鴨川右岸のダイヤモンド京都ソサエティで、家を出てから5日目の朝を迎える。
出発前の一時、鴨川の川原に出る。 ホテルの下流にマンションのサンクタス鴨川別邸が隣接する。
ホテルの前から、鴨川の下流を望む。 遥か彼方に二条大橋が見える。
鴨川越しに、対岸の左岸を望む。 川端公園が広がり右端に冷泉橋が見える。 川端公園の向こう側には川端通りがある。
鴨川の上流を望むと、丸太町通りの丸太町橋が見える。 丸太町橋から左に丸太町通りを進むと京都御所の南に至る。
鴨川右岸には、紅葉も黄葉も、未だ落葉せずに頑張っている。
黄葉を後にして、ダイヤモンド京都ソサエティを出て、タクシーに便乗して四条南座に向かう。
四条大橋交差点でタクシーを降りて、京都四条南座の西側、川端通りで仲間を待つ。
南座の前から川端通りを北に望むと、四条大橋の両側に京阪本線の祇園四条駅の出入り口が見える。
この辺りの川原で、出雲の阿国が歌舞伎を始めたとのことである。
左手に目を移すと、京阪電車の祇園四条駅2番出入口が見える。 川端通りの先に、一号線の五条通りがある。
南座の西側の入り口の南側には、阿国歌舞伎発祥の地を示す茶色の丸い石碑が建っている。
説明版によると、1603年に、この辺りの鴨川原において、歌舞伎の始祖出雲の阿国が始めて歌舞踊りを披露したとある。
南座の西面には、吉例顔見世興行のプログラムや昼の部の演出者の顔ぶれなど、多くのポスターが見られる。
ポスターには、輝虎配膳の片岡愛之助・片岡秀太郎・中村雀右衛門、戻籠色相肩の中村梅玉・中村時蔵、
金閣寺の中村鴈治郎・中村扇雀・中村壱太郎・坂田藤十郎、仮名手本忠臣蔵の片岡仁左衛門・片岡孝太郎・中村芝翫の顔触れが並んでいる。
集合時間も近づいてきたので、市場通りに面した正面玄関に向かう。
正面玄関前は開館を待って多くの人が集まっている。 昼の部は10時30分開演である。
今回の興行は、昨年参観した開場記念の「南座新開場一周年記念」の興行である。
正面玄関の上に歌舞伎役者の名前が並んでいる。 下段先頭に、人間国宝に認定された片岡仁左衛門の名が見える。
片岡と中村の苗字が圧倒的に多い。 常盤津、竹本、長唄、囃子連中の名も見える。
下段には、出し物ごとに一枚の絵が掲げられている。
近松門左衛門作の信州川中島合戦「輝虎配膳」にて、中央には刀を振り回す長尾輝虎の片岡愛之助、
常磐津連中の「戻籠色相肩」にて、中央が籠の中から出てきた、中村莟玉演ずる島原の傾城の小車太夫の禿たより、
祇園祭礼信仰記の「金閣寺」にて、刀を抜く中村鴈治郎演ずる松永大膳と中村壱太郎演ずる雪姫、
「仮名手本忠臣蔵」の祇園一力茶屋の場にて、中央仁左衛門演ずる大星由良之助と孝太郎演ずる遊女お軽、
近松門左衛門作の「堀川波の鼓」にて、 鳥取藩士小倉彦九郎を演ずる片岡仁左衛門、
河竹黙阿弥作の「釣女」にて、片岡愛之助演じる太郎冠者が釣り上げた、中村鴈治郎演ずる醜女、
河竹黙阿弥作、新皿屋舗月雨暈の「魚屋宗五郎」にて、魚屋宗五郎の中村芝翫、
長唄囃子連中の「越後獅子」にて、角兵衛獅子を隼人を演じる、橋之助、千之助、莟玉の四人などが見られる。
劇場正面には役者の名前が勘亭流で書かれた「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ、京都の年末の風物詩となっている。
今回は、京の年中行事 『當る子年吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎]である。
顔見世は、歌舞伎で、1年に1回、役者の交代のあと、新規の顔ぶれで行う最初の興行のことである。
京都南座の12月顔見世公演は、最も歴史が古いことで有名である。
隣の席の方が、開演中に大声で叫んでいたが、歌舞伎独特の仕来りだそうです。
南座は近代建築に桃山風の意匠を取り込んだ、地上4階地下1階の建物で、国の登録有形文化財になっている。
江戸時代初期、四条河原には幕府公認の芝居小屋が七座存在したが、現存するのは南座だけである。
江戸時代初期に起源を発し、同一の場所で今日まで興行を続けてきた、日本最古の劇場である。
1906年に松竹に買収され、以後松竹の直営となっている。 今回も主催製作は松竹株式会社である。
今日は座席の両脇には、芸舞技がずらりと並んでいる。
師走の風物詩で、南座の顔見世を芸舞妓が観劇する「花街総見」である。
歌舞伎の世界とゆかりの深い、京の花街の恒例行事で、各花街ごとに、芸舞妓がそろって観劇し、舞踊や三味線など芸事を学ぶ。
今回の南座は、67年目を迎えた同窓生の親交が深まる絶好の機会であった。
京都南座
地図の中央の矢印が京都南座です <京都府京都市東山区中之町(四条通)にて>
京都南座吉例顔見世興行を、下記の「京都南座吉例顔見世興行」のボタンをクリックして58枚のスライド写真でご覧ください。