今日も上天気でである。 水上温泉を目指して、関越自動車道を北進し、高坂サービスエリアに寄る。
今回の旅行は、二泊三日で、長年の願望であった、天神平から谷川岳を望むのが目的である。
高坂の次は、赤城高原サービスエリアに寄って、エリア内を散策する。
東を望むと、左手に標高565mの鈴ヶ岳、中央に子双山と半円の矢筈山が見える。
その右の三角が標高1572mの荒山である。 青空の下、エリア内のコキアの真紅が眩しい。
赤城高原サービスエリアの北側には、北側の山々を展望する絶好の展望台がある。
展望台から北東を望むと、入沢川に架かる、関越自動車道の入沢川橋が見える。
北に目を移すと、沼田市街地の背後に、標高1123mの三峰山が見える。 左の奥に在る筈の谷川岳は雲の中である。
三峰山の右には、標高941mの大戸屋山が見える。
更に右に目を移すと、大戸屋山の右に、迦葉山、鹿俣山、標高1875mの獅子ヶ鼻山と続き、
その右手に左右に広い、標高2158mの武尊山が見える。
西を望むと、標高1296.4mの子持山が見える。
北西方向、利根川と片品川が合流する辺りに、上越線の鉄塔が並んでいる。 利根川に架かる、青い鉄橋の戸鹿野橋が見える。
赤城高原サービスエリアを出て、関越自動車道の水上インターで降り、国道291号奥利根もみじラインを北上すると、
右手に、道の駅「みなかみ水紀行館」がある。
道の駅の東側には利根川が流れ、此処から上流に水上温泉の宿が集まっている。 又、利根川の下流は、諏訪峡と呼ばれ、景勝地になっている。
水上温泉郷は利根川源流部に近い最上流部にある。 温泉郷は、谷川連峰北東麓と武尊山北西麓の間にある。
水上温泉は奥利根八湯、水上八湯、水上十八湯の一つで単純温泉・硫酸塩泉である。
400年以上もの昔、海翁和尚が湯煙を見つけたのが始まりと伝えられている。 水上温泉からは、谷川岳を見ることが出来る。
道の駅に車を置き、散策スタート。 最初に、植木鉢で組み立てた、ユニークな人形が出迎えてくれる。 利根川沿いの遊歩道を歩いて、諏訪峡に向かう。
遊歩道には、見頃を迎えたコスモスの花が歓迎してくれたが、見渡したところ、観光客らしき人影は、一つも見られない。
母谷沢の小橋を渡る。 左手、母谷沢の上流には、国道291号奥利根もみじラインの母谷沢橋が見える。
小橋から階段を下りると、遊歩道に与謝野晶子の歌碑が並ぶ。 歌碑を読みながら歩く。
「石多く 屋根に置くなり・・・ 「宝の湯 これより奥にありと云う 利根・・・ 「入る方い 谷川岳かわが立ちし 三国峠か・・・
「小日向の 湯場の灯をとる刻ならん 川の・・・ 「朝焼も夕焼も皆をさめたる・・・ 。
後で分かったことだが、これらの歌碑は、猿ヶ京温泉の与謝野晶子紀行文学館館長でもある、猿ヶ京ホテルの女将の尽力によるものであった。
此処から北を望むと、利根川の上流に、谷川岳の山々が見える。 谷川岳は、現在山頂が雲の中である
此処からの風景は、上信越高原国立公園 谷川岳八景の3番目の景色である。 道の駅から此処まで600m、更に50m行くと笹笛橋がある。
このあたり一帯は、与謝野晶子歌碑公園になっている。 与謝野晶子は、1934年5月10日に、ここ諏訪峡を訪れた。
晶子は、水上温泉を訪れたとき、みなかみ町の花の歌など24首歌った。 与謝野晶子は、1934年5月10日に、ここ諏訪峡を訪れた。
遊歩道の桜並木の歌碑五基五首は、みなかみ町の歌の二十四首の五首である。
歌碑公園の中央広場には、昌子歌のアルバム二詩一首、諏訪峡の歌六首がある。
広場で最初に目に付いたのは、二詩で、帽子のレリーフに書かれた「山の動く日」と帽子モニュメントに書かれた「君死にたもうことなかれ・・・。
夫婦碑としては、天使の羽のレリーフに、晶子の「利根の洲の白きあたりにかじか鳴き 温湯川より・・・ 寛の「前の山なほ暗けれど三つばかり・・・。
椿の花のレリーフに、昌子の「串橋と舞へる燕を中にして 両つの・・・ 寛の「日のひかり渓に香りて・・・ が印されている。
与謝野晶子は法師温泉、水上温泉、湯絵曾温泉、猿ヶ京温泉と水上町を4度訪れた。
私共にとっては、与謝野晶子は、みだれ髪は勿論、源氏物語に至るまでの愛読者である。
与謝野晶子歌碑公園中央広場の東には、利根川の右岸から左岸に渡る「笹笛橋」がある。
与謝野晶子歌碑公園
地図の中央の矢印が与謝野晶子歌碑公園です <群馬県利根郡みなかみ町川上にて>
与謝野晶子歌碑公園を、下記の「与謝野晶子歌碑公園」のボタンをクリックして43枚のスライド写真でご覧ください。
与謝野晶子歌碑公園をじっくり鑑賞した後に、笹笛橋を渡って対岸へ向かう。
笹笛橋の上から利根川の上流を望む。 谷川岳は、依然、雲の中に隠れている。 笹笛橋から利根川の下流を望む、吊り橋の諏訪峡大橋が見える。
笹笛橋から利根川を上流に望む。 正面に道の駅「水上町水紀行館」が見える。 道の駅は標高465mの所にある。
名勝諏訪峡は、右直ぐ前の、小日向川合流落合から始まる。 笹笛橋下付近の岩脈には、海底火山の流出した溶岩を示す模様が見られる。
笹笛橋東詰から北西を望む。 左に見えるのが関越自動車道である。
笹笛橋の左岸上流に、男女の立像がある。 笹笛童子像である。 背後に、「笹笛橋」の歌が書かれた掲示板がある。
山崎つや鼓作詞、今野稔生作曲、小山内たけもと編曲である。
この年になって、故郷の思い出はあるが、懐かしいとは思わないのが残念である。
諏訪峡の左岸を下流へと進んでいくと、諏訪峡大橋が近づいてきた。
諏訪峡一帯の岩質は、変質石英粗面岩、同質凝灰岩、凝礫岩が主である。 諏訪峡は変質石英粗面岩などの模式的露出地である。
岸壁に貼りついた遊歩道を歩く。 64年前に歩いた黒部渓谷の下の廊下を思い出す。
黒部渓谷のS字峡や十字峡辺りは、ビルの清掃場の様に、上から通路の板を吊るしてあった。
板の隙間からは、200m下の渓流を見ることが出来た。 諏訪峡大橋の手前、左岸に落差30mの玉簾の滝がある。
諏訪峡大橋は高さ42mのバンジージャンプの場として知られている、料金は一万円である。 諏訪峡大橋は水上温泉の諏訪峡観光の中心地である。
諏訪峡大橋は、斜めに張ったケーブルで橋桁を吊るす斜張橋である。 諏訪峡大橋は1994年に建造された。
遊歩道は諏訪峡大橋の下を通過して、橋の下流側へと続く。 火砕岩は、すべて変質作用のため緑色〜淡緑色を示している。
溶岩流は、灰緑色〜黄褐色を呈している。 石英粗面岩は流状構造、球顆構造、杏仁状構造が発達している。
諏訪峡のビューポイントである展望台への階段を上る。 展望台から利根川を上流に望む、突き当りに、関越自動車道が見える。
この辺りの利根川の流れは急流で、紅葉も伴って諏訪峡の景勝地である。 この辺りは、諏訪峡の紅葉の名所「紅葉公園」で周りに色付が見られる。
この辺りは、マイナスイオン値は一立方センチ当たり2,880個で、リフレッシュ度は特Aである。 左岸の遊歩道への階段を降りる。
遊歩道に降りると、此処からはコンクリート道である。 紅葉の時期には、未だ早いので観光客の姿は全くない。
二人だけの、諏訪峡貸切の散策である。
利根川の左岸、諏訪峡の遊歩道を下流に向かって歩く。 遊歩道の左手に上越線が見える、益々、寂しい遊歩道になる。
諏訪峡は上流の小日向川合流落合から下流の銚子橋までであるが、この辺りで引き返すことにする。 紅葉公園に戻って来た。
前方に、関越自動車道が見えてきた。 色づいた貴重な紅葉に遭遇する。 笹笛橋まで引き返す。 やっと、ツアーの一団に会う。
帰りは笹笛橋を渡らずに、左岸を上流に直行、小日向川合流落合から笹笛橋を望む。
諏訪峡は、利根川の左岸にある小日向川合流落合から始まり、下流へと続く。
右手の幟が閃く小道が、与謝野晶子歌碑が並んだ桜並木である。 利根川の対岸、左手前方に、道の駅「みなかみ水紀行館」が見える。
谷川岳山頂を望む。 右端の標高1977mのオキノ耳は見えるが、中央の標高1963mのトマノ耳は雲の中である。
利根川左岸の遊歩道を上流に歩く。 対岸に、道の駅「みなかみ水紀行館」がある。 遊歩道の東側の高台には、上越線が走っている。
前方に、利根川に架かる紅葉橋が見えて来た。 紅葉橋の後ろが、サニックス水上一番館、その左が、ロイヤルプラザ水上である。
利根川は紅葉橋の北で右方向から流れてくる。 阿能川はロイヤルプラザとサニックス水上一番館の前を流れ、紅葉橋の北で利根川に合流する。
紅葉橋を渡って、階段を降り、利根川の右岸に降りる 道の駅「みなかみ水紀行館」に到着する
道の駅を出て、水上温泉郷の一つの猿ヶ京温泉に向かう。 猿ヶ京温泉のふるさとの宿蔵やしき「野の花畑」にて、入浴後「霜月」を頂く。
明日の天神平からの谷川岳を期待して早めに床に就く。
諏訪峡大橋
地図の中央の矢印が諏訪峡大橋です <群馬県利根郡みなかみ町小日向にて>
諏訪峡の風景を、下記の「諏訪峡 1」のボタンをクリックして41枚のスライド写真でご覧ください。
諏訪峡の風景の続きを、下記の「諏訪峡 2」のボタンをクリックして33枚のスライド写真でご覧ください。