岡崎城下二十七曲と岡崎公園         2019年12月04日



 籠田公園の南東の角に立つ常夜燈の横にある「籠田町より連尺町」の石柱、              岡崎城大手門の前にある「岡崎城下東海道二十七曲り」の石板

 家を出てから6日目の朝をスーパーホテル岡崎で迎える。 ホテルの前から西を望むと島町交差点が見える。  島町歩道橋に上り、国道1号線を西に望む。 右手前方に、NTT西日本岡崎ビルの赤白の鉄塔が見える。  国道1号線を東に望むと、右手に岡崎信用金庫本店のビルが見える。  島町交差点からモダン道路を南に望む。 この先に明代橋がある。  島町交差点で、モダン道路に右折して、旧東海道の伝馬交差点に向かう。 モダン道路を北に歩くと、左手に専福寺がある。  この辺りに耳鼻科があり、70年余り前に通った記憶がある。  専福寺の北に、昔は淡雪、今は手風琴が主力製品の備前屋がある。 左折して、専福寺と備前屋の間の路地を西に進む。  この辺りに祖父母が住んでいた。 右下に二十七曲の文字が見える。  旧東海道は、「東海道岡崎城下二十七曲」の標柱の前で北から西へと右折している。  旧東海道は、前の伝馬通り一丁目交差点で南に左折し、標柱の前で西へとクランクする。  伝馬通一丁目交差点に出て、伝馬通りを西に望む。 旧東海道は、前方の籠田公園で再び合流する。  伝馬通りを西に進むと、左手に三嶋寿司総本店、右手前方に籠田公園がある。  伝馬通にて北を望むと、籠田公園がある。 旧東海道は桜城橋から続く「天下の道」に出て、この地に至る。  籠田公園の前から伝馬通りを西に望む。 交差点から西は東厚生通りと名前が変わる。  伝馬通りの西端を望む。 変名して東厚生通りになる。 右に入ると、公園西沿いの市民会館通りになる。  旧東海道は、籠田公園の中を通り、連尺通りの東端に至る。
 籠田公園の北西の角である、籠田公園北西交差点の南東の角には秋葉山常夜燈が立っている。 「籠田町より連尺町」の石柱も見られる。  常夜燈の北が市民会館通り、東が石屋町通り、西が連尺通りである。  籠田公園北西交差点から連尺通りを西に望む、連尺通りは呉服屋が軒を連ねている  だるまや人形店の前から、連尺通りを西に望む。 連尺通りは本町1丁目交差点まで続いている。  店仕舞いした紅屋呉服店の前から連尺通りを東に望む。「連尺物語」によると連尺は背負い具の呼び名に基づいている。  1524年松平清康の時代に「連尺」の町名が起こった。 連尺町は昭和20年7月20日未明の岡崎大空襲で焼失した。  旧東海道の連尺通りを八千代通りまで歩く。 八千代通りは昭和5年に厚生への道として開通した。  連尺り一丁目交差点に来る。 左右が「連尺ぐんない通り」である。
 本町通りに到着する。 連尺通りはここまでだが、旧東海道は更に西に続いている。  本町一丁目交差点から本町通りを南に望むと、かっては繁華街だった厚生北交差点が見える。  本町通りは70年前に電車でお世話になった世代では「電車通り」である。  本町一丁目交差点から、本町通りを北に望むと、前方の本町通り三丁目交差点がある。  三丁目交差点から東に延びる八幡通りは二七市で賑わう通りである。  本町一丁目交差点から、旧東海道を西に進む。 旧東海道は中央の白と焦げ茶色の建物の間を右へ北上する。  旧東海道と別れて、更に西に進むと左手に、「岡崎藩校允文・允武館跡」を示す石碑が立っている。  三叉路に到着する。 右に行くと旧東海道になる。 前にある札幌かに本家は家族連れで良く訪れた思い出の店である。  三叉路を北に行くと旧東海道、左折して南に向かうと岡崎城になる。 角には岡崎空襲の慰霊碑がある。
 岡崎城に向かって左折すると、右手に、義経伝説の一つである浄瑠璃寺がある。  浄瑠璃寺には義経と浄瑠璃姫の画像や浄瑠璃姫の守り本尊である尊薬師如来が安置されている。  義経と浄瑠璃姫の矢作の里での出会いで始まる浄瑠璃姫物語は浄瑠璃の語源と言われている。  浄瑠璃寺の前から北を望む。 旧東海道はこの先の材木町一丁目交差点で右折して東から北に向かう。  厚生通り西2丁目交差点の前から北を望む。 札幌かに本家が見える。 この先に旧東海道がある。  西2丁目交差点に出て、西厚生通りを東に望むと厚生北交差点、西に望むと岡崎公園前交差点がある。  西厚生通りは松坂屋の撤退に伴いシャッター街化が進んでいるようだ。
 右折して、西厚生通りを西に向かって歩く。 前方に、厚生通りに立つ地上20階建てのマンション「岡崎ウィズスクエア」が見える。  岡崎ウィズスクエアは松坂屋に代って、この辺りの顔になっている。  岡崎市厚生通西歩道橋に到着する。 左手前方に岡崎公園がある。 岡崎市厚生通西歩道橋に上がって、周りの景色を眺める。  歩道橋から国道1号線を東に望むと、右の駐車場に浄瑠璃姫の墓、西に望むと、横断歩道の右手から城門通りが合流する。  歩道橋から国道1号線を西に望む、この先に、伊賀川に架かる龍城橋がある  左に目を移すと、岡崎公園の表玄関である大手門が見える。 大手門は1993年に再建された。  石垣は地元産の御影石を使用している。 大手門の前には、「岡崎城下東海道二十七曲り」の表示板がある。

     旧東海道にある籠田公園 地図の中央の矢印が籠田公園です      <愛知県岡崎市籠田町にて>
連尺通りまでの岡崎城下二十七曲を、下記の「岡崎城下二十七曲」のボタンをクリックして30枚のスライド写真でご覧ください。
      岡崎城までの岡崎城下二十七曲を、下記の「岡崎城下二十七曲」のボタンをクリックして34枚のスライド写真でご覧ください。



 日本100名城の内で、最も多く登城した岡崎城、                              銀杏の落葉で出来た黄色い絨毯で覆われている龍城堀の土手

 岡崎公園に入ると大手門の前にある、竹下景子の手形と家康生誕の地の表示塔が目に付く。  岡崎公園の表玄関である大手門を潜って、公園の中に入る。  三河武士のやかた「家康館」では、家康公の出生から天下統一までを解説している。  高さ約6mの時計塔には、能を舞う家康公の人形が登場する「からくり時計」が見られる。  三河武士のやかた家康館庭園で見られる紅葉は今が見頃である。  徳川四天王の一人である本多平八郎忠勝公像の前に来る。 二の丸能楽堂周辺の紅葉が目を引く。  二の丸能楽堂から家康公・竹千代像があるベンチの前に来ると、 1959年に復興された3層5階建ての岡崎城天守閣である岡崎城が見える。
 岡崎城の北側には紅葉が広がっている。 清海堀に沿って、天守閣の東側に回る。  東側から、徳川家康が生まれた岡崎城を望む。 岡崎城は2006年に日本100名城に選定された。  岡崎城の南側に向かうと、内堀の龍城堀が見えてきた。  岡崎城の東に鎮座する龍城神社は、昇龍伝説が残るパワースポットである。  家康公生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れたという伝説がある。  岡崎城の城内は各階ごとにテーマを分けた歴史資料館になっている。  岡崎城は日本100名城の内で、最も多く登城したお城である。
 岡崎城の南には、伊勢神宮遥拝所鳥居があり、周りに紅葉紅葉が広がっている。  南に進むと、菅生川に架かる殿橋が見える。 伊勢神宮遥拝所鳥居の高台から龍城堀の神橋に向かう。  内堀の龍城堀の西側の部分が見えてきた。 北側の土手が眩い。  土手が、銀杏の落葉で出来た黄色い絨毯で覆われている。 黄色い絨毯に向かって、龍城堀の北側の土手に近づく。  黄色い絨毯に、暫し見惚れる。  再び、龍城堀に架かる神橋に向かう。 赤い紅葉の間から、青い龍城堀を眺める。  木々の緑の中に、神橋の朱色が美しく映える。  龍城堀を渡る神橋は正面に岡崎城を臨み、絶好の撮影スポットである。  龍城堀は神橋を中央に、岡崎公園の南側を西から東に延びている。  神橋を渡って、右折し、龍城堀の北岸を望むと、先ほどの黄色い絨毯が広がる土手が見える。  

     岡崎城 地図の中央の矢印が岡崎城です      <愛知県岡崎市康生町にて>
岡崎城の紅葉を、下記の「岡崎城の紅葉」のボタンをクリックして50枚のスライド写真でご覧ください。

     

 岡崎城の南側に広がる龍城堀東端の紅葉、                            創建が110年景行天皇の御代まで遡る菅生神社

 神橋から、龍城堀の南岸を東に歩き、北岸の紅葉を望む。  龍城堀の東端、石垣の上に「郷土料理いちかわ」が見える。  菅生川の河原に出て下流を望む。 潜水橋と呼ばれている沈下橋が見える。  上流に望むと、電車通りの殿橋が見える。  菅生川右岸の竹千代通りを東に望むと、右前方に、定宿の茶色の岡崎ニューグランドホテルが見える。  菅生川は、最近の地図では乙川に代わっている。  左手に菅生神社が現れた。 神社は今やビルの谷間にある。  菅生神社の創建は110年景行天皇の御代で、日本武尊東征の時代にまで遡る。  日本武尊がこの地で矢を作り、その矢を伊勢大神に奉納した伝えがある。  菅生神社は徳川家康が25歳の時、厄除け・開運祈願のため造営された。
 菅生祭で行われる花火は、文化文政の時代からで、今も続き全国的に有名である。  毎年夏に、菅生川のこの辺りで金魚花火、右後方で仕掛け花火、更に川下で打ち上げ花火が行われる。  殿橋が目の前に来る。 70年前から何度もこの橋を電車で渡った記憶がある。  殿橋の上へ。 殿橋は1927年の竣工時からの意匠を現在まで残している。  殿橋から右岸を下流に望む。 花火大会には桟敷で埋め尽くされる。 桟敷から見た花火が懐かしい。  殿橋北交差点から、電車通りを北に望む。 前方に国道1号線の厚生通り南交差点の歩道橋が見える。  電車通りを北に望む。 電車通りは厚生北交差点からは本町通りになるが、南はJR岡崎駅まで電車通りである。  殿橋北交差点から竹千代通りを西に望むと、正面にニッセイ岡崎ビルが見える。
 乙川の左岸を更に上流へ向かうと、桜城橋が見える。 建設中の桜城橋、2020年3月に完成予定である。  建設中の桜城橋から、北の籠田公園に至る道路も「天下の道」として生まれ変わる  振り返って殿橋を望むと、左に、愛知県西三河総合庁舎のビルが見える。  乙川右岸の河原は、桜城橋建設中のため通行止めである。 明代橋に到着、橋の下を潜って上流へ。  乙川の散策は此処で終わり堤防へ上がる。  明代橋北詰から乙川右岸を上流に望む。 先日の11月29日に、この先を散策した。  明代橋北交差点に出て、モダン道路を島町交差点を目指して歩く。  交差点の手前、モダン道路沿い右手に、銀杏が美しい恵美須神社がある。  島町交差点から、モダン道路を北に望む。 今朝、此処からモダン道路を北上した。  スーパーホテルに寄って、預けた荷物を受け取り、再び、モダン道路を南下する。  明代橋が見える、手前が第一生命保険、後が三井住友海上火災保険のビルである。  乙川を横切り、東岡崎駅に到着。  家を出てから6日間に渡る旅を終えて、東岡崎から豊橋経由の帰路に就く。

       菅生神社 地図の中央の矢印が菅生神社です      <愛知県岡崎市康生町にて>
乙川の紅葉を、下記の「乙川の紅葉」のボタンをクリックして52枚のスライド写真でご覧ください。

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