大森貝塚     2019年3月09日


 大森貝塚遺跡庭園にあるモース博士の胸像

 
 大森貝塚見学のため、京浜東北線大森駅にて下車し、中央口から北0番街に出る。  「アトレ」の前から東の方向に、大森駅東口駅前広場が見える。  左折して、北0番街を北に進と、左手に、線路沿いの細長い大井水神公園がある。  公園内には、西洋調の白い塔の様な花壇がある。 右前には、下水道管の空気の圧力を逃がすための「空気抜き塔」がある。  左手に遊園地が見えて来た、線路の左側が大森遺跡公園である。 公園の梅は、略、満開である。  先程と同じような「空気抜き塔」の左手に、線路を潜る桐畑地下道があり、縄文の道と呼ばれている。  地下道を進むと、池上通りに出る。 左折すると大森貝塚遺跡庭園の前に出る。  大森貝塚は1877年9月16日に発見発掘され、今年が142周年になる。  国指定史跡である「大森貝塚」は日本考古学発祥の地である。
 庭園の中央には、「縄文の広場」があり、南側に縄文土器と地層をイメージした「地層の回廊」がある。  縄文の広場の東側には「モースの広場」があり、モースの生誕の地であるポートランドとの姉妹都市記念碑がある。  モースの広場の中心には大森貝塚の発見者、モース博士の胸像がある。  地層回廊の上から庭園の正門を望む。 前が、池上通りである。  北の方向には、門があり、その奥にモース博士の胸像がある。 回廊の南側には、貝塚展示ブースがある。  貝塚展示ブースは実物の貝層を利用して、発見当時の貝塚を復元している。  大森貝塚からの出土品は、全て国の重要文化財になっている。  公園の東側の線路上には、緑のストライブが特徴の国鉄185系の特急型直流電車が走っている。  往時、特急列車「踊り子」として使われていた。  次は、京浜東北線のE233系車両が行き交う。 東海道線を走る、JR東日本E231系の一般型車両も見える。  モース博士は車窓から大森貝塚を見つけたと学校で習った覚えがある。
 線路際には、大型の「大森貝塚」の碑が設置されている。  大森貝塚遺跡庭園を見学した後、再び、池上通りに出る。  池上通りを北に向かって歩くと、右手前方に、大井鹿嶋神社がある。  神社は「しながわ百景」に認定されている。  鹿嶋神社社伝によると、969年に常陸国鹿嶋神宮から分霊を勧請したのが始まりである。  鹿嶋神社本殿に参拝する。 現在の社殿は1931年に竣工したものである。  境内には、品川の歴史散策グループらしき一団が見える。

     大森貝塚遺跡庭園 地図の中央の矢印が大森貝塚遺跡庭園です      <東京都品川区大井6丁目21にて>
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 旧東海道の美原通りに立つ石碑

 鹿嶋神社から、池上通りを更に北に歩くと、右手に「品川区立品川歴史館」がある。  品川歴史館は郷土資料の保存と活用、区民文化の向上を目的に1985年に開館された。  歴史館敷地内には、古墳・奈良時代の大井鹿島遺跡があるや昭和初期に建てられた茶室「松滴庵」がある。  本日は、特別に一般公開しているとのことで、早速、見学させてもらう。  松滴庵は二棟の建物が廊下で繋がっている。 四畳半茶室棟の四畳半の部屋を覗く。  右の前室から通用口を通って外に出ると、左手に水屋がある。  前室から二畳中板茶室棟の水屋と奥の二畳中板を覗く。 外に出ると、早咲きの桜か桃か、満開である。  茶室の後は歴史館に入り、最初に、大森貝塚の展示を見る。  往時、近隣にあた常滑の常滑焼の大甕が目に付く。 15世紀前半の頃太平洋海運で各地に運ばれたものである。  東海道品川宿の展示品の見学を最後に歴史館を出て、第一京浜へ向かう。
 歴史館の近くにある、782年に開創された、光福寺に寄り参拝する。  光福寺には、大井の地名の由来になった大井の井戸があった。 近くに、鈴ヶ森公園がある。  第一京浜国道に出て、北を望むと、国道15号線第一京浜南大井の歩道橋が見える。  国道を南に歩く。 左手の建物の上に、「鈴ヶ森刑場跡 大経寺」の文字が見える。  大経寺の南に、前回訪れた、「鈴ヶ森刑場跡」が見えて来た。  鈴ヶ森交差点に到着して、東を望む。 右の高架線が鈴ヶ森入口から首都高速羽田線へのアクセス道路である。  南に歩き、東を望むと、首都高速羽田線の向こうに、品川水族館の入口がある。  前方に、首都高速の鈴ヶ森入口が見えて来た。 大森海岸駅交差点に到着する。  左手に見える白いビルがホテルの「Tマークシティ」が見える。  大森海岸駅交差点から第一京浜を南に望むと、左手前に「クリオ壱番館」がある。
 国道15号線東側の歩道の左手に、磐井の井戸がある。  井戸は、前にある磐井神社の由来となった井戸で、東海道往来の旅人に利用された。  磐井神社は武蔵国の八幡社の総社で、神明帳にも記載されている。  江戸時代には、徳川家の将軍も磐井神社に参詣したことが記されている。  平和島口交差点の南にある、バス停「平和島入口」から南に歩くと、左に狭い道が枝分かれする。  旧東海道である。 旧東海道に入ると、「大森本町 ミハラ通り北商店会」の文字が見える。  道路脇には「旧東海道」の石碑も見られ、往時を示す石盤もある。  第一京浜の開通に伴い、旧東海道の景観は著しく変貌した。  この美原通りは、往時の旧東海道の幅員を比較的残している少ない地域の一つである。
 旧東海道を南に歩くと右手に、1950年に建立された比較的新しい「美原不動尊」がある。  美原不動尊の前にも、海苔問屋「川島屋」があったが、「川良海苔店」なる店もある。  美原通りも仲町商店会に入る。 「江戸の汐風 絆の街」の文字が見える。 環七美原通り交差点に出る。  交差点から、旧東海道を北に望む。 今日の散策は此処までとする。  交差点越しに、旧東海道を南に望むと、左にレジディア大森東、右に松尾ビルが見える。  美原通りから右折して駅に向かい、環七通りを西に歩くと、第一京浜の高架橋が見えて来た。  京急本線の高架橋の下にある平和島駅に到着する。

   美原不動尊 地図の中央の矢印が美原不動尊です        <東京都大田区大森本町2丁目1にて>
品川歴史館から旧東海道の美原通りの風景を、下記の「品川歴史館から美原通り」のボタンをクリックして52枚のスライド写真でご覧ください。

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