見沼代親水公園          2019年10月23日



 見沼代親水公園駅東口前から見沼代親水公園の散策開始、           三遊亭円朝の名作「牡丹燈籠」のお露とお米の舞台にもなった新幡随院法住寺

 見沼代親水公園を散策する目的で、日暮里駅から日暮里・舎人ライナーに乗車し、見沼代親水公園駅にて降車する。  見沼代親水公園駅東口から外に出ると、目の前に水量豊富な伏流水が溢れ出ている。  見沼代親水公園はせせらぎを挟みながら、細長い公園として両側に続いている。 流れの左岸には、流れに沿って赤山街道が続いている。  間もなく最初の東屋に到着する。 この流れは、かっては、農業用水として、この地の農業を支えてきた。  農業用水の役割を終えた用水は、1984年に親水公園として誕生した。 親水公園の親水路の長さは、1.7kmである。  木橋に到着する。 親水水路沿いに70本の桜が植えられている。 木橋の次には、立派な太鼓橋のコンクリート橋がある。  見沼代親水公園の右側(西側)にある大村蕎麦店を過ぎると、舎人諏訪神社がある。  東屋と木橋に到着する。 木橋を渡ると、半円型の可愛いプールの「しゃぶしゃぶ池」がある。  しゃぶしゃぶ池はオムツを使わなくなった就学前の子供が、遊びながら水に親しめる無料の施設である。  しゃぶしゃぶ池から親水公園を更に南下すると右手にレストハウスがある。  せせらぎが用水に変わり、親水公園が終点に近づいた気配がする。 右手に、古千谷橋バス停がある、間もなく古千谷橋交差点に出る。  見沼代親水公園の終点に到着する。 バス停に東武バスも到着する。
 大師北参道と赤山街道の合流点から古千谷橋を望む。 左の方向に行くと大師北参道に至る。  赤山街道をはんのき橋交差点に向かって、南東に歩く。  はんのき橋交差点から北東を望む。 この先に伊興氷川神社がある。 右手の橙色の建物は古本市場竹の塚店である。  足立区内最古の氷川社である伊興氷川神社に到着する。  伊興氷川神社の祭神は須佐之男命、大己貴命、櫛稲田姫命である。 境内には神木のけやきが立っている。  往古、淵江領の総鎮守であったが、明治5年からは伊興村の村社となった。  大宮の氷川神社から勧請した頃は、周辺は淵が入り組んでいたため、「淵の宮」と呼ばれた。
 伊興氷川神社の南には、弥生式土器、土師器、須恵器が出土した伊興遺跡公園がある。  伊興遺跡公園には、古墳時代に造られたと考えられる方形周溝墓がある。  遺跡からは、鏡、曲玉、管玉、臼玉などの祭祀遺物が出土した。 遺跡からは漁具としての土錘、住居跡、井戸跡などの生活遺構が出土した。  公園には、一般庶民が10世紀ごろまで利用した、竪穴式住居が復元されている。  古墳時代の竪穴式住居は楕円形から方形になり、炉の代わりに竈が造りつけられた。  伊興遺跡公園から易行院にある「助六の塚」に寄る。 花川戸助六と揚巻の墓が助六地蔵と一緒に祀られている。  易行院の南に東陽寺がある。 寺には塩原太助の墓、戸田茂睡歌碑、阿弥陀三尊来迎図板碑がある。
 東陽寺から法受寺へ。 法受寺は1753年に豊島郡下尾久から谷中に移り、新幡随院法住寺と称した。  法受寺の境内には、生前に従一位を贈られた、五代将軍綱吉生母桂昌院の墓がある。  新幡随院法住寺は、三遊亭円朝の名作「牡丹燈籠」のお露とお米の舞台にもなった。  法受寺から東に足を延ばして、伊興遺跡の中で唯一古墳が残る白旗塚史跡公園へ。  江戸時代の絵図には8基の古墳が描かれていたが、現在は白旗塚古墳が現存するのみである。  直径12m、高さ2.mの白旗塚古墳は古墳時代初頭の6世紀前半頃のものと推定されている。  源義家が奥州征伐時に、この地で白旗を靡かせながら戦ったとの逸話から、白旗塚と呼ばれた。  白旗塚史跡公園を最後に今日の散策を終え、都道461号尾竹橋通りに向かう。  尾竹橋通りと赤山街道が交差する伊興(イコ)町前沼交差点に到着、赤山街道を南東に望む。  右が尾竹橋通り、左の赤山街道を進むと竹ノ塚駅がある。  伊興町前沼交差点から赤山街道を南東に望む、前方に東武伊勢崎線のガードが見える。  東武伊勢崎線竹ノ塚駅西口に到着、亀戸駅で乗り換えて帰宅する。

     法受寺 地図の中央の矢印が法受寺です      <東京都足立区東伊興4丁目にて>
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