縄文展と加曾利貝塚   2018年8月21日


 撮影用の深鉢形土器を取り囲む人々

 
 夏休みを跨いで、上野の東京国立博物館にて特別縄文展を開催中でとのことで、 悪天候続きで行くのを迷っていたが、展示終了日が迫って来たので、8月21日に出かけてきた。  今回は特別展として、国宝の土偶5点の全てと火炎土器が出展されるので、週日にも拘わらず予想以上の賑わいである。  関西を中心とした西日本では、古墳時代や奈良・京都に関心があり、史跡の少ない縄文時代の話題が少ないが、 遺跡が集中する関東では、縄文遺跡の話題に沸騰している。
 東京国立博物館に入ると、正面に、重要文化財のの本館がある。  本館の左手に行くと、同じく重要文化財で、中央と左右にドーム屋根を頂いた表慶館がある。  特別縄文展は、さらに奥の特別展専用の展示室がある平成館で行われている。  平成館の前庭の付近には、鴎外が総長として執務した総長の居室があった。  今回は、特に国宝の土偶5点が勢揃いしたのが最大の呼び物である。  「縄文のビーナス」と「仮面の女神」は、10年前の2008年10月22日に訪れた、茅野市の「尖石縄文考古館」以来の再会である。  1960年初版の江坂輝彌の「日本の土偶」には、既に、「空中土偶」や「合掌土偶」が紹介されている。
 館内は撮影禁止のため展示品は写真が取れなかったが、最後に撮影用の土器が展示してあった。  展示品の深鉢形土器は縄文土器として最初に現れた土器である。  学校で習った土器の5,000年前の土器の出現は、今や16,500年と云われている。  特別縄文展を参観後本館に移動する。 夏休み向けの「なりきり日本美術館」が開催中であった。  縄文遺跡は関東を中心に東日本に集中し、学区内にあった安城市の堀内貝塚辺りが西端と知った。  今までは、古墳や飛鳥、奈良時代が興味の中心であったが、縄文時代にも興味が持てた。

     東京国立博物館 地図の中央の矢印が東京国立博物館です      <東京都台東区上野公園13にて>
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     縄文式フィギュア「土器娘まほ」と「土器娘まや」

 飛ノ台史跡公園博物館で開催中の第18回縄文コンテンポラリー展が9月2日までとのことで、9月1日に訪れる。  縄文コンテンポラリー展「とび博土偶のアート伝説」として、作品を展示している。  館内では、市内遺跡出土土器と現代アートを組み合わせた作品などを展示している。  展示作品としては、田乃上顕治作の縄文式フィギュア「土器娘まほ」と「土器娘まや」が、先ず目に留まった。  飛ノ台貝塚や市内の縄文史蹟から出土した、7000年前の23個の土器が纏めて、壁一面に展示されている。
 展示土器の中には、「飛ノ台のシンボル」と呼ばれている、飛ノ台貝塚で出土した縄文時代早期(約7000年前)の野島式土器があった。  船橋で発見された最大の土器である、海老ヶ作貝塚出土の深鉢形土器や約4500年前の甕形土器、 高根木戸遺跡から出土の縄文時代中期(約4500年前)の深鉢土器、縄文時代前期(約7000-6000年前)の向遺跡出土の深鉢土器、 子どもを埋葬したと思われる土器や古作貝塚出土の土器が目に付いた。  出土品の土偶を期待していったが、アートがあるだけで、海老ヶ作貝塚出土の人面把手が目を引く程度だった。  博物館の展示品を見学した後、館外にある「飛ノ台貝塚」に向かう。
 飛ノ台貝塚は縄文時代早期(約7千年前)の遺跡で標高12-15mの台地辺縁部に位置している。 遺跡は東西600m、南北60-200mの範囲に広がっている。  この貝塚で、縄文時代早期の特徴的な遺構である「炉穴」が日本で初めて発見された。  「炉穴」は屋外で煮炊きや燻製づくりなどを行った施設と考えられている。  貝塚の下から発掘された男女の人骨が、古い時期の合葬例として全国的に注目を集めた。  博物館を出るときに、係りの人から、次回は是非「加曾利貝塚」を訪れるように勧められた。

   飛ノ台史跡 地図の中央の矢印が飛ノ台史跡です      <千葉県船橋市海神4丁目27にて>
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 加曾利貝塚では現在も発掘調査が続けられている

 先日訪れた飛ノ台史跡公園博物館の受付の人に勧められ、京葉道路の貝塚インターから加曾利貝塚へ向かう。  加曾利貝塚は、現在、加曾利貝塚縄文遺跡公園になっていて、2017年に特別史蹟に指定された。  最初に博物館に向い、ボランティアの説明員に解説をお願いする。  縄文時代の貝塚は、全国に2,400ヶ所あるが特別史跡に指定されているのは加曾利貝塚だけである。  予定時間はと聞かれ、今日は此処だけですと答えたら館内だけで、1時間半も説明して呉れた。
 博物館を出て、最初に北貝塚貝層断面観覧施設に向かう。  加曾利貝塚は東京湾沿岸の大型貝塚を象徴する8字形の特異な貝塚である。  貝層には、竪穴住居跡床面の上に、イボキサゴの純貝層や破砕貝層が見える。  貝層の中には、マテガイ、マガキ、ツメタガイが見られ、貝が小さいことから住民が食用にして遺棄したことが分かる。  次は竪穴住居跡群観覧施設に向かう、屋外の観覧施設でも別のガイドさんが1時間半説明して呉れる。
 加曾利貝塚の集落は2,000年間(約5000年前から3000年前)暮し続けられた。  学校で習った縄文時代の非定住説の狩猟採集生活が定住説に変わった証拠である。  最後に訪れた南貝塚貝層断面観覧施設では、樹の年輪に変わる貝の日輪の話に興味を持った。  加曾利貝塚では現在も発掘調査が続けられている。  キャリパー型土器の加曾利E式土器などにより、加曾利貝塚は縄文土器編年の標準遺跡になっている。  ボランティアガイドの3時間に及ぶ講義に満足して遺跡を後にする。

       加曾利貝塚 地図の中央の矢印が加曾利貝塚です      <千葉県千葉市若葉区桜木2丁目20にて>
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