ホテルルーイン土浦で朝を迎える。 窓の外は上天気、前が国体道路、左が市民会館通りである。
正面に異国風の建物が見える。 アオエミネラル研究所らしい。 今日の予定は、土浦市街と亀城公園の散策である。
右の方に目を移すと、2011年11月7日に登頂した筑波山が見える。
左側が男体山、左側が標高877mの女体山である。
ホテルの前に出て、市民会館通りを西に望むと、先方で、国体道路と交差する。
東に望むと、先方に、真鍋跨線橋がある。
ホテルルートイン土浦は今年の1月29日にオープンしたばかりである。
最近、ルートインに良くお世話になっている。 愛車に乗車してホテルを出る。
亀城公園の駐車場に車を置き、亀城公園前から土浦市街地散策をスタートする。
国道125号線を、右手に亀城公園を見ながら南東に歩く。 更に進むと、左手に筑波銀行がある。
三菱UFJ銀行内浦支店の向こうに、中央一丁目交差点が見えて来た。
交差点から、国道125号線を南に望むと、右手に、NTT土浦の電波塔が見える。
土浦宿は水戸街道11番目の宿場町で日本橋から18里半の距離にある。
中央通り交差点の西側の中城通りの入口には、土浦町道路元標と桜橋の石碑がある。
中城通りを西に進む、通りは旧水戸街道で、中城商店街になっている。
この地は江戸時代より土浦の商業の中心地として栄えた。
右手の琴平通りを北に進むと、中城山不動院の山門がある。 琴平通りは、山門の左側から更に奥へ続く。
中城不動院の本堂の創建は永亨年間で、土浦城主だった若水氏によると言われている。
再び中城通りに戻ると、左手に、「土浦まちかど蔵」大徳がある。
現在、見世蔵と袖蔵の2棟が公開されていて、見世蔵の1階は観光協会事務所、2階は多目的室があり、俳句集が見られた。
2階には和室が3部屋あり、ザクロの床柱がある。 螺鈿塗りの床の間には、小野小町の人形が置いてある。
天井は屋久杉の一枚板が10枚で成り立っている。 右端の床柱はエンジュの木、御隠居さんの部屋に「延寿」とは面白い。
尾形家は200年以上の歴史を有する呉服屋の老舗である。
蔵造りの建物は、1842年建築の元蔵をはじめ、見世蔵、袖蔵、向こう蔵の4棟が現存している。
二階に展示してあった俳句は、小野小町文芸賞・短歌俳句大賞の作品展であった。
土浦の近世の町屋は間口が狭く、奥行の深い「うなぎの寝床」で典型的な近世町屋の宅地割になっている。
「まちかど蔵大徳」の向い側には、登録有形文化財で景観重要建造物である「まちかど蔵野村」がある。
まちかど野村は江戸時代から明治初期に建造された3つの蔵からなっている。
一階には土浦市観光協会の中城観光案内所がある。
中城通りを西に向かってあるくと、 左手に、店蔵と袖蔵が1849年に建築された、未公開の矢口家住宅がある。
中城通りから左手にスクールゾーンの小径を進むと土浦幼稚園がある。
土浦幼稚園の東側には1622年設置された、土浦城の大手門があった。
大手門の跡から左手のたまき通りを北の向うと、左手に土浦小学校、右手に日蓮正宗の本妙寺がある。
更に進むと左手に、土浦聖バルナバ教会がある。 国道354号線まで歩き左折する。
正面に土浦市大手町歩道橋が現れる。
歩道橋に昇り、国道の354号線を南西に望む、この先、取手へ27km、東京へ65mである。
歩道橋から北東を望むと、右手先方に亀城公園がある。 歩道橋の右手に、郁文館の正門がある。
土浦藩の藩校であった、郁文館の正門は1839年に建築された。
郁文館はその後、洋学校化成館、新治師範学校、土浦高等小学校の校舎として使われた。
土浦まちかど蔵大徳
地図の中央の矢印がまちかど蔵大徳です <茨城県土浦市中央1丁目3にて>
土浦市街地の風景を、下記の「土浦市街地」のボタンをクリックして51枚のスライド写真でご覧ください。
国道を戻り、掘りに架かる橋を渡って北側から亀城公園に入る。
土浦城は室町時代後期ごろに若泉氏が築城したと伝えられている。
土浦城の初代城主の松平信一は、上田城主と同様に、安城市桜井の藤井松平の出である。
江戸時代初期には、松平氏、西尾氏、朽木氏が城主になった。
中期以降は譜代大名土屋氏が代々城主となった。 土屋氏の土浦藩領は9万5千石で常陸国では2番目であった。
橋の上から東を望むと、堀りは亀城通りに沿って南に曲がっている。
西を望む、右手に土浦市立博物館がある。 更に、博物館の前から、西側の掘りを南に望むと、右手前方に本妙寺がある。
園内に入ると、右手に、噴水があるひょうたん池がある。 亀城の泉の文字が見える。
園内には、妻の実家があるこの地から出馬した政治家、原脩次郎の銅像がある。
天然記念物の亀城の椎は樹齢五百年、樹高は16m、胸高周は7mある。
二の丸跡の芝生広場に出る。 芝生広場の西に橋があり、右手に本妙寺がある。
先程眺めた掘りを北に望むと、左に出る本妙寺、前方に博物館がある。 芝生広場の東側の内堀を東に望むと、先に霞橋がある。
北に望むと、本丸に通じる太鼓門である櫓門が見える。 櫓門は1656年に改築されたと伝えられている。
本丸にある櫓門としては関東地方唯一現存するもにである。 階上に太鼓を置き時を知らせていた。
櫓門を潜ると右手に、1998年に復元完成された東櫓がある。 東櫓は二層二階建ての木造本瓦葺き入母屋造りである。
東櫓は土浦市博物館の付属展示館として土浦城の紹介をしてる。
東櫓の窓からは、左手に、先程歩きた亀城通りに面した筑波銀行が見える。
北側には、亀城通りの向こうに、亀城プラザと亀城タクシー見える。
東櫓を出て、本丸跡の南東角にある霞門へ向かう。 霞門を潜り東に向って、東側の掘りを北の望む。
本丸土塁上に建つ西櫓を望む、漆喰で仕上げられた土塀に囲まれている。
東櫓の後は、1991年に復元完成した西櫓に向かう。 西櫓も東櫓同様に、二階建ての入母屋造りであるが、内部は未公開である。
亀城公園散策の後は、隣接した土浦市立博物館へ。 展示品には利根川水系で活躍した高瀬船がある。
博物館では現在、「土浦の先賢の碑と拓本」の展示会を開催中である。
般若寺所蔵で重文に指定されている、1275年鋳造の銅鐘の複製品を最後に亀城公園を離れる。
帰路の途中で、土浦北インターの近くにある、昨日休館だった小町の館に寄る。
近くには、小野小町の墓があり、883年7月7日にこの地で69歳で亡くなったとの伝説がある。
館内の係りの人に、小町の墓へのアプローチを尋ねたら、地主との対立で今は近づくことが出来ないという。
小野小町は上総国山辺郡(千葉県山武市)で郡司の娘として生まれた。
小野小町伝説は、2016年10月4日に山武市を訪れた時に小耳に挟んだ覚えがある。
館の近くには、茨城県内最大級の約7mの大きさの風車がある。
敷地内には風車の他に、毎年、小野小町文芸賞で選ばれた俳句や和歌の歌碑が並んでいる。
昨日訪れた小野小町の背後に見える、朝日峠展望台がある小町山を眺めてから、土浦北インターに向かう。
亀城公園
地図の中央の矢印が亀城公園です <茨城県土浦市中央1丁目13にて>
亀城公園の土浦城址を、下記の「亀城公園」のボタンをクリックして44枚のスライド写真でご覧ください。