飯坂ホテル聚楽にて、南東北旅行の2日目の朝を迎える。
老人には多すぎた朝食を頂き、出発前の一時をロビーでゆっくり過ごす。 個人旅行は、時間的制約が無いのが嬉しい。
飯坂ホテル聚楽は飯坂温泉の中心にあり、芭蕉ゆかりの地とも隣接している。
ホテルの敷地内には、旧花水館の「奥の間」や茶室の「坐忘庵」もある。 旧花水館は昭和天皇の行幸御在所にも用いられた。
飯坂温泉を出発し、東北自動車道から山形自動車道を経由して山寺の立石寺へ。
立谷川に架かる宝珠橋の南、山寺街道が曲る角に駐車する。
1970年に完成した、立谷川に架かる朱色の山寺宝珠橋を渡ると、北詰下流に対面石と呼ばれる巨石がある。
地主神の磐司磐三郎が、岩の上で円仁から殺生について諭され、狩猟をやめた伝説が残る。
山寺宝珠橋を渡れば門前町になる。 左折して、門前町を東に歩くと、山寺の守り神である日枝神社の鳥居の前に出る。
日枝神社は、山寺への登山口になっている。
日枝神社は、860年慈覚大師円仁が山寺一山の守護神として、近江国坂本の日吉大社より御分霊を勧請した。
石段を登ると、立石寺本堂の根本中堂がある。 現在の根本中堂は1356年に初代山形城主の斯波兼頼が再建した。
堂内には1200年前延暦寺から移された「不滅の法灯」がある。
根本中堂の左には、芭蕉の句碑、その後には「清和天皇御宝塔」がある。 句碑の左には、山寺日枝神社社殿がある。
山寺立石寺と日枝神社は、神仏分離前は一体だったので、境内に混在している。 宝物殿の前には、曽良と芭蕉の立像がある。
山門の前には、山寺の常行念仏堂がある。 座禅や写経が行われる修行道場である。
山寺の鐘楼の鐘は、除夜の招福の鐘として知られ、元旦にかけて、数千人が鐘を突く。
鎌倉時代の建立と伝えられている山寺の山門の前に来る。 ここで入山料を払う。
山門から奥の院までは、八百余段の石段が続く。 入山料を払って、高校の教科書で習って以来、60年余の念願にトライする。
山寺は、中世の最盛期には、寺坊300余坊、一千余名の修行者が集まる一大霊場だった。
先ず、奪衣婆の石像を祀る「姥堂」がある、昔は、ここで着替え、古い衣服は奪衣婆に奉納した。
次に目に入る巨石は、慈覚大師が雨宿りしたと云う笠岩である。
笠岩から石段を登ると、頭上に岩壁が見えて来た。 この岩壁が、閑かさの中で、蝉の声が染入った岩であろう。
岸壁の下にある「蝉塚」は芭蕉の句を書いた短冊を地に埋め、塚を建てたものである。
山寺の蝉塚
地図の中央の矢印が山寺の蝉塚です <山形県山形市山寺にて>
山寺の蝉塚までの風景を、下記の山寺の蝉塚までの風景のボタンをクリックして43枚のスライド写真でご覧ください。
蝉塚から更に石段を登ると、弥陀洞がある。
弥陀洞は長い歳月の雨風が直立した岩を削り、阿弥陀如来の姿を造り出したと云う。
岩に刻まれた丈六の阿弥陀様を見ることができる人は、幸福が訪れると云う。
弥陀洞から、石段を登ると、頭の上に、仁王門が見えて来た。
仁王門は1848年に再建された、欅材の優美な門である。
二体の仁王尊像は、邪心を持つ人は登ってはいけないと、睨みつけている。
仁王門を潜ると、両側に岩肌が聳え、深山に来た趣きである。
右手上方の岩場が続く峰は、釈迦ヶ峰と云い、今では修行者以外の登山を禁じている。
石段の遥か上の方に、性相院が見えて来た。 仁王門を振り返る、左に観明院がある。
石段の途中で、岩壁に貼りつく胎内堂をカメラに収める。
性相院に到着、本尊は阿弥陀如来で、運慶作と伝えられる毘沙門天像が安置されている。
又、伊達正宗公の生母、義姫の日牌所になっている。
性相院から真っ直ぐに奥の院に行かずに、左手に行くと、五大堂がある。
五大堂の手前にある、開山堂と岩の上に建つ納経堂が見えて来た。
開山堂は慈覚大師のお堂で、大師の木造の尊像が安置されている。
下界を眺めると、遥か下の方に、山寺の集落が見える。
手前には、左手に性相院、右手の赤い屋根が観明院、背後の山の中には、胎内堂が見える
五大堂に到着する、山寺随一の展望台である。 五大堂は五大明王を祀って天下泰平を祈る道場である。
五大堂展望台から下界を眺める。 仙山線が左右に走っていて、左下に山寺駅が見える。
立谷川に架かる山寺宝珠橋が見える。 宝珠橋の北の交差点に左上角に愛車レクサスが駐車してある。
左下には、山寺街道が続き、その右隣りに山寺芭蕉記念館がある。
西の方角を望むと、立谷川と仙山線が並走している。 所部の集落や馬形の集落が見える。
五大堂の先は、修行の場で立ち入り禁止になっている。 再び、奥の院への参道に戻る。
帰りは一段上の道を歩く、二色の紅葉が美しい。
山寺宝珠橋
地図の中央の矢印が山寺宝珠橋です <山形県山形市山寺にて>
山寺の五大堂までの風景を、下記の山寺の五大堂までの風景のボタンをクリックして40枚のスライド写真でご覧ください。
藤原秀衡公の日牌所である、金乗院に向かって歩く。
左に性相院、正面に釈迦ヶ峰の岩壁、右下に観明院の屋根が見える。
紅葉の向こうに、納経堂と開山堂を望む。 納経堂の左下に、山寺芭蕉記念館辺りが見える。
正面に、釈迦ヶ峰の中腹にある胎内堂が見える。
最終目標である、山寺奥の院に到着する。 右端の鐘楼があり、左の建物が奥の院の「如法堂」である。
如法堂には、釈迦如来と多宝如来の両尊を御本尊として祀っている。
慈覚大師が両尊を中国で持ち歩いたと云われている。
如法堂の左側の大仏殿には、像高5mの金色の阿弥陀如来が安置されている。
奥の院の参拝を終え、十二支院の一つである華蔵院の右側の岩屋に向かう。
岩屋の中には、1519年製作で、日本で一番小さい重文の「三重小塔」がある。
三重小塔の前から、中性院を望む。 右手下に、金乗院や性相院が見える。
帰りの石段を下りる途中で、右手にある「最上義光公御霊屋」にも参拝する。
御霊屋の前から、紅葉越しに、山寺芭蕉記念館辺りを望む。 左手に、釈迦ヶ峰を見ながら石段を降りる。
性相院、観明院、仁王門の屋根が見える。 左手に性相院が見えて来た。
右手には、開山堂と納経堂が見える。 再び、弥陀洞に到着し、阿弥陀如来の姿を探す。
阿弥陀如来よりも、岩肌に埋め込まれた夥しい硬貨に興味を持つ。
山寺の一連の登山道の最終的な出口にあたる山寺本坊の参拝を最後に駐車場に戻る。
山寺散策の仕上げとして、山寺芭蕉記念館に寄る。 芭蕉が訪れたのは1689年7月13日だった。
芭蕉は尾花沢の人々に勧められて、旅路を変更して予定外の山寺を訪れている
芭蕉は山形滞在中に大石田・新庄・羽黒山・鶴岡・酒田で句会・俳席を持ち、奥の細道行脚の4分の1を過ごした。
山寺芭蕉記念館からは、芭蕉が感動した自然景観に恵まれた山寺全山を一望出来る。
奥の細道での山形行脚の足跡訪問は山寺が最初であり、残された各地も近日中に訪問したい。
山寺の訪問を終え、今日の宿である蔵王国際ホテルに向かう。
立石寺奥の院の「如法堂」
地図の中央の矢印が如法堂です <山形県山形市山寺にて>
山寺の奥の院周辺の風景と山寺芭蕉記念館を、下記の山寺の奥の院と山寺芭蕉記念館のボタンを
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