蒲郡散策     2018年4月12日


 アイデアで全国的に知られている小さな竹島水族館

 
 4月11日、名古屋からの帰りに、 東海道本線蒲郡駅にて降車し、北口から蒲郡の散策をスタートする。  蒲郡駅北口から右手を望むと、元町神明ビルが見える。  蒲郡北駅前交差点に向って北に歩く。 左手に蒲郡駅前ビルがある。  蒲郡北駅前交差点から駅前本通りへ。 右手に角に、70年前に良く入店した金原書店がある。  蒲郡北駅前交差点から東を望む、正面角にGLKビルが見える。  駅前本通りを北に進む、左手に柏屋がある。 広小路交差点に出る。  駅前本通りは昔は中新道と呼ばれた繁華街であった。
 広小路交差点で右折して、市役所通りを東に歩く。 神明交差点が見えて来た。  神明交差点に来て、南を望むと、先程の蒲郡駅が見える。  神明交差点の北東角に、蒲食亭「恵比蔵」がある。 神明交差点から市役所通りを、更に、東に歩く。  右手に、オカダ写真店がある。 同窓会の写真は、毎回オカダ写真店でお願いしている。  薬師林交差点を過ぎると、左手に、スーパーのサンヨネ蒲郡店や昭和29年創業のラーメン幸楽苑がある。  右手にある、西尾信用金庫を過ぎると、三河湾オレンジロードの府相交差点に到着する。  府相交差点で右折して、国道473号線の三河湾オレンジロードへ進む。
 東海道本線のガードを潜り、名鉄バスの松原町バス停を通過して、竹島入口交差点へ。  竹島入口交差点に到着。 右手前方に進むと、竹島遊園地になる。  竹島入口交差点で左折して、国道23号線を西に進む。 左手に永向寺がある。  右手に「studio.K2」の看板を掲げたモダンな家がある、美容院である。  押しボタン式信号機がある、丸山町の交差点に到着。 西田川に架かる凱旋橋に到着する。  この橋が蒲郡町と三谷町の境だった。 西田川が蒲郡市の最大の河川である。  右折して、西田川の右岸を下流に歩く。 マリンロードが通る西田橋に到着。  マリンロードを西に進むと、左手、丘の上に、蒲郡クラシックホテルがある  竹島園地交差点に到着、左方に進むと竹島遊園地がある。
 交差点からオレンジロードを北に進むと、東名の音羽・蒲郡インターに接続している。  マリンロードを、更に、西に進むと、左手にホテル竹島がある。  マリンロード沿いの土産店はシャッターが目立ち、唯一、竹島水族館だけが健闘している。  エディオン蒲郡店やカルチャースクールの「サーラ」を通り過ぎると、 今夜の宿の蒲郡荘に到着する。 蒲郡荘は公立学校共済組合蒲郡保養所である。  蒲郡のホテルに泊まるのは、蒲郡クラシックホテル、ホテル竹島に続いて3軒目である。

     竹島水族館 地図の中央の矢印が竹島水族館です      <愛知県蒲郡市竹島町1にて>
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     三河湾国定公園の中核である竹島から眺める蒲郡クラシックホテル

 蒲郡荘にて、4月12日の朝を迎える、部屋の窓から左手を望むと竹島が見える。  左手の海の中に大島が見える。右手に竹島埠頭がある。  竹島埠頭を蒲郡港が囲み、その向こうに蒲郡埠頭が見える。  窓の外は三河湾国定公園が広がるが、観光地の見栄えは無い。  蒲郡荘の玄関に当たる北側は左右にマリンロードが走っている。  蒲郡荘の東側に隣接して、サーラプラザ蒲郡がある。 蒲郡荘を出発。  マリンロードに出て、東に歩く。 今朝は、上天気なので、先ず、竹島神社に参拝。  左手にアイデアで全国的に知られている蒲郡水族館がある。  昔は繁盛した土産店も、今や、観光客の姿は疎らである。
 小学校と中学校の同窓会の定例場所になっている「ホテル竹島」の前を通り、  竹島遊園地に来て、海岸から西を望む、蒲郡港の背後に三ヶ根山が見える。  三ヶ根山に最初に登ったのは、70年前で、当時、三河地震の断層が露見していた。  竹島の右手に、西浦半島の御前崎が見える。 竹島には全長387mの竹島橋で渡ることが出来る。  竹島橋は縁結びの橋と呼ばれている。 竹島は国の天然記念物に指定されている。  竹島は三河湾に浮かぶ無人島で、三河湾国定公園の中核である。  竹島遊園地には藤原俊成の銅像、その背後の丘の上に蒲郡クラシックホテルがある。  藤原俊成は1145年から3年半の間、三河の国司を務めた。
 この辺りは、戦後、米軍に接収され、長いこと、立ち入ることができなかった。  戦後暫くの間は、鴨の群れが狩猟の対象になったが、いつの間にか、鴎の群れが目立つようになった。  竹島橋から蒲郡クラシックホテルを望む。  プリンスホテル時代に六角堂で、外国の来賓を接待した想い出がある。  竹島橋の周囲は、潮干狩りと海水浴の場所になっている。 大正4年に建立された八百富神社の大鳥居を潜る。  竹島に上陸し、石段を登ると、踊り場の隅に「金壱拾萬円也」と刻まれた石柱が立っている。  小学校から高校までの学友で、鈴東の社長の鈴木宏尚氏が寄進した石柱である。  式場に駆け付けた私を、彼がどんなに喜んでいるかと、奥さんが涙を流して出迎えてくれた。
 彼は、鬼籍に入って、既に、長い月日が過ぎた。 竹島には日本七弁財天のひとつである八百富神社がある。   石段を登ると、正面に、宇賀御魂命を祀る宇賀神社が現れる。  八百富神社に参拝、祭神は市杵島姫命で、1181年に藤原俊成が竹生島より勧請し創建した。  境内には、祭神が藤原俊成の千歳神社や祭神が龍神の八大龍神神社がある。  竹島の南端にある、竜神岬に到着、ここから石段を降りると、左右に島巡りの遊歩道がある。  60数年前の昔に、竹島の周りを、一人で泳いで一周したことがある。 沖に差し掛かった時は流石に怖かった。
 再び、竹島橋に戻り、蒲郡クラシックホテルを望む。 ホテルに宿泊したのは2014年9月29日だった。  定年まで勤務した会社のOB会のダンス部主催のパーティーで泊りがけで踊った想い出がある。  蒲郡クラシックホテルでは毎年ツツジ祭りが行われる。  最後に訪れたのは、18年前の、2000年5月7日だった。  一方、「ホテル竹島」で最後に宿泊したのは、5年前の2013年9月29日だった。  竹島橋の北詰に到着、正面に、竹島八百富神社篠津遙拝所がある。  竹島遊園地から、三河湾オレンジロードを戻ると、右手に、 蒲郡クラシックホテルバンケットホールがあり、この建物が、ホテルのダンスホールになる。  竹島園地交差点に出て、歩道に、竹島橋の絵が描かれたマンホールを見つける。

   蒲郡クラシックホテル 地図の中央の矢印が蒲郡クラシックホテルです      <愛知県蒲郡市竹島町15にて>
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 往時は蒲郡の繁華街の中心だった六間道路の栄町交差点

 
 竹島園地交差点からオレンジロードを北に進むと、 手打ちうどん「やおよし」があり、竹島入口交差点が見えて来る。  竹島入口交差点の手前で、左手の路地に入る、昔はこの辺りまでが松が茂った海岸だった。  エディオンの北の通りに出る、右折して、国道23号線に向かう。  国道23号線に出て、ガソリンスタンドの前から、西に向かって歩くと右手に竹本油脂がある。  右手に、蒲郡駅前に置かれたアメリカズカップ挑戦艇が見えて来た。  蒲郡市には1988年から2001年までベース基地が置かれていた。
 港町3番交差点に到着。 左手に、アピタ蒲郡店、右前方に、アルバックス蒲郡ステーションタワーが見える。  通学と通勤で10年間お世話になった蒲郡駅南口、改装されているとは云え、思い出の場所だ。  蒲郡駅前から、県道370号蒲郡港線を望む。 この先が竹島埠頭である。  戦後、米軍の食料援助の飼料用玉蜀黍が荷揚げされた港だ。  人生の最初のお八つがその玉蜀黍を引いて、親父が作ってくれた御焼だった。  蒲郡駅の西から、六間道路迄の路地は、銭湯、マルナカ、映画館が並んでいて、 戦前・戦後を通じて、蒲郡一の繁華街だった。
 蒲郡駅南交差点に出る。 幼児の頃最初に歩いた国道23号は狭い路地だった。  蒲郡駅南交差点から、国道23号線を西に向かって歩くと、前方に、中央通りと交差する栄町交差点が見えて来た。  栄町交差点は、名前が示す通り、戦前戦後を通じて蒲郡の中心だった。  母に背負われ、栄町交差点から繁華街の通りを銭湯まで通ったのが、一番古い記憶である。  名鉄蒲郡線のガード下に出て、中央通りを南に望むと、栄町交差点が見える。  ガードの下を潜り、中央通りを北に歩く、右手に、海雲堂書店だったビルがある。  海雲堂書店は事業に失敗してビルを手放したらしい。
 中央通りから東海道本線に沿って、西に歩くと、 お不動さんと呼んでいた、栄町の氏神様である大宮神社がある。  秋の大祭には、ここから、栄町の山車が出て、宮成町の大宮神社まで引いて行った。  再び、ガードを潜って、中央通りを南に歩く。 この辺りは、江戸時代には西之郡と呼ばれていた。  戦国時代、徳川家康が人質として、西之郡の湊から織田信長の下につれて連れて行かれたと学んだ記憶がある。  大升屋酒店の南に多美屋がある、共に、ガキの時代の遊び仲間がいた。  中央通りは、子供の頃は、六間道路と呼ばれた大通りだった。 海岸から北の方へ一直線に延び、 車が通らない広い空間は、昼間は子供の遊び場、夕方からは、大人たちの社交の広場だった。  夏の夕方は夕涼みの広場になり、縁台将棋が盛んであった。
 栄町交差点から西に延びる国道23号線は、拡張前は狭い自転車道だった。  交差点から南の、鈴木バナナ店や和食の美波は戦後の開店だが、和食の美波とヘヤ―サロンヤマモトは戦前からの住人である。  三河地震の時に、津波が来るぞと叫びながら、この通りを北に向かって人々が走った記憶が蘇る。  通りの向いにある松下精肉店のかっちゃんは将棋が強かったが、今は孫の世代だろう。  海岸に面した建物は、確か鶴屋という高級料理店で、美しい娘さんがいた。  南に隣接する、蒲郡市民会館の辺りは、埋め立てが行われる前は、ハゼ釣りの穴場だった。  六間道路の南端の浜辺には、2本の松の大木が聳え、道を塞いでいた。  市民会館東交差点に出る。 マリンロードは沖の堤防があった辺りに造られ、往時、海岸からこの堤防まで泳いだ。  市民会館の前の、蒲郡製氷。 冷蔵庫に入れる氷を毎日貰いに来たのは、70年前の子供の頃の記憶である。  中央通りから、埋め立て前の海岸通りを西に歩く。  海岸通りの南側は別荘が並び、路地を北に行くと、国道23号線に出る。  近所に住んでいた、藤井兄弟の兄貴がやっていた藤井医院の前を通過。

       六間道路の栄町交差点 地図の中央の矢印が栄町交差点です      <愛知県蒲郡市栄町1にて>
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     海岸(西之郡)から北(蒲形)迄一直線に延びる六間道路(中央通り)

 海岸通りから右折して、国道23号線の汐見橋交差点に出る、左に行くと岡崎に至る。  汐見橋交差点を右折して、国道23号線を東に進む。 三河ダイハツを過ぎて、県道323号芦谷蒲郡線との三叉路に来る。  前方が栄交差点が見えてきた。 この辺りで、芸者の乗る自転車事故により、顔に残る瑕が出来のを、母が一生気にしていた。
 国道23号線から、路地を北に向かって歩き、東海道本線のガードを潜ると、右手に、味噌煮込うどんの「ひだかや」がある。  再び、大宮神社の前を通って六間道路へ。 今はダイエーの所有になっている、海雲堂書店の前から六間道路を北に望む。  六間道路を北に歩くと、左手に、ヤオハンの跡地に再建された、パチンコ屋のコスモジャパンがある。  コスモジャパンの前から、六間道路を南に望む、昔は高架線が無く、海岸の松が見えた。  終戦頃は、海岸の松原から小池商事の建物が見えた。  北に望む、右手前方に茶色い建物の蒲郡信用金庫蒲郡元町出張所が見える。  市役所通りと交差する、元町交差点に来る。  市役所通りは、国道23号線に代わる幹線道路として拡張されたが、元町交差点から東は未だに狭い。  元町北交差点に来る。 左に天野呉服店、右に三菱東京UFJ銀行蒲郡支店がある。
 三菱東京UFJ銀行の北側に、小林家の加久小本店がある。  エディオンの前の白い建物が、スロット店、パチンコ店の蒲郡遊技業組合である。  真宗大谷派の西眼寺の前を通過、中央本町南交差点に到着。 左折して西に進むと、蒲形村の中心にある専覚寺がある。  六間道路は、往時、西之郡と蒲形を結ぶ幹線道路だった。 北に、中央本町交差点を望む、この交差点が六間道路の終点である。  目印だった、小池商事のビルが見える。 小池商事の三階建の建物は、当時としては目立った。  この辺りは、駅から遠い割には、老舗の店が多い。 中央本町交差点から北は、将に、郊外という感じであった。  中央本町交差点から左に進むと、神ノ郷で行き詰まりの記憶がある。

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 蒲郡の名木50選に選ばれた専覚寺の大マツ

 
 中央本町交差点で右折して東に向かう。  中央交差点の北東800mの所に蒲郡中学校がある。 この道路は通学路だった。  駅から北に延びる駅前本通り、昔の中新道との交差点を通過し、本町西交差点へ。  交差点で右折して蒲郡駅に向かう。 この大通りが拡張されたのは比較的最近である。  街路樹として植えられた、ハナミズキの花が美しい。  蒲郡市勤労福祉会館の前から北を望む。 右手の方向に蒲郡南部小学校があり、この辺りは通学路だった。  鈴豊株式会社の前から北を望む、右手辺りに親父の知人で、私のマージャン仲間がいた。  60年前におじさん達に混じって、満州ルール(アルシャール)でマージャンをさせた貰った。
 神明交差点で右折して、市役所通りへ。 駅前本町通り(中新道)に入って北上する。  左手に、三河新四国巡礼の一環として、2001年7月17日に参拝した、三河新四国49・50番札所の「善応寺」がある。  帽子のイシダや緑屋のまえを過ぎ、スズキミートのニッポンハムの看板を見て左折すると、旧役場の蒲郡公民館がある。  六間道路の中央南交差点に出て、蒲形村の中心地に向かう。  左手に蒲郡ビジネスホテルがある、蒲郡は「蒲形と西之郡が合併して出来た町である。  右手に、ポプラ矯正歯科、その向こうに、松山ふとん店がある。  松山ふとん店は、クラスメイトの実家であったが、彼は既に鬼籍に入っている。  角家の鈴木タバコ店は旧家で、往時、入口屋と呼ばれる宿屋だった。
 この辺りは、蒲形村の中心であり、近くに、蒲形公園や専覚寺がある。  御幸南交差点に到着。 先に進むと、右手に、専覚寺の駐車場、突き辺りに蒲郡警察署がある。  右手の路地に向かうと、真宗大谷派の寺院である専覚寺の山門がある。 専覚寺は鈴木家の菩提寺である。  墓石によると、私で10代目で、200年以上世話になっていたことになる。  ご住職さんは私の中学のクラスメイト、息子は高校の後輩である。  境内に、「講師潜龍の碑」があり、解説版により、冷香院 楠潜龍が専覚寺を継いだことが分かる
 境内には、蒲郡の名木50選に選ばれた、樹齢は約400年ほどと云われている「専覚寺の大マツ」がある。  黒松の樹高11m、幹周は3.34m、根回り4mである。  黒松の他に、蒲郡の名木50選に選ばれた、2本のソテツもある。  2本のソテツの北側のソテツは根周り3.26m、南側は4.94mで、樹齢は約200年と云われている。  約200年前に建て替えられたと云われている専覚寺の本堂に参拝し、墓参りを済ませてから新幹線で帰宅する。  久しぶりに見る、車窓からの富士は綺麗だった。

     専覚寺 地図の中央の矢印が専覚寺です      <愛知県蒲郡市御幸町5にて>
お台場のチューリップを、下記の「蒲郡散策 5」の
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神倉公園常盤蒲郡クラシックホテル      同窓会の定宿のホテル竹島、次回の米寿の会は期待薄

 11月15日、半年ぶりの墓参のために、蒲郡駅で降車して北口に出る。  蒲郡北駅前広場を見渡す、背後に、数えきれないほど登頂した五井山が見える  駅北口広場の左手にあるスカイハイツを見ながら左折する。  蒲郡駅から線路沿いの西に向かう道路は、小学校の時の通学路だった。  中央通りへ突き当たる。 右手角にダイエーの建物がある。 建設当時は本屋の海雲堂だった。  左を向いて、中央通りを南に望む。 戦前からの繁華街の六間道路である。  栄町の神社の「不動さん」の前を通る。 今は大宮神社の末社らしい。 お祭りには、山車を大宮神社まで曳いた。  最初の三叉路で右折する。 右角に味噌煮込みうどん「ひだかや」がある。  北に歩くと右手にパチンコ屋のコスモジャパン駅前店がある。 スーパーヤオハンの跡地である。
 県道383号市役所通りに出る。 右手の建物がアーバン90である。  県道383号蒲郡碧南線を西に望む。 子供の頃は狭い道だった。  更に北に歩くと左手に伊藤歯科医院がある。 往時、この辺りに門構えの立派な伊藤歯科医院があったが。  更に北に歩くと、左手に、初見の神倉公園がある。 次ぎの交差点で左折すると、左手に、本屋の「TSUTAYA」が見える。  本屋の前の広い通りに出る、右折して御幸南交差点に向かう。 御幸交差点に到着、この辺りは、蒲形村であった。  御幸南交差点から北を望む。 蒲形村と栄町辺りにあった西之郡が合併して蒲郡になった。  御幸南交差点から西を向いて歩く。 右手に、専覚寺がある。 参道を進んで山門へ。  山門を潜ると、蒲郡の名木50選に選ばれている大松がある。  本堂に参拝。 庫裏によって、久しぶりに住職夫妻と話が弾む、同級生の住職は来年もインドに行くという。 まだまだ元気だ。
 墓参を終えてから、ホテル竹島へ。 ホテル竹島は、小学校と中学校の同窓会の常会場で毎回宿泊する。  最近は傘寿の祝いの会だった。 これで最後らしい。 米寿の祝いの会は無理だろう。  今回はホテルのレストランで昼食をする。 ホテル竹島には日本料理の常盤がある。  ホテル竹島の歴史は、1912年開業の常盤館から始まる。  物心ついた時には、竹島一帯は進駐軍に接収されていた。  食後に竹島園地へ。 園内には藤原俊成像が立つ。  背後には、ダンス同好会の連中と、宿泊した想い出の蒲郡クラシックホテルが見える。 竹島の遠望を最後に蒲郡を後にする。  西船橋駅前ではクリスマスツリーが出迎えてくれた。

   ホテル竹島 地図の中央の矢印がホテル竹島です      <愛知県蒲郡市竹島町1にて>
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