富士山を眺める旅で伊豆半島を目指し、最初に、三島スカイウィークに到着する。
三島スカイウォークは、新東名の長泉沼津インターを出て、国道1号線を箱根峠に向かう途中にある。
三島駅からバスで25分、東名沼津インターから15分の所の、箱根西麓にある。
長さ400mの大吊り橋を中心とした観光施設で、2015年12月14日に開業された。
吊り橋の主塔の高さは44mである。 吊り橋の上からは、日本最高峰にして世界遺産の富士山が見える。
歩行者専用の吊橋としては、日本一の長さである。 吊り橋を渡るときは、傘を使用することは禁止されている。
吊り橋や施設内の展望台からは、三島市・沼津市の市街地や駿河湾、伊豆半島の天城連山も見える。
三島スカイウォークには、3つの日本一がある。
日本最高峰の富士山、日本最長の吊り橋、日本で最も深く美しい駿河湾の3つである。
谷からの一番高い所は、70.6mある。 歩道幅は1.6mで車椅子同士がすれ違うことが出来る。
日本一の吊り橋のウォーキングを開始する。
吊り橋の料金は、おとな1000円、中高生500円、小学生200円である。
吊り橋の足元はグレーチングになっていて、下が透けて見える。
吊り橋の上からは、三島市や沼津市の市街地が見える。
平成26年に伊豆縦貫自動車道が開通し、三島は単なる通過点になった。
三島に人が集まる施設をと、このスカイウォークが企画された。
「まるで空を歩いているような感覚を味わえる」と云う意味でスカイウォークと名付けられた。
吊り橋は早ければ5分、ゆっくりでも20分で渡れる。 吊り橋を渡り終わって、展望台へ。
どこから眺めても、同じ富士山である。
今迄で、一番刺激的だったのは、60年前に渡った黒部渓谷下の廊下の吊り橋群だ。
S字峡や十字峡がある下の廊下は、今でも秘境である。
吊り橋は南北に延びていて、橋を渡ると北ゲートがある。
吊り橋の北端はメインケーブルを支えるアンカレイジになっている。
施設は出来たばかりなので、橋を渡っても何もない。
北端のアンカレイジの上は展望台になっている。
アンカレイジの上の展望台から、スカイウォークを眺める。
北エリアでは、やることのないので、早々に引き揚げる。
周りに、桜や紅葉など4000本を新たに植樹したと云う。
桜や紅葉が輝く姿は、空の上から見ることになるだろう。
今回の旅の目的である富士の姿を十分見ることが出来たので、次の目的地の蛭ヶ小島へ。
三島スカイウィーク
地図の中央の矢印が三島スカイウィークです <静岡県三島市にて>
三島スカイウィークを、下記の「三島スカイウィーク」のボタンをクリックして44枚のスライド写真でご覧ください。
蛭ヶ小島は伊豆の国市にある源頼朝の流刑地と伝わる史跡である。
公園内には、富士山に向かって立つ頼朝と政子の像がある。
吾妻鏡には頼朝の流刑地が「蛭島」とあるのみで、この地かどうかは不明である。
公園には、1790年に建てられた「蛭島碑記」なる石碑がある。
鏡の裏に梛の葉を入れたお守り、頼朝と政子の故事による。
公園には、有形文化財の江戸時代中期の農家の建物の「上野家住宅」がある。
同じ国市、蛭ヶ小島の近くに、重要文化財の江川家住宅と史跡韮山役所跡がある。
江川邸の表門である、1696年の建築の三間一戸の薬医門を潜って中へ。
韮山役所跡がある。 代官所時代に、この地に役所があった。
江川家は清和源氏の流れを汲み、6代親治の孫親信が韮山に定住したのが始まりである。
江川英龍は「パン租」として、庭に「パン租の碑」が建っている。
江川邸の主屋の原型となる建物は1600年前後に建てられた。
主屋の土間、江川邸は大河ドラマ「西郷どん」で島津家屋敷としてロケが行われた。
土間は50坪の広さで、北側中央にかまど、東側に生き柱がある、大河ドラマ「篤姫」でもロケ地になった。
土間には、19世紀後半のアメリカ製のボートホーウィッスル砲車が置かれている。
ボートホーウィッスル砲車は、アメリカ海軍の技術将校ダールグレンが開発した。
江川邸の次は、江川英龍が造った韮山反射炉に向かう。
最初に、韮山反射炉ガイダンスセンターにて、歴史や価値、日本の近代化に果たした役割の説明を受ける。
韮山反射炉ガイダンスセンターには、韮山反射炉製の「青銅製20ドイムモルチール」が展示されている。
ガイダンスセンターの後は、反射炉本体が設置された場所に移動する。
ボランティア・ガイドにより、反射炉の熱や炎を反射する仕組みの説明を受ける。
周囲の敷地、さらに河川からなる「韮山反射炉」全体の関係を習得する
韮山反射炉は、2015年に、明治日本の産業革命遺産の構成遺産として登録された。
反射炉の横には、「鉄製24ポンドカノン銃」や「青銅製20ドイムモルチール」が展示されている。
ペリー艦隊来航を受け、幕府は江川英龍に反射炉と品川台場の築造を命じた。
反射炉は英龍没後、息子の英敏が1857年に完成させた。
高さ15.7mの連双2基の反射炉の近くに、反射炉の生みの親の江川英龍の像がある。
韮山反射炉を後にして、国道136号線の土肥峠を越えて伊豆半島の西海岸へ。
この夜の宿は、駿河湾に面した、土肥温泉 たたみの宿「湯の花亭」である。
海に面した客室から眺める、駿河湾に沈む夕日がこの宿の売り物である。
土肥港の港の岬に沈む夕日を眺める。 辺りが夕闇に包まれる中、明日の駿河湾越しの富士を頭に描く。
食卓に並んだ鮑を前にして、昔、父が料理してくれた掌大の鮑の酒蒸を思い出す。
韮山反射炉
地図の中央の矢印が韮山反射炉です <静岡県伊豆の国市中にて>
韮山反射炉を、下記の韮山反射炉のボタンをクリックして40枚のスライド写真でご覧ください。