直虎の里   2017年11月14日


     井伊家の菩提寺である龍潭寺の名勝庭園

 今日は直虎の里の散策、親友の吉田君が車で出迎えてくれる。  最初の訪問地は、井伊家の菩提寺の龍潭寺で、遠江八景「五山晩鐘」でも知られている。  遠州井伊谷は古代「井の国」と呼ばれ、この地から井伊氏の元祖共保公が誕生した。  戦国時代、24代直政が徳川家康に仕え、徳川四天王として活躍した。  井伊直親の嫡男の井伊虎松(井伊直政)は1561年に誕生した。
 龍潭寺は名門井伊氏千年の歴史を伝える菩提寺である。  細江町には梅林で有名な長楽寺があり、しばしば訪れている。  龍潭寺は733年に行基菩薩が開創した八幡山地蔵寺が始まりと云われている。  龍潭寺山門の大門を潜ると、東門がある。 旧鐘楼堂で1631年建設の、龍潭寺で一番古い建物である。  庭園拝観入口になっている庫裡は1815年に建てられた。  1676年建設の本堂には、釈迦三尊が祀られている。  1729年雲長作の寄席木造りである丈六の釈迦牟尼仏は、遠州地方第一の釈迦牟尼仏である。
 龍潭寺本堂の左に、稲荷堂、開山堂があり、その奥に井伊家御墓所がある。  1742年建設の御霊屋には、井伊家千年40代の位牌が祀られている。  稲荷堂には、夢が叶うといわれる正夢稲荷が祀られている。  龍潭寺の見所は、国指定の名勝庭園である龍潭寺庭園である。  庭園は石が表現する禅寺の庭で、小堀遠州の作である。  庭園の左端には鶴出島、前面中央部には仁王石がある。 前面の池は、心字池の龍池である。  以前、龍潭寺を訪れるのは、4月の躑躅が目当てであった。 龍潭寺の庭園は一年中花が咲いている。  今頃は、満天星の紅葉が見頃である。
 本堂の外へ。 遠江八景「五山晩鐘」の祈りの鐘の鐘楼堂や井伊家の墓所を参観する  墓所には、正面に直盛と共保、左に直政、直親妻、直親、直虎、直盛妻と並んでいる。  正式な門である龍潭寺の仁王門を潜り、樹齢400年余の御神木のなぎの木へ。  隣に、子育て地蔵が祀られている。 駐車場に戻ったら、県外の観光バスがずらりと並んでいるので吃驚。

     龍潭寺 地図の中央の矢印が龍潭寺です      <静岡県浜松市北区引佐町井伊谷にて>
直虎の里を、下記の直虎の里のボタンをクリックして31枚のスライド写真でご覧ください。


     中国明朝風の建築様式を現代に伝える宝林寺仏殿

 龍潭寺の後は、龍潭寺と共に浜名湖の湖北五山である初山宝林寺へ。  宝林寺の山門を潜ると、正面に仏殿がある。  宝林寺は、1664年に、明国の僧独湛によって開創された黄檗寺院で、金指近藤、気賀近藤両家の菩提寺である。  仏殿は1667年に建立された中国明朝風の建築様式を現代に伝える建築物である。  仏殿には、本尊釈迦三尊像など、中国洋式を伝える黄檗宗独特の諸像が祀られている。  報恩堂には、宗祖隠元禅師の木像が祀られている。  湖北五山は、龍潭寺、宝林寺の他に、摩訶耶寺、大福寺、方広寺があり、今回で、全寺参拝できた。  大河ドラマ直虎と無関係な宝林寺の駐車場は寂しい限りである。
 宝林寺の次は、1601年に家康によって創設された気賀関所に訪れる。  関所の冠木門、前回、気賀関所を訪れたのは、豊岡梅林を訪れた1996年3月2日で、21年振りである。  冠木門である高麗門を潜ると、右手に、本御番所がある。  本御番所、面御番所とも呼ばれ、通行の旅人や荷物を取り調べた。  冠木門を入った右手には、向番所(張番所)があり、足軽、中間門番が張り番をしながら休息に使用した。  向番所の内部には牢屋もあり、寒暑の厳しい時、雨雪などの時にはここで女改めを行った。
 1718年、吉宗の生母浄円院が江戸に向かう途中に、気賀宿で役人に出された夕膳が展示してある。  気賀関所西側に町木戸御門があり、これより西側に気賀宿の町家が広がっていた。  気賀宿は80軒の町屋が並び、本陣と問屋場と旅籠8軒の小さな宿であった。  気賀関所を最後に、吉田城と直虎の旅を終える。

     宝林寺 地図の中央の矢印が宝林寺です      <静岡県浜松市北区細江町中川」にて>
宝林寺と気賀関所を、下記の宝林寺と気賀関所里のボタンをクリックして22枚のスライド写真でご覧ください。

次ページへ

最近のウォーキングより