シカゴへ        1990年8月26日

 
 ロスアンジェルス空港に遅れて到着し、次の便でシカゴへ

 米国の視察旅行は今回で5回目だが、前回に引き続き、ジャクソンにて T社と共同で設立した現地生産会社の生産立ち上げの準備が完了したので、 流動開始の可否を決定するための品質会議に会社代表の専務と出席する。  私の工場で生産している世界一のシアーを占める製品が生産対象であり、 日本側の生産支援責任者として、多数の支援者を送り出しており、現地の製品の品質責任も担う立場にある
。  専務とは別行動なので、日程は独自で組み立て、名古屋からカラマーズまでの直行便はファースト・クラスしか取れなかたので、 その線で手配したが、専務の同行者がファーストクラスで行く計画が、チェックで引っかかり、直前になって私の旅程も、 エグゼクティブクラスに変更することを指示された。  米国出張で、ファーストクラスを使えるのは、役員クラスとの決まりがあるが、私は既に許可を取ってあったのに、 思わない処で道ずれにされたわけである。  彼らの日程では大丈夫だろうが、3回も乗り継いで目的地に着く私の計画では、 時間的に余裕が無さ過ぎると主張したが受け入れ無かった。
 今回は初めての試みとして、東岡崎から高速バスに乗り、名古屋空港から成田空港経由でロスに向かう。  成田空港出発が35分送れ、55分遅れでロスに到着、急いで廊下を走って入国手続きの場所に行くと長蛇の列が出来ている。  先にメキシコからの便が到着したらしく、入国検査が厳しいメキシコ人のために大幅に遅れているらしい。  こればヤバイと思い、近くを歩いている空港関係者に声を掛けるも無視されてしまう。
 其処へ、一緒に搭乗してきたスチュワーデスの一行が近づいてきたので、横にいた二人の日本人と一緒に大声をかけて、 列を抜け出せてもらうよう、現地の人に交渉してくれと頼み込んだ。  余り大声を上げたので、恥ずかしかったのか、結果的には交渉してくれて、係員に導かれ直ぐの入国出来、 走ってシカゴ行きの搭乗口に向かったが、予定の便は既に出た後だった。
 最終目的地に辿り着く可能性は少なくなったが、僅かな望みを持って、ロスからシカゴへと飛ぶ。  カラマーズ便の遅れを期待したが、運悪くオンタイムで離陸したという。  最初に考えたのは、出迎えの人に連絡することだ。 公衆電話を探すも、カードで掛けるものが殆どだ。  やっと、コイン用の電話を探し出すも掛け方が分からず、先にホテルに入って、ホテルの部屋から掛けることにする。  トラブルが起きると一人旅は大変である。 先ず、シカゴでトランクを受け取ることにしたが、 空港が広くて受け取り場所が分からず、係員に教えてもらって、最後に残っていた一個のトランクを見つける。
 次は、前回泊ったヒルトン・オヘアホテルへの通路を探すが、ホテルまでの道順が分からず、 周りの人々に何べんも聞いて歩いたら、最後の人が、ホテルの近くまで案内してくれる。  宿泊可能で一安心し、現地責任者に電話するも通じず、宿泊予定のストファーホテルに電話する。  フロントの女の子の言葉がさっぱり分からず、困惑するが、先方からは、あなたの話は分かるからどんどん話せという。  そこで、飛行機に乗り遅れたので今夜はシカゴ泊まりになるので、予約した人にその旨連絡して欲しいなど長々と話したら、 こちらの言いたいことは十分伝わったようだ。  後で、現地の責任者との電話も通じたが、予め、無理な日程になったので、 この様なケースになることも考えられると、ファックスで知らせたあったので、現地では予め対応を考えていたらしい。  予想したとおり、今回の視察旅行は慌しい一日からのスタートになった。
     ロスアンゼルス空港  地図の中央がロスアンゼルス空港です         <米国 ロスアンゼルスにて>
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第5回米国視察旅行