与謝野晶子文学館と沼田城          2019年11月1日



 三国路 与謝野晶子紀行文学館「椿山房」にて、猿ヶ京ホテルの女将である館長と源氏物語で盛り上がる

  猿ヶ京温泉のふるさとの宿 蔵やしき 野の花畑で水上散策の3日目の朝を迎える。  最近は朝食は簡単に済ませるが、今日は、非日常的な朝食を楽しむ。 朝のひと時を、ラウンジで過ごす。  色づき始めた庭に出る。 感じの良い宿の若者とツーショット。 私たち夫婦にとっては、今年の10月は、エメラルド婚になるらしい。  野の花畑の前には、赤谷湖が広がっている。  赤谷湖はダム湖100選に選ばれている。 赤谷湖は相俣ダムによって出来た人造湖である。  宿の「蔵やしき」の玄関は、蔵を活用した造りになっている。 野の花畑をチェックイン、スタッフが荷物を持ってくれる。  宿泊客も疎ら、宿のご主人も顔を出す。 出発前のひと時は、談笑に花が咲く。
 与謝野晶子紀行文学館が、赤谷湖の北にあると聞き、道順を教えてもらって訪ねる。  三国路 与謝野晶子紀行文学館「椿山房」は猿ヶ京ホテルの前を通り、赤谷水道管橋の行き止まりにある。  椿山房は現在特別企画展「源氏物語と晶子の世界」を開催中である。  陳列棚にずらりと並ぶ明星、彼女の原点でもある。  入館者は私共のみ、館長と話が弾む。 この文学館は昌子に心酔した、猿ヶ京ホテルの女将の個人的施設らしい。  夫婦で愛読した与謝野晶子の源氏物語が二人の馴れ初めと話し、館長と大いに盛り上がる。
 話は更に、一昨日訪問した諏訪峡の歌碑(館長主導)に及んで話が尽きず。  最後に、特別企画展「源氏物語と晶子の世界」へ。  与謝野晶子の新訳源氏物語が1912年から執筆され、以後、多くの出版社から世に送り出されている。  1967年1月10日河出書房初版発行の源氏物語は、未だに私の書架の主役である。  晶子の経歴を見ながら、昨日の諏訪峡の歌碑と源氏物語を繋ぎ合わせる。  館長に特別に頂いたパンフレット「昌子の旅 三国路の旅」を片手に文学館を出る。  文学館を出て、左に行くと館長の猿ヶ京ホテル、右に行くと駒形峡がある。

     与謝野晶子文学館 地図の中央の矢印が与謝野晶子文学館です      <群馬県利根郡みなかみ町猿ヶ京温泉にて>
与謝野晶子文学館を、下記の「与謝野晶子文学館」のボタンをクリックして35枚のスライド写真でご覧ください。

     

 初代沼田城主の真田信之と本多忠勝の娘の小松姫と再建した鐘楼、          沼田城址から見た谷川連峰、左が旧谷川岳の俎ー(マナイタグラ)、右がオジカ沢とオジカ沢ノ頭

 駒形峡は赤谷川の川幅が広く、川よりは寧ろ、赤谷湖の一部である。  駒形峡には、歩道橋でもある、赤い赤谷水管橋が架かっている。  赤谷水管橋では、バンジージャンプが行われているが、今日は金曜日でお休みである。  猿ヶ京バンジーは橋の上から飛ぶ、ブリッジバンジージャンプで竜神バンジーも同様である。  駒形峡を上流に望む。 赤谷川が上流へと遡っている。  遥か彼方に高山が見える、この方向に谷川連邦がある。  赤谷水管橋から、駒形峡の水面まで62mある。 駒形峡を下流に望む、赤谷湖に流れ込んでいる。  国道17号奥利根湯煙街道の相生橋が見える、橋から眺める紅葉の駒形峡は絶景らしい。  右上にホテルが見える、館長の猿ヶ京ホテルだろう。 赤谷水管橋を渡って、対岸の林の中の散策路を進むと国道に出る。  再び、文学館の駐車場まで戻り、次の目的地である沼田城址へ向かう。
 沼田公園の沼田市観光案内所前の駐車場に到着し、案内所でパンフレットを貰う。  公園に入ると、利根英霊殿の横に立つ、初代沼田城主の真田信之と本多忠勝の娘の小松姫が出迎えてくれる。  1590年に真田信幸は、二万七千石の沼田城主になる。  鐘楼の横から、沼田駅方面を望む。 背後に、標高1296mの子持山が見える。  鐘楼は、役場の裏手にあったのを1983年に公園に再建したものである。 御丸御殿の西にあった西櫓台の石段がある。  西櫓台にある真田時代の石垣もある。 石垣に囲まれた西櫓台には、沼田市民のシンボルである御殿桜がある。  沼田城は1681年に廃城になる。 沼田公園のビューポイントである、天狗堂がある捨曲輪へ。
 捨曲輪跡から北を望む、標高1088mの三峰山が見える。  三峰山の右に見えるのが、標高766mの高王山、その前にある白い建物が沼田市清掃工場である。  高王山の右に、標高771mの戸神山、その右に、標高2158mの百名山武尊山の頭が見える。  武尊山の右に見えるのは、赤倉山辺りの山々だろうか。  三峰山の西山麓、奥の連山の一番右が、標高1977mの谷川岳である。  左を眺めると、利根川が上から下にゆっくり流れる。 国道17号線の利根川に架かる月夜野大橋が見える。  捨曲輪跡には、平八郎の首を晒した石がある。 沼田平八郎景義の首級を載せた石で、平八郎は沼田城奪還に失敗し42歳で死んだ。  天守跡の東側に、国指定重要文化財の旧生方家住宅がある。  旧生方家住宅は、薬種御用達を勤めた商家で、東日本で稀にみる古い遺構である。  沼田城址の参観を最後に、水上温泉周辺の旅を終える。

   沼田城址 地図の中央の矢印が沼田城址です        <群馬県沼田市西倉内町にて>
駒形峡と沼田城址を、下記の「駒形峡と沼田城」のボタンをクリックして48枚のスライド写真でご覧ください。

  
次ページへ

最近のウォーキングより