亀城公園と土浦の街歩き     2019年6月18日



左、200年以上の歴史を有する呉服屋の老舗であった、土浦まちかど蔵大徳、      右、土浦藩の藩校で、1839年に建築された郁文館の正門

 ホテルルーイン土浦で朝を迎える。 窓の外は上天気、前が国体道路、左が市民会館通りである。  正面に異国風の建物が見える。 アオエミネラル研究所らしい。 今日の予定は、土浦市街と亀城公園の散策である。  右の方に目を移すと、2011年11月7日に登頂した筑波山が見える。  左側が男体山、左側が標高877mの女体山である。  ホテルの前に出て、市民会館通りを西に望むと、先方で、国体道路と交差する。  東に望むと、先方に、真鍋跨線橋がある。  ホテルルートイン土浦は今年の1月29日にオープンしたばかりである。  最近、ルートインに良くお世話になっている。 愛車に乗車してホテルを出る。
 亀城公園の駐車場に車を置き、亀城公園前から土浦市街地散策をスタートする。  国道125号線を、右手に亀城公園を見ながら南東に歩く。 更に進むと、左手に筑波銀行がある。  三菱UFJ銀行内浦支店の向こうに、中央一丁目交差点が見えて来た。  交差点から、国道125号線を南に望むと、右手に、NTT土浦の電波塔が見える。  土浦宿は水戸街道11番目の宿場町で日本橋から18里半の距離にある。  中央通り交差点の西側の中城通りの入口には、土浦町道路元標と桜橋の石碑がある。  中城通りを西に進む、通りは旧水戸街道で、中城商店街になっている。  この地は江戸時代より土浦の商業の中心地として栄えた。
 右手の琴平通りを北に進むと、中城山不動院の山門がある。 琴平通りは、山門の左側から更に奥へ続く。  中城不動院の本堂の創建は永亨年間で、土浦城主だった若水氏によると言われている。  再び中城通りに戻ると、左手に、「土浦まちかど蔵」大徳がある。  現在、見世蔵と袖蔵の2棟が公開されていて、見世蔵の1階は観光協会事務所、2階は多目的室があり、俳句集が見られた。  2階には和室が3部屋あり、ザクロの床柱がある。 螺鈿塗りの床の間には、小野小町の人形が置いてある。  天井は屋久杉の一枚板が10枚で成り立っている。 右端の床柱はエンジュの木、御隠居さんの部屋に「延寿」とは面白い。  尾形家は200年以上の歴史を有する呉服屋の老舗である。  蔵造りの建物は、1842年建築の元蔵をはじめ、見世蔵、袖蔵、向こう蔵の4棟が現存している。  二階に展示してあった俳句は、小野小町文芸賞・短歌俳句大賞の作品展であった。  土浦の近世の町屋は間口が狭く、奥行の深い「うなぎの寝床」で典型的な近世町屋の宅地割になっている。
 「まちかど蔵大徳」の向い側には、登録有形文化財で景観重要建造物である「まちかど蔵野村」がある。  まちかど野村は江戸時代から明治初期に建造された3つの蔵からなっている。  一階には土浦市観光協会の中城観光案内所がある。  中城通りを西に向かってあるくと、 左手に、店蔵と袖蔵が1849年に建築された、未公開の矢口家住宅がある。  中城通りから左手にスクールゾーンの小径を進むと土浦幼稚園がある。  土浦幼稚園の東側には1622年設置された、土浦城の大手門があった。  大手門の跡から左手のたまき通りを北の向うと、左手に土浦小学校、右手に日蓮正宗の本妙寺がある。  更に進むと左手に、土浦聖バルナバ教会がある。 国道354号線まで歩き左折する。  正面に土浦市大手町歩道橋が現れる。   歩道橋に昇り、国道の354号線を南西に望む、この先、取手へ27km、東京へ65mである。  歩道橋から北東を望むと、右手先方に亀城公園がある。 歩道橋の右手に、郁文館の正門がある。  土浦藩の藩校であった、郁文館の正門は1839年に建築された。  郁文館はその後、洋学校化成館、新治師範学校、土浦高等小学校の校舎として使われた。

     土浦まちかど蔵大徳 地図の中央の矢印がまちかど蔵大徳です      <茨城県土浦市中央1丁目3にて>
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左、初代城主が安城市桜井の藤井松平の出である土浦城の東櫓、             右、この地で小野小町が69歳で亡くなったとの伝説がある小町の館

 国道を戻り、掘りに架かる橋を渡って北側から亀城公園に入る。  土浦城は室町時代後期ごろに若泉氏が築城したと伝えられている。  土浦城の初代城主の松平信一は、上田城主と同様に、安城市桜井の藤井松平の出である。  江戸時代初期には、松平氏、西尾氏、朽木氏が城主になった。  中期以降は譜代大名土屋氏が代々城主となった。 土屋氏の土浦藩領は9万5千石で常陸国では2番目であった。  橋の上から東を望むと、堀りは亀城通りに沿って南に曲がっている。  西を望む、右手に土浦市立博物館がある。 更に、博物館の前から、西側の掘りを南に望むと、右手前方に本妙寺がある。  園内に入ると、右手に、噴水があるひょうたん池がある。 亀城の泉の文字が見える。
 園内には、妻の実家があるこの地から出馬した政治家、原脩次郎の銅像がある。  天然記念物の亀城の椎は樹齢五百年、樹高は16m、胸高周は7mある。  二の丸跡の芝生広場に出る。 芝生広場の西に橋があり、右手に本妙寺がある。  先程眺めた掘りを北に望むと、左に出る本妙寺、前方に博物館がある。 芝生広場の東側の内堀を東に望むと、先に霞橋がある。  北に望むと、本丸に通じる太鼓門である櫓門が見える。 櫓門は1656年に改築されたと伝えられている。  本丸にある櫓門としては関東地方唯一現存するもにである。 階上に太鼓を置き時を知らせていた。  櫓門を潜ると右手に、1998年に復元完成された東櫓がある。 東櫓は二層二階建ての木造本瓦葺き入母屋造りである。  東櫓は土浦市博物館の付属展示館として土浦城の紹介をしてる。  東櫓の窓からは、左手に、先程歩きた亀城通りに面した筑波銀行が見える。  北側には、亀城通りの向こうに、亀城プラザと亀城タクシー見える。
 東櫓を出て、本丸跡の南東角にある霞門へ向かう。 霞門を潜り東に向って、東側の掘りを北の望む。  本丸土塁上に建つ西櫓を望む、漆喰で仕上げられた土塀に囲まれている。  東櫓の後は、1991年に復元完成した西櫓に向かう。 西櫓も東櫓同様に、二階建ての入母屋造りであるが、内部は未公開である。  亀城公園散策の後は、隣接した土浦市立博物館へ。 展示品には利根川水系で活躍した高瀬船がある。  博物館では現在、「土浦の先賢の碑と拓本」の展示会を開催中である。  般若寺所蔵で重文に指定されている、1275年鋳造の銅鐘の複製品を最後に亀城公園を離れる。
 帰路の途中で、土浦北インターの近くにある、昨日休館だった小町の館に寄る。  近くには、小野小町の墓があり、883年7月7日にこの地で69歳で亡くなったとの伝説がある。  館内の係りの人に、小町の墓へのアプローチを尋ねたら、地主との対立で今は近づくことが出来ないという。  小野小町は上総国山辺郡(千葉県山武市)で郡司の娘として生まれた。  小野小町伝説は、2016年10月4日に山武市を訪れた時に小耳に挟んだ覚えがある。  館の近くには、茨城県内最大級の約7mの大きさの風車がある。  敷地内には風車の他に、毎年、小野小町文芸賞で選ばれた俳句や和歌の歌碑が並んでいる。  昨日訪れた小野小町の背後に見える、朝日峠展望台がある小町山を眺めてから、土浦北インターに向かう。

   亀城公園 地図の中央の矢印が亀城公園です        <茨城県土浦市中央1丁目13にて>
亀城公園の土浦城址を、下記の「亀城公園」のボタンをクリックして44枚のスライド写真でご覧ください。

  
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