川越散策のため、JR武蔵野線の北朝霞駅で下車して、J東武東上線の朝霞台駅に向かう。
右側に歩き、正面の階段を登ると、東武東上線の北朝霞台駅がある。
朝霞台駅の改札を通り、川越市駅まで乗り、下車して、ウォーキングスタート。
県道15号川越日高線に出て、六軒町交差点から連雀町交差点へ。
連雀町で右折して本川越駅の方向に歩くと、一番街と東照宮中院通りとの交差点に出る。
右手前方に本川越駅がある。 駅前で左折して、東照宮中院通りを東に歩く。
左手に、素戔鳴命を祀った、西小仙波町の山車が展示してある。
東照宮中院通りから路地へ左折すると、仙波東照宮入口の前に出る。
仙波東照宮は、日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つと云われていて、
1617年、薨去した祭神の法要が行われた地に天海が創建した
参道を進むと最初に随身門がある。 随身門を潜ると、石橋と石鳥居がある。
石鳥居は1638年に堀田正盛が奉納したものである。
石鳥居を潜り、石段を登ると正門の奥に拝殿がある。
本殿のまわりには歴代の川越藩主が献燈した石灯籠が並ぶ。
唐門と瑞垣に囲まれた仙波東照宮の本殿には木像の家康公像が祀られている。
童謡「あんたがたどこさ」の発祥地は、熊本でなく、武蔵国川越藩だとする説がある。
仙波東照宮から、境内を北に歩くと、1645年に家光の命によって建てられた喜多院の慈眼堂がある。
境内の東に、1702年の刻銘がある銅鐘を吊っている重文の鐘楼門がある。
喜多院の慈恵堂の前に出る。 堂内には、中央に慈恵大師を祀り、左右に不動明王を祀っている。
喜多院は天台宗の寺院で、川越大師として知られている。
830年に淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。
境内には、小江戸川越七福神の大黒天が祀られている大黒天社や、
徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の1部が喜多院に移築され、客殿、書院などが残っている。
喜多院の客殿、書院、慈恵堂参観のため、入口になっている 喜多院寺務所へ。
重要文化財の客殿は1638年に建立され、「徳川家光誕生の間」がある。
同じく、重要文化財の書院は1639年に建立され、「春日局化粧の間」がある。
観覧場所は全て撮影禁止である。
寺務所と慈恵堂の間には、樹齢350年の槇の神木があり、天海僧正お手植えと云われている。
江戸城の遺産を拝観後、山門横にある五百羅漢を見学する。
日本三大羅漢の1つである喜多院の五百羅漢は1782年から1825年までの半世紀にわたって建立されたものである。
深夜、羅漢の頭を撫でると1つだけ温かいものが必ずあり、それは亡くなった親の顔に似ているという伝承が残っている。
喜多院の向かって右側にある小さな社が聖徳太子を祀った太子堂である。
重要文化財の山門は、1632年に天海僧正により建立され、喜多院で現存する最古の建物である。
喜多院の参拝を終え、山門から喜多院山門通りに出る。
通りの左側に、天海大僧正の銅像と、天皇皇后及びスウェーデン国王王妃の行幸啓記念碑がある。
星野山喜多院の山門を後にして、川越城本丸御殿に向かう。
仙波東照宮
地図の中央の矢印が仙波東照宮です <埼玉県川越市小仙波町1丁目21にて>
喜多院周辺の風景を、下記の喜多院のボタンをクリックして56枚のスライド写真でご覧ください。
整備された喜多院の北参道を北に向かって歩くと、左手に成田山川越別院がある。
成田山川越別院本行院は、江戸時代末に石川照温師によって開創された。
平成15年4月に開創150周年を迎えた。
川越城本丸御殿に行く途中に、1457年、扇谷上杉持朝が太田道真・道灌父子に命じて築城させた川越城跡がある。
御岳神社が祀られているこの高台は、かっては川越城の富士見櫓が建てられていた所である。
富士見櫓は築城当初、本丸西南の隅櫓として建てられた三重の櫓であった。
2006年に、日本100名城に選定された川越城本丸御殿に到着する。
川越城本丸御殿は東日本唯一の本丸御殿遺構である。
石高17万石の大名御殿に相応しい威容を感じる川越城本丸御殿の玄関を入ると、
屋敷部分を取り巻く廊下がある。 参観順路に従って右回りに歩く。
本丸御殿の南端には、12畳の物頭詰所がある。
家老詰所では、当時の様子が再現されている。
本丸御殿、家老詰所を右回りに回って、再び廊下に戻る。
玄関の正面にある御殿内で2番目に大きかった36畳の座敷を最後に御殿を出る。
御殿の東側には、童謡「とおりゃんせ」発祥の地の三芳野神社がある。
川越本丸城から北に歩くと、初雁城通りに出る。 正面に川越市立博物館・美術館がある。
初雁城通りを西に歩くと左手に「中ノ門堀跡」がある。
中ノ門堀は、1639年に川越藩主になった松平信綱により造られた。
前方右手に川越市役所の建物が見える。
市役所前交差点に到着。 川越城大手門跡の市役所前には太田道灌の銅像が立っている。
市役所前交差点から本町通りを札の辻交差点へ、この先が高澤通り、左折すると一番街通りになる。
高澤通りを進み、左手にある、手打ちうどん「岡野屋」でうどんを頂く。
高澤通りにある「ここより菓子屋横丁」の看板に吊られて、
江戸時代の末期から明治の初め頃に、江戸っ子好みの菓子を製造したのが始まりと云わている菓子屋横丁へ。、
菓子屋横丁は2001年に環境省の「かおり風景百選」に選定されている。
菓子屋横丁から「蔵造りの町並み」の一番街通りに出る。 前方に、時の鐘入口交差点がある。
時の鐘入口交差点の左前が蔵造りの「熊重商店」である。
時の鐘入口交差点から左折してかねつき通りへ入る。 左手に時の鐘が見える。
時の鐘は、1627年から1634年の間に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町に建てたものが最初といわれている。
現在の建物は、1894年に再建されたもので、3層構造、高さ約16m、創建された江戸時代の初期から時を告げてきた川越のシンボルである。
時の鐘の奥には薬師神社がある。 1996年に、時の鐘は環境庁主催の「残したい“日本の音風景百選”」に選ばれた。
再び、一番街通りの時の鐘入口交差点に戻る。 右前に「深善美術表具店」がある。
深善美術表具店の南に、「宮岡刃物店」 その南に「陶舗やまわ」が並ぶ。
江戸時代、親河岸川の舟運で栄えた川越は「小江戸」と呼ばれた旧城下町である。
「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と云われる「蔵造りの町並み」をゆっくり散策する。
1918年に旧国立八十五銀行本店として建てられ、国の登録有形文化財の指定をされている「埼玉りそな銀行川越支店」の前を通過。
「蔵造りの町並み」の入口である、仲町交差点の周りには、旧山吉ビルの丸広百貨店、
亀屋、松崎スポーツ店、豆菓子が置いた「まめ屋」などがある。
更に南に進むと、左手に、川越まつりに登場する、連雀町の、川越城や江戸城を築いた太田道灌の山車が飾ってある。
道灌の山車の後ろに、室町時代に紀州熊野本宮大社から分祀された開運・縁結びの熊野神社がある。
前方に、川越市駅が見えてきた。 東武東上線の川越市駅から乗車し、朝霞台駅から武蔵野線の北朝霞駅へ乗換えて帰路に就く。
川越城本丸御殿
地図の中央の矢印が川越城本丸御殿です <埼玉県川越市郭町2丁目13にて>
川越城本丸御殿と蔵造りの町並みを、下記の「川越城本丸御殿と蔵造りの町並み」のボタンを
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