旧古河庭園と鳩山会館のバラ     2019年6月01日



 左、旧古河庭園の洋風庭園のテラスに咲く薔薇、                  右、開花につれ白い花弁の先に紅をさす姿が鶴の丹頂を思わせる「丹頂」

 旧古河邸のバラを尋ねて、京浜東北線の上中里駅にて下車する。  本郷通りの西ケ原交差点に出て、滝野川会館前歩道橋に昇り、旧古河庭園の正門を望む。  歩道橋の上から滝野川支所前通りを東に望む。 左に滝野川会館がある。  本郷通りを北西に望むと、左に、旧古河庭園の正門が見える。  本郷通りを南に望むと、左に、滝野川警察署西ケ原交番がある。  都立旧古河庭園正門に到着する。 現在、春のバラフェスティバルを開催中である。  受付を通って、庭内に入ると、大谷美術館になっている石造りの洋館が目に入る。
 洋館と洋風庭園はジョサイア・コンドルの設計によるものである。  サイア・コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸庭園洋館も手掛けている。  21年前の1998年7月19日に訪れた桑名の六華苑を思い出した。  洋館は英国貴族の邸宅にならった古典様式で天然スレート葺き煉瓦造りである。  10年前の2009年7月19日に、旧古河邸を訪れた時は、洋館の内部も見学した。  テラス式の洋風庭園内には、約100種類・199株もの薔薇が咲き誇る。  園内に咲くバラの花を、コメントも合わせて一つ一つ丁寧に眺める。
 既に萎んだ花もみられるが、盛花については、出来るだけ写真を撮る。 カメラに収めた薔薇には次のようなものがある。  万葉のロマンをイメージした花である「万葉」、珍しい緑白の薔薇の「緑光」、 ソフトピンクの可憐な花がロマンチックな雰囲気を醸し出す「シンデデラ」、「アルべリック・バルビエ」、「ダブル・ディライト」、 開花につれ白い花弁の先に紅をさす姿が鶴の丹頂を思わせる「丹頂」、「誰もが赤いバラでイメージするような花の「熱情」、「メリナ」、 深いカップ咲きから優雅なロゼット咲きへと変化する「カインダ・ブルー」、「ゴールデン・メダイヨン」、 香水の原料ともなっている「芳純」、バラの赤色の基準である「カーディナル」、 サチは鈴木善幸夫人の名前から名付けた「マダムサチ」などである。  テラス式の庭園に植えられたバラは、春と秋に見事な大輪の花を咲かせる。 バラ園の周りには、躑躅などの花が取り囲んでいる。  洋館の前のバラを観賞した後は、庭園巡りに出発する。

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 滝壺まで20m落ちる「大滝」の前に佇む「渓流の宝石」と呼ばれるカワセミをカメラに収める人々

 庭園巡りの最初は、洋館の東にある芝生広場に行き、、古河庭園を南に望む。  芝生広場から坂を下ると、書庫がある。 書庫から階段を降りると、心字池に出る。  心字池に繋がる小川に架かる石橋の上から、心字池越しに雪見灯籠が見える。  心字池の周りには、色々な塔が置かれている。 十五層塔の語源はスツーパで仏塔の一種である。  濡鷺型灯籠は笠が厚くむくりが無いのが特徴である。
 古河庭園の日本庭園は、明治・大正期の庭師、植治の作として有名である。 日本庭園の中心である心字池は、心の草書体を形取っている。  心字池は鞍馬平石や伊予青石などで造られている。 庭園で見られる崩石積は、石と石が噛み合って崩れそうで崩れない工法である。  蕨手が角柱、竿は太く節も3つある泰平型灯籠、奥の院型灯籠も見受けられる。  大勢の人が集まって前方を見ている。 目の先には、滝壺まで20m落ちる「大滝」がある。  多くの人が、望遠カメラを向けている、その先の滝壺の前の岩の上に小鳥の姿が見える。  鳥の胸と腹が橙色、頭は青く鱗の模様が見える。 「渓流の宝石」と呼ばれるカワセミである。
 水辺によく据えられ、水面に浮いて見える「雪見型灯籠」が目の前に。  雪見型灯籠の向こうでは、未だ、カワセミを眺める集団が見える。  春日大社の神獣である鹿と鳥居を組み合わせた「春日型灯籠」、「奥の院型灯籠」など多くの灯篭を楽しむ。  庭園の林の中を、南東の角地に向って歩くと、現在閉鎖中の染井門がある。  再び、心字池に戻る。 船着石がある、心字池最大の島は北岸との間で渓谷を造っている。  渓谷の北にある築山に上り、周りを見渡す。 渓谷の東側に木橋、西側に石橋が架かっている。  この渓谷は小川治兵衛が最も力を入れた場所の一つである。 渓谷の眺めを最後に、旧古河庭園での散策を終える。  春のバラフェスティバル開催中の旧古河庭園を出て、次の目的地の鳩山邸へ向かう。

   旧古河庭園 地図の中央の矢印が旧古河庭園です        <東京都北区西ケ原1丁目27にて>
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 左、建築家岡田信一郎の設計である鳩山邸の第二応接室にて             右、踊り場にある、工芸家小川三知の作品である五重塔のステンドグラスは

 旧古河邸庭園から本郷通りに出て、北西に歩き南北線の西ヶ原駅へ。  地下鉄西ヶ原駅がある本郷通りの左右をカメラに収めてから、地下鉄に乗って江戸川橋駅へ向かう。  地下鉄有楽町線の江戸川駅にて下車し、江戸川交差点に出る。  江戸川橋を渡って、目白通りを北に向かって歩く。
 鳩山会館の入口は音羽通りの東側にあるので、横目で見ながら通り過ぎる。  文京福祉センター前交差点でUターンし、鳩山邸の前に来る。  鳩山の名札がある、鳩山会館の門の前で記念写真を撮り、坂を登って行くと、鳩山邸の玄関に至る。  鳩山家の洋館は文京区の音羽の丘の上にある。  玄関を入ると、緋の絨毯が敷かれた階段があり、一階の応接室へと通じている  廊下の南側には、三つの応接室がある。 中央の第二応接室で、先ず、一服する。  第二応接室の西側には、第一応接室、東側には、第三応接室がある。  第二応接室と第三応接室の南側はサンルームになっている。
 サンルームからは、南に広がる庭園が見渡せ、外に出ることもできる。  一階から二階へ、踊り場にある、五重塔の上を鳩が舞うステンドグラスは工芸家小川三知の作品である。  二階は廊下の南側中央に大広間、左右に、一郎記念室と威一郎記念室がある。  廊下を西に進むと、テラスに出る。 テラスから周りを眺める。 土地だけで評価額は50億円とも云われている。  鳩山会館は1924年に、一郎の私邸として建設されたもので、建築家岡田信一郎の設計である。  鳩山会館は森の中にある、音羽通りに面したマンションのパークスクエア文京音羽が梢越しに見える。

     鳩山会館 地図の中央の矢印が鳩山会館です      <東京都文京区音羽1丁目7にて>
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 鳩山家の業績を伝える記念館として再生された鳩山会館と躑躅に囲まれた水場で元気に泳ぐ錦鯉

 二階の大広間へ。 元は寝室3部屋であったが、修復時に間仕切りを撤去して大広間に改造した。  大広間の北側の壁には一郎の書「和為貴」が飾られている。  鳩山会館は音羽御殿の通称で知られ、戦後政治史の舞台の一つに数えられている。  鳩山会館では、毎年4月には観桜会が催され、中央政界の重要人物が多く出席する。  大広間からは、庭園が一望できる。 芝生広場の左には、鳩山一郎の銅像が立っている。  手前の池には錦鯉が泳いでいる。 芝生広場の南側には、バラ園が広がっている。  2階から再び1階に降りる。 応接間からサンルームを通って庭園に出る。
 鳩山邸では、1950年自由党発足時、党の創設や政策論議が交わされた。  1995年に大規模な改修工事が行われ、鳩山家の業績を伝える記念館として再生された。  池の背後には、台座の上に和夫の胸像、脇に、春子の坐像がある。  鳩山一郎の銅像に下には、第二十五代内閣総理大臣の文字が見える。  躑躅に囲まれた水場で元気に泳ぐ錦鯉を何時までも眺める。  鳩山会館は記念館として、1996年6月1日にオープンした。  鳩山会館は、花より男子、花子とアンなどテレビドラマのロケ地として使われている。  庭園では、お目当ての薔薇より、満開の躑躅の方が目立った。
 躑躅からバラ園の方に足を向ける。 鳩山会館の中庭には、約90種類・140株のバラが、春と秋に咲く。  鳩山会館のバラは最盛期を過ぎたのか、咲いている花が疎らである。 今日は、先に、旧古河庭園のバラ園に行ってのが不味かったか。  邸宅見学に、時間を費やしたので、バラの観賞は早々に切り上げる。 洋館を見上げ、世襲化する政治家の一端を垣間見たような気がした。  鳩山邸の見学を終え、江戸川橋駅を目指し、鳩山邸から音羽通りに出る。  江戸川橋を渡って、江戸川橋交差点にある有楽町線江戸川橋駅へ向かう。

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