三笠ホテル   2017年11月5日


   軽井沢を代表するホテルだった旧三笠ホテル

 軽井沢の紅葉を尋ねて、東京外環自動車道から関越自動車道に入り上里サービスエリアに寄る。  藤岡ジャンクションで上信越自動車道に入り、横川サービスエリアにも寄り、 上信越自動車道の碓氷軽井沢インターで降りて軽井沢市内へ。  軽井沢での最初に訪れたのは重要文化財の旧三笠ホテルである。  市内に入り、旧軽ロータリーから三笠通りを左手に進むと右手に旧三笠ホテルがある。  駐車場に車を入れ、三笠通りを南に戻ると、右手に、「三笠茶屋くんぺい」がある。  軽井沢の鹿鳴館云われた建物である、旧三笠ホテルが見えてきた。
   愛岩山山麓の森の中に建つ洋館で、明治38年に落成した。 三笠ホテルは、実業家の山本直良が創業した。  旧三笠ホテルは、明治39年から昭和45年まで、64年にわたって軽井沢を代表するホテルだった。  三笠ホテルは、1980年に軽井沢町に贈与された。  現在、国の重要文化財に指定され、館内の一部が公開されている。   純西洋式の木造の建物は岡田時太郎が設計し、日本人の大工によって建てられた。  木造純西洋式ホテルとしては、札幌の豊平館に次いで古い建物である。  玄関を入ると、右側に旧三笠ホテルのロビーがあり、ピアノ、暖炉、ソファーなどが見られる。  太い縁取りの窓が、安定感を増している。
 一般の旅館の宿泊料金が1円程度だった時代に、1等12円という破格の値段だった。  ホテルには島津男爵、乃木大将、大隈重信、渋沢栄一といった要人が宿泊した。  玄関の左側に、ホテルで一番広い客室がある。 客室の窓からは、玄関の中庭を挟んでロビーの窓が見える。  二階の西南の角地の部屋は、当時の1等の部屋だろう。 窓からは、三笠通りに面した入口が見える。  ホテルの南側には、紅葉した林が広がっている。 二階東側の棟には、東西に二部屋並んでいる。  廊下の中央に設けられた階段を下りると玄関に出る。  最後に、再び、ロビーを覗いて、旧三笠ホテルの見学を終える。

     三笠ホテル 地図の中央の矢印が三笠ホテルです      <長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢にて>
三笠ホテルを、下記の三笠ホテルのボタンをクリックして39枚のスライド写真でご覧ください。


 旧碓氷峠に続く中山道の旧軽井沢銀座通り

 ホテルの南側に広がる林に出て、付近を散策する。  ホテルの周りは紅葉が見頃を迎えている。 三笠通りに平行して、西側に精進場川が流れている。  精進場川の右岸には、軽井沢の代表的な別荘地になっている。 旧軽井沢倶楽部別荘地の中を散策する。  別荘地の中央を南北に走る道を北に進むと、都会の団地と同様に行き詰まりの道である。  両岸には広い宅地を豪邸が続くが人影は全く無い。  自然に恵まれない都会の人間には魅力的な環境であろうか。  美しい紅葉を眺めながらも、短期間で退屈しそうな風景だ。  別荘住まいより、色々な土地を探索した方がベターだと感じた。  精進場川左岸の三笠通りに戻り、駐車場の近くの「三笠茶屋くんぺい」に入り、「三笠ホテルカレー」を頂く。  三笠通りを南下して、旧軽井沢の中心地である旧軽井沢ロータリーに向かう。
 ロータリーの近くに駐車して、県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線である旧軽井沢銀座通りへ  銀座通りは旧中山道である。 道を県境まで進むと、旧碓氷峠があり、峠で県道が終点になる。  通りを進むと、右手に、軽井沢観光会館がある。  観光会館は、木造のレトロな外観は旧軽井沢商店街のシンボル的存在である。  1階ホールは、町の観光情報の提供や宿泊施設の紹介などを行う総合案内所となっている。  観光展示スペースでは、軽井沢の自然や観光施設、名所などを紹介するほか、 小動物のはく製や地形模型を展示している。
 更に進むと右手に軽井沢クリークガーデンがある。  あづまや旧軽井沢店で力餅を買って、旧軽井沢銀座通りをUターンする。  旧軽井沢銀座通りは軽井沢のメインストリートであり、昼間は若者で溢れていた。  ブランジェ浅野屋軽井沢旧道本店によって間食用の食べ物を買う。  銀座通りを後にして、今夜の宿の「軽井沢プリンスホテルウエスト」に到着する。  軽井沢プリンスホテルは、その広い庭園が紅葉の名所として知られている。  ロビーの窓から、外の紅葉を眺める。  今回は軽井沢の紅葉をゆとりを持って楽しむために連泊の予定である。

   旧軽井沢銀座通り 地図の中央の矢印が旧軽井沢銀座通りです      <長野県北佐久郡軽井沢町大字軽井沢にて>
旧軽井沢銀座通りを、下記の「旧軽井沢銀座通り」のボタンを
クリックして35枚のスライド写真でご覧ください。  

次ページへ

最近のウォーキングより