旧東海道六郷から川崎     2019年3月20日


 多摩川の河川敷と明治天皇六郷渡御碑

 
 3月15日に旧東海道を六郷土手駅迄歩いたので、今日は六郷土手駅からスタートする。  六郷土手駅を出て右折し、更に、路地へと右折すると六郷渡し跡がある。  六郷の渡しは八幡塚村と川崎宿を結ぶ多摩川の渡しで、旧東海道に於ける江戸の玄関口であった。  六郷の渡し跡には、現在、とめ天神北野神社がある。 神社の境内には、力石があり、撫ぜるとぼけ防止になると云われている。  北野神社の御加護で、吉宗の落馬が防げたとのことで「とめ天神」と言われている。  北野神社の横に宮本台緑地があり、六郷橋の親柱や橋門が保存されている。  徳川家康が1600年に長さ120間の六郷大橋を架けた記録がある。  六郷大橋は千住大橋、両国橋とともに江戸の三大橋とされた
   六郷橋は1688年の洪水で流失した後、明治になる迄橋を架けず、渡船が利用された。  渡し場の様子は、歌川広重の浮世絵や「江戸名所図会」などで知ることが出来る。  六郷の渡し跡から、多摩川左岸の土手に上がり、更に六郷橋へ。 多摩川に架かる六郷橋は、大動脈の第一京浜が走っている。  左岸上流は六郷ゴルフ倶楽部になっていて、多くのゴルファーの姿が見える。  江戸時代には渡船が続いたが、明治六年に木造の左内橋が、鈴木左内によって架橋された。  六郷橋の上流には、京急本線六郷川橋梁と東海道本線六郷川橋梁が並行して架かっている。
 京急本線六郷川橋梁に白枠の窓に赤い車体の京急の電車が入ってきた。  六郷橋から多摩川を上流に望む。 京急本線の電車が引っ切り無しに走っている。  多摩川右岸を望むと、ダイアパレス・グランデージ川崎・多摩川リバーウィングスが見える。  橋の中央から南は、神奈川県川崎市、北は東京都大田区である。  多摩川下流右岸には、地上29階の3本のタワーマンション「リヴァリエ」が建っている  現在の橋は1997年に完成し、全長443.7m、幅員は34.4mである。
 六郷橋は箱根駅伝の通過点としても知られている。多摩川は延長138kmで、護岸化されない部分が多く、自然豊かな河川である。  六郷橋は河口から数えて二番目の橋である。 六郷橋南詰下流には、明治天皇六郷渡御碑がある。  六郷橋南詰を上流から下流に向かう。 六郷の渡しには常時十数隻の舟がいた。  1868年明治天皇御渡の際は、23隻による舟橋が架けられた。  明治中頃は、大師河原村で生まれた「長十郎」の梨畑が多摩川沿いに延々と続いていた。  六郷橋左岸下流には、東六郷地区の住宅地が見える。

     明治天皇六郷渡御碑 地図の中央の矢印が明治天皇六郷渡御碑です      <神奈川県川崎市川崎区本町2丁目にて>
六郷土手から六郷橋までの旧東海道の風景を、下記の「六郷土手から六郷橋」のボタンをクリックして36枚のスライド写真でご覧ください。

     
 2013年に開館した東海道かわさき宿交流館

 六郷橋の下を潜って、橋の南詰め上流から始まる旧東海道に向かう。  六郷橋を渡って、南詰の右手のスロープを降りると川崎宿の旧東海道が今でも残っている。  川崎宿を入って直ぐの江戸口に「奈良茶飯」で宿場一の茶屋になった万年屋の説明板がある  この辺りは、大師道への分岐点で、医王寺迄の大師道は「万年横町」と呼ばれた。  旧東海道を北東に望む。 正面に六郷橋に続く旭高架橋が見える。 此処から旧東海道の川崎宿が始まる。  旧東海道の両側の幟には、川崎宿起立400年を迎える2023年の意気込みが見られる  江戸口を望む。 左がプルミエール多摩川、右が多摩川リバーウィングスである。
 日本溶接技術センターの前を通り、本町交差点に到着する。  左右が大師道で、左に行くと2018年2月15日に訪れた川崎大師がある。  交差点の北側に、1951年に再建された、史跡川崎宿の川崎稲荷社の案内板がある。  1716年吉宗が江戸に向かう途中に、本陣近くのこの稲荷社境内で休息したと云われている。  川崎稲荷社は、古くから川崎新宿のお稲荷様として、土地の人々の信仰を集めて来た神社である。  再び、旧東海道の本町交差点に戻る。
 本町交差点の右手向こうに「田中本陣跡」がある。  旧東海道を本町交差点から西南に、宿場の中心に向かって歩く。  田中本陣は三つあった本陣の中で、最も江戸に近いため「下の本陣」と言われた。  田中休愚は六郷川の渡船賃で宿場を立て直した。  旧東海道には、所々に旧東海道を示す石柱が立てられ、両脇には色鮮やかな幟が立ち並んでいる。  2013年に開館した「東海道かわさき宿交流館」の前に来る。
 交流館は、最初にビデオによる「六さんの川崎宿今昔物語」が上映される。  江戸口にあった茶屋「万年屋」を再現したコーナーがあり、坂本竜馬が久坂玄瑞と万年屋で会合した記録がある。  交流館の2階に上がり、係りの人に川崎宿について解説して貰い時間の経つのを忘れる。  「東海道川崎宿2023」は、川崎宿が出来て400年目の2023年に向けて行事進める、地元の人の団体である。  道端に、戦前派にはお馴染の丸型ポストの復活第1号がある。  このポストが復活した2005年当時には、全国で5千本の丸型ポストがあった。  砂子一丁目交差点に来て、旧東海道を北東に望む。 北側角に中の(忽兵衛)本陣、東角に問屋場跡がある.  セブン・イレブンの前にあった問屋場は宿場業務を監督する所で、約30名の問屋役人がいたと言われている。

   東海道かわさき宿交流館 地図の中央の矢印が東海道かわさき宿交流館です        <神奈川県川崎市川崎区本町1丁目にて>
旧東海道川崎宿の風景を、下記の「旧東海道川崎宿」のボタンをクリックして48枚のスライド写真でご覧ください。


 稲毛神社と川崎ハローブリッジ

 旧東海道から離れ、市役所通りに出て左折すると、左前に明治安田生命ビルが見える。  川崎市役所前から市役所通りを西に望むと、右端に市役所第2庁舎が見える。  市役所通りから左折して稲毛公園に入ると、左手に、1925年から1984年迄架かっていた、旧六郷橋の親柱がある。  稲毛公園はタイル張りの広場のみの公園で、奥に稲毛神社がある。  稲毛神社の創建年代は不詳である。 景行天皇が稲毛神社に賊難を避けたと伝えられている。  又、佐々木四郎高綱公が源頼朝の命を受け御社殿を造営したと云われている。  境内には、「六郷の橋まで来たり春の風」の正岡子規没後100年記念句碑がある。  御神木の銀杏の木は樹齢が一千年と推定され、周りに十二支巡りの碑がある。  稲毛神社の本殿に参拝する。 8月2日の例祭は、川崎山王まつりと呼ばれている。
 稲毛公園を出ると、第一京浜と市役所通りとの交差点に、「川崎ハローブリッジ」がある。  ブリッジの上から第一京浜を北東に望む、左に稲毛神社の鳥居が見える。  第一京浜を南西に望むと、左にNTT川崎支店のビルが見える。  市役所通りは、川崎ハローブリッジから東に行くと、富士見通りになる。  ブリッジから第一京浜に下りて、新川橋交差点に向かって歩。  第一京浜を南西に歩き、東田交差点から川崎ハローブリッジを振り返ると、左に川崎区役所がある。  新川橋交差点迄来て、第一京浜を北東に望むと、左に住生ビルがある。  新川橋交差点から新川通りを北西に望む、この先にJR川崎駅があるので右折する。
 横浜銀行の前から、今来た新川通りを南東に望む。 この先に新川橋交差点がある。  新川通りを北西に望むと、右手に煉瓦色の互恵ビルが見える。  小土呂橋交差点から新川通りを北西に望む。 右端がメガネスーパーの建物  新川通りを南東に望む。 煉瓦色のビルが互恵ビルである。  駅前南交差点に到着して北東を望む、左手に京急本線の高架が見える。  駅前南交差点に到着し、高架を潜って川崎駅に向かう。 アトレ川崎を通り抜ければ、JR川崎駅である。

     稲毛神社 地図の中央の矢印が稲毛神社です      <神奈川県川崎市川崎区宮本町にて>
稲毛神社周辺の風景を、下記の「稲毛神社」のボタンをクリックして25枚のスライド写真でご覧ください。

  
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