ機

 疲れている筈なのに、余り眠れず、ヒルトンホテルにて、米国での最初の朝を迎える。  遅れを取り戻すために、暗いうちにホテルを出て空港に向かう。  食欲も無いので、そのまま搭乗ゲイトへ、シカゴオヘア空港は、出張の度に使用する空港なのでコンコースで迷うことは無い。  カラマーズへは、ローカル線なので、ユナイテッド航空の子会社であるエア・ウィスコンシンの双発のプロペラ機である。  ミシガン湖の上空を通過し、上天気のカラマーズ空港に到着。  出迎えてくれた人に、どうしてスケジュールが変わったのかと聞かれたので、車の中で今までの経緯を話す。
 最近の2度の出張は、ジャクソンでの現地生産工場が対象であるが、その前の3回の出張は、米国拡大プロジェクトと名付けて、 バトルクリークの工場の生産能力を倍増するために、工場を建設し、日本で設備を製造して米国に搬送設置して、 流動可能の状態で現地に引き渡すプロジェクトで、プロジェクト・リーダーを担当したため、思いで深い工場である。  工場長のアートが案内してくれると云うので、計画通り稼動しているかを見ながら歩いた。  私の姿に気づくと、次々と現地スタッフが近寄って声をかけてくれる、 私が多くの人と挨拶を交わすので、新任の工場長は吃驚したようだ。  一回りして、アートがコメントが欲しいと言うので、「今後、流動形態が益々複雑になるので、 物流と情報伝達の不備によるロスを最小限にしてください」と伝えた。
 工場視察の後で、I君から米人の扱いの難しさについて色々聞かされる。  私から、大卒で班長職を担当していたパットが、彼女の日本研修時に、飛行機で同席したのて、話し合った経験を話したら、 彼女は今日あたり最後の面談のため彼のところに来ることになっていて、多分、会社を辞めたいと云うだろうとのこと。  帰国してから、1年前のメモを開いてみたら、「日本式経営の魅力に惹かれて入社したものの、 大卒の人間が班長職に耐えうるだろうか」を書かれており、心配したことが現実になった。
 韓国人姉妹が経営する呉家園でカツ丼を食べてから、ジャクソンの現地生産工場へ。  T社の出向者で、中学の同窓生であるM工場長らが出迎えてくれる。  工場内は、至る所に説明用のビラが見られ、明日の品質会議の準備で大童だ。  夕食は、わが社の出向者の幹部が、ランシングの日本料理店「むらさき」に集まって歓迎会を開いてくれる。  日本の工場からの支援者も呼ばれて久しぶりに顔を合わす。  日本から出張者があると、日本料理店で歓迎会を開くのが恒例らしい。   こちらとしては、米国では割高な日本料理店でなくても良いと思うのに。
     シカゴオヘア空港  地図の中央がシカゴオヘア空港です         <米国 シカゴにて>
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第5回米国視察旅行