碓氷湖   2017年11月6日

     坂本ダムから、碓氷湖の上流に架かる夢のせ橋を望む

 軽井沢プリンスホテルにて、軽井沢紅葉狩りの旅の3日目の朝を迎える。  軽井沢から、国道18号線の碓氷バイパスを走って碓氷湖へ。 上信越自動車道の下を通過する。  横川インターにて、国道18号の中山道に入り、碓氷湖の駐車場に到着する。  碓氷湖は、旧国道18号線の碓氷峠の群馬県側にある。  碓氷湖は群馬県安中市を流れる、利根川水系碓氷川にある湖で、  碓氷川に建設された坂本ダムにより形成された人造湖である。  坂本ダムは1958年に砂防ダムとして建設された。  ダムの高さは28.5m、堤頂長74mであったが、1978年に天端が3mかさ上げされた。  その後、周辺道路工事を経て、1994年に完成された。
 ダムの改築と同時に碓氷湖の周辺整備も行われ、湖岸を一周する遊歩道や駐車場が整備された。  碓氷湖は新緑や紅葉の時期には素晴らしい景観を醸し出すことで知られている。  現在、碓氷湖の紅葉は真っ盛りで、青空を背景に鮮やかさを増している。  駐車場を出発して右回りで遊歩道を歩く。  坂本ダムの堤体コンクリートには化粧型枠を使用し、天端橋梁は鉄道橋をイメージしている。  坂本ダムの型式は重力式コンクリートで、堤体積は4万立方米である。  ダムの流域面積は13.7平方キロ米、湛水面積は7ヘクタールである。  ダムの総貯水容量は77.立方米、有効貯水容量は50万立方米である。  坂本ダムの天端橋梁は鉄道橋をイメージした造りになっている。
 坂本ダムのダム堤を渡って、碓氷湖北岸にある駐車場を望む。  駐車場の北側には刎石山の尾根が延びている。  碓氷川の上流を望むと 碓氷川に架かる「夢のせ橋」が見える。  坂本ダムから、碓氷湖を右回りに歩くと、「ほほえみ橋」がある。  碓氷湖畔の遊歩道には、「クマの出没に注意して下さい」との新しい垂れ幕が下がっている。   赤芝沢に架かる「ほほえみ橋」は全長54m、幅2mの橋で、2径間連続PCラーメン箱桁橋である。  碓氷湖の橋梁は、碓氷鉄道施設遺産群に配慮してデザインされている。 ほほえみ橋を渡って、南岸の広場に出る。  対岸の駐車場が遠くに見える。 右手に、坂本ダムが見える。 碓氷湖北岸の上流湖畔は紅葉の並木が色鮮やかだ。  碓氷湖の北岸にはカメラを携帯した観光客の姿が多数見えた。  夢のせ橋が見えて来た、明治調の優美な橋である。  夢のせ橋は、中央の広場を挟んで、右に中尾川、左に碓氷川が流れている。

     碓氷湖 地図の中央の矢印が碓氷湖です      <群馬県安中市松井田町坂本にて>
碓氷湖の坂本ダム周辺の紅葉を、下記の坂本ダム周辺の紅葉のボタンを
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   碓氷湖北岸から、紅葉越しに「夢のせ橋」を望む

 夢のせ橋は、全長150m、幅3mの橋である 夢のせ橋は5径間連続PCラーメン箱桁橋である。  ラーメン構造に付いては、60数年前講義を受けたが、教科書ノート類は全て整理してしまった。  先日のクラス会で、親父の本箱にありましたと云って、ラーメン構造を受講した時のノートを持ってきてくれた。  60数年前に、級友に貸したノートで、その存在すら忘れていた。  級友は、今年も息子同伴で、クラス会で元気な姿を見せて呉れた。  元気な姿を見てほっとしたが、2年前に自宅を訪問した際、会話の途中で「あなた様はどなた様ですか」と聞かれた。  息子さんから聞いてはいたが、その時の驚愕は衝撃的だった。
 坂本ダム周辺整備は「峠ルネサンス(峠文化復興)」を基本方針として進められた。 「峠ルネサンス」とは、碓氷峠や鉄道文化財等の文化歴史的資源を現代風にアレンジし復興させることである  中尾川に架かる夢のせ橋を渡ると、橋が架かる中央の広場に降りることができる。  広場周辺の景観は、碓氷湖のハイライトと云える。 夢のせ橋から、下の広場に降りて、広場の紅葉の中を歩く。
 青空とピンクの橋、深紅の紅葉の色の対比が素晴らしい。 夢のせ橋が架かる広場から、碓氷川に架かる夢のせ橋を望む。  たっぷり時間を取った高齢者の旅なので、ゆったりとした気分で景色を楽しむ。  遥か前方に、スタート地点の駐車場が見える。  時間が過ぎるのを忘れていたが、やっと立ちあがって、右回りのコースに戻る。  夢のせ橋の上に戻って、北岸の紅葉を望む。 夢のせ橋の北詰へ。  夢のせ橋から碓氷湖北岸へ向かい、紅葉に染まった光の中を歩く。 碓氷湖を一周して、紅葉の中の散策を終える。

碓氷湖の夢のせ橋の紅葉を、下記の碓氷湖の紅葉のボタンをクリックして40枚のスライド写真でご覧ください。


   碓氷峠鉄道施設として国指定重要文化財になった碓氷第3橋梁(めがね橋)

 碓氷湖から、国道18号線の旧中山道を峠に向かって走り「めがね橋」へ。  碓氷第3橋梁の通称「めがね橋」は1993年に碓氷峠鉄道施設として国指定重要文化財になった。  高崎・横川間は1885年、軽井沢・直江津間は1888年に開通した。  横川・軽井沢間の碓氷線は碓氷峠が急勾配のため、1893年にやっと開通した。  横川・軽井沢間の11.2kmは千分の66.7という急勾配である。  最急勾配のため、ドイツの山岳鉄道で実用化されているアプト式が採用された。  碓氷線は当時の土木技術の粋を集めて、26のトンネルと18の橋梁が造られた。  18の橋梁の中でも碓氷第3橋梁は200万個以上の煉瓦を使用した。  碓氷第3橋梁は国内で最大のレンガ造アーチ橋である。
 めがね橋の周りの木々は、今、黄葉の最盛期である。  めがね橋に登って、今、走ってきた国道18号線の旧中山道を見下ろす。  めがね橋の上から、碓氷側の上流を望むと、橋が見える。  上流の橋は、信越本線新線の新碓氷川橋梁である。  横川・軽井沢間の信越本線は、長野新幹線の開通に伴い廃線になった。  地面に映るめがね橋の影からも、その凄さが感じられる。  碓氷川に架かる、国道18号線の橋を見下ろす。 右上に行くと碓氷峠に至る。
 めがね橋の上を東に歩いて渡ると、第5号トンネルに至る。  第5号トンネルの前から、碓氷川の下流側の山道に入って、碓氷川左岸の山道から、めがね橋を眺める。  めがね橋の上から、アプト式鉄道で使われたレンガ積みトンネルの第5号トンネルを望む。  めがね橋の上を、第5号トンネルから第六隧道に向かって歩く。  第5号トンネルの上は燃えるような紅葉である。 第六隧道の前に到着。 隧道は、第一隧道から第十隧道まで10個所ある。  第六隧道から、眼鏡橋越しに、第五隧道(第5号トンネル)を望む。  めがね橋の橋の上からの眺望を十分楽しんだので、下に降りる。  めがね橋を心行くまで観察してから、国道18号線を碓氷川に沿って下る。

   旧中山道のめがね橋 地図の中央の矢印がめがね橋です      <群馬県安中市松井田町坂本にて>
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  三間二間単層切妻道の、比類なき大規模な門である妙義神社の総門

 めがね橋の後は、中山道の五科交差点で右折して、妙義神社へ。  妙義山は2004年8月18日に、石門巡りをして以来の14年振りの訪問である。  道の駅「みょうぎ」に駐車して、上毛三山パノラマ街道に面した大鳥居の前へ。
 妙義神社は、妙義山の主峰白雲山の東山麓にある。  創建は、537年に鎮祭せり、と社記にある。 御祭神は日本武尊命である。  妙義神社の総門は、1773年の建造である。  総門は、三間二間単層切妻道の、比類なき大規模な門である。 総門は元は、白雲山石塔寺の仁王門であった。  総門から境内を望む、右手に札所がある。 青銅製燈籠の後に、銅鳥居が見える。  石段の途中にある、青銅製燈籠には、奉献永代御神燈、1864年との明記がある。  総門を後にして、石段を登ると、右手に、波己曽社社殿がある。  波己曽社社殿は旧妙義神社社殿で、1656年建造である。
 長い石段の上に随身門がある。 妙義神社境内の所々に紅葉が見られる。  長い石段は、大河ドラマ「義経」のロケが行われた。 随神門には、二体の鬼と二体の随身の像がある。  随神門を抜けると、見事な彫刻が施された唐門がある。  唐門は妻を唐破風にした銅葺平入りの門、1756年の建造である。  妙義神社拝殿は、正面が千鳥破風で、1756年の建造である。  妙義神社の本殿、弊殿、拝殿は代表的な権現造りである。  拝殿からの参拝を終え、長い石段を下る。 総門を抜けて、3日間の軽井沢の紅葉の旅を終える。  妙義神社の横を流れる大牛川に紅葉を見つける。  妙義神社の鳥居の横の紅葉を最後に、帰路に付く。  関越自動車道の高坂サービスエリアを過ぎれば、いつもの帰り路だ。

          妙義神社 地図の中央の矢印が妙義神社です      <群馬県富岡市妙義町妙義にて>
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