韮山反射炉     2018年3月12日


     日本最長の吊り橋である三島スカイウィーク越しの富士

 富士山を眺める旅で伊豆半島を目指し、最初に、三島スカイウィークに到着する。  三島スカイウォークは、新東名の長泉沼津インターを出て、国道1号線を箱根峠に向かう途中にある。  三島駅からバスで25分、東名沼津インターから15分の所の、箱根西麓にある。  長さ400mの大吊り橋を中心とした観光施設で、2015年12月14日に開業された。  吊り橋の主塔の高さは44mである。 吊り橋の上からは、日本最高峰にして世界遺産の富士山が見える。  歩行者専用の吊橋としては、日本一の長さである。 吊り橋を渡るときは、傘を使用することは禁止されている。  吊り橋や施設内の展望台からは、三島市・沼津市の市街地や駿河湾、伊豆半島の天城連山も見える。  三島スカイウォークには、3つの日本一がある。  日本最高峰の富士山、日本最長の吊り橋、日本で最も深く美しい駿河湾の3つである。  谷からの一番高い所は、70.6mある。 歩道幅は1.6mで車椅子同士がすれ違うことが出来る。
 日本一の吊り橋のウォーキングを開始する。  吊り橋の料金は、おとな1000円、中高生500円、小学生200円である。  吊り橋の足元はグレーチングになっていて、下が透けて見える。  吊り橋の上からは、三島市や沼津市の市街地が見える。  平成26年に伊豆縦貫自動車道が開通し、三島は単なる通過点になった。  三島に人が集まる施設をと、このスカイウォークが企画された。  「まるで空を歩いているような感覚を味わえる」と云う意味でスカイウォークと名付けられた。
 吊り橋は早ければ5分、ゆっくりでも20分で渡れる。 吊り橋を渡り終わって、展望台へ。  どこから眺めても、同じ富士山である。   今迄で、一番刺激的だったのは、60年前に渡った黒部渓谷下の廊下の吊り橋群だ。  S字峡や十字峡がある下の廊下は、今でも秘境である。  吊り橋は南北に延びていて、橋を渡ると北ゲートがある。
 吊り橋の北端はメインケーブルを支えるアンカレイジになっている。  施設は出来たばかりなので、橋を渡っても何もない。  北端のアンカレイジの上は展望台になっている。  アンカレイジの上の展望台から、スカイウォークを眺める。  北エリアでは、やることのないので、早々に引き揚げる。  周りに、桜や紅葉など4000本を新たに植樹したと云う。  桜や紅葉が輝く姿は、空の上から見ることになるだろう。  今回の旅の目的である富士の姿を十分見ることが出来たので、次の目的地の蛭ヶ小島へ。

     三島スカイウィーク 地図の中央の矢印が三島スカイウィークです      <静岡県三島市にて>
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     明治日本の産業革命遺産として登録された韮山反射炉

 蛭ヶ小島は伊豆の国市にある源頼朝の流刑地と伝わる史跡である。  公園内には、富士山に向かって立つ頼朝と政子の像がある。  吾妻鏡には頼朝の流刑地が「蛭島」とあるのみで、この地かどうかは不明である。  公園には、1790年に建てられた「蛭島碑記」なる石碑がある。  鏡の裏に梛の葉を入れたお守り、頼朝と政子の故事による。  公園には、有形文化財の江戸時代中期の農家の建物の「上野家住宅」がある。
 同じ国市、蛭ヶ小島の近くに、重要文化財の江川家住宅と史跡韮山役所跡がある。  江川邸の表門である、1696年の建築の三間一戸の薬医門を潜って中へ。  韮山役所跡がある。 代官所時代に、この地に役所があった。  江川家は清和源氏の流れを汲み、6代親治の孫親信が韮山に定住したのが始まりである。  江川英龍は「パン租」として、庭に「パン租の碑」が建っている。  江川邸の主屋の原型となる建物は1600年前後に建てられた。  主屋の土間、江川邸は大河ドラマ「西郷どん」で島津家屋敷としてロケが行われた。  土間は50坪の広さで、北側中央にかまど、東側に生き柱がある、大河ドラマ「篤姫」でもロケ地になった。  土間には、19世紀後半のアメリカ製のボートホーウィッスル砲車が置かれている。  ボートホーウィッスル砲車は、アメリカ海軍の技術将校ダールグレンが開発した。
 江川邸の次は、江川英龍が造った韮山反射炉に向かう。  最初に、韮山反射炉ガイダンスセンターにて、歴史や価値、日本の近代化に果たした役割の説明を受ける。  韮山反射炉ガイダンスセンターには、韮山反射炉製の「青銅製20ドイムモルチール」が展示されている。  ガイダンスセンターの後は、反射炉本体が設置された場所に移動する。  ボランティア・ガイドにより、反射炉の熱や炎を反射する仕組みの説明を受ける。  周囲の敷地、さらに河川からなる「韮山反射炉」全体の関係を習得する  韮山反射炉は、2015年に、明治日本の産業革命遺産の構成遺産として登録された。  反射炉の横には、「鉄製24ポンドカノン銃」や「青銅製20ドイムモルチール」が展示されている。  ペリー艦隊来航を受け、幕府は江川英龍に反射炉と品川台場の築造を命じた。  反射炉は英龍没後、息子の英敏が1857年に完成させた。  高さ15.7mの連双2基の反射炉の近くに、反射炉の生みの親の江川英龍の像がある。  韮山反射炉を後にして、国道136号線の土肥峠を越えて伊豆半島の西海岸へ。  この夜の宿は、駿河湾に面した、土肥温泉 たたみの宿「湯の花亭」である。  海に面した客室から眺める、駿河湾に沈む夕日がこの宿の売り物である。  土肥港の港の岬に沈む夕日を眺める。 辺りが夕闇に包まれる中、明日の駿河湾越しの富士を頭に描く。  食卓に並んだ鮑を前にして、昔、父が料理してくれた掌大の鮑の酒蒸を思い出す。

     韮山反射炉 地図の中央の矢印が韮山反射炉です      <静岡県伊豆の国市中にて>
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