飯坂温泉    2017年10月24日


   医王寺の境内にある源義経と佐藤兄弟主従の像

 奥の細道の足跡と南東北地方の紅葉を尋ねて、  4泊5日の旅に出発、最初に東北自動車道の下河内サービスエリアによる。  自動車運転免許取得60年後に初めてマイカーで福島県入りし、安達太良サービスエリアに寄る。  安達太良サービスエリアには、安達太良山が見える展望台がある。  昨年の10月27日に、安達太良山ロープウェイに乗車した時は期待外れだった。  今日の安達太良山は全山紅葉しているように見える。 今回の紅葉は期待できそうだ。  東北自動車道を福島飯坂インターで降りて、医王寺に向かう。 最初に、医王寺山門横にある貴船神社に参拝する。  山門横の受付の老人が、ぶっきら棒ながら医王寺について色々説明してくれた。
 山門の横には、佐藤兄弟の奥方の武装した姿が掲げられている。  1689年5月に、芭蕉は「奥の細道」の旅で医王寺を訪れた。 佐藤継信・忠信兄弟一族の菩提寺である。  山門を潜ると右手に内門、山門の裏には、樹齢300年、樹高25mの天然記念物「シラカシ」がある。  内門を潜ると医王寺の本堂がある。 医王寺は826年に弘法大師により開基された。  本堂には弘法大師御作の薬師如来が祀られ、「鯖野のお薬師さま」と呼ばれている。  佐藤基治公の息子継信、忠信兄弟は源義経に付き従い、義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げた。  継信の妻「若桜」と忠信の妻「楓」は、義経の老婆乙和の悲しみを慰めようと夫の武者姿に扮したという。  本堂には、佐藤継信の妻「若桜」と佐藤忠信の妻「楓」の人形がある。  医王寺を訪れた松尾芭蕉は、「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」の句を残した。  芭蕉が旅の中で感涙の涙を流した4回の1つがこの医王寺で流した涙だと言われている。
 境内には、中央に源義経、右に佐藤継信、左に佐藤忠信の像が建てられている。  医王寺奥の院には、佐藤一族も信仰した薬師如来をおまつりする「鯖野薬師堂」がある。  平安時代末に玄心僧都が勧請し、この里にお堂を建て「鯖野の薬師様」として、今でも数多くの人々に親しまれている。  乙和の椿は、母乙和の深い悲しみと母情が宿ったと言われ、蕾のまま落ちてしまう。  佐藤の苗字は日本一多くの人が名乗っているが、特に東北に多く、NHKの調査では佐藤兄弟の影響が大とのこと。  受付の方のお話を基に、芭蕉の足跡を心に留めた後、準備された珈琲で一休み。  乙和公園まで続く「おくのほそ道」の芭蕉坂を薦められ、ちょっと散策する。  芭蕉坂を下ると、前方に飯坂温泉の温泉街が見えてきた。 芭蕉もこの道を歩いたのだろう。  医王寺から、今夜の宿である飯坂温泉のホテル「じゅらく」へ。  飯坂温泉は東北を代表する温泉郷で芭蕉は勿論、正岡子規や与謝野晶子も訪れている。
 「ホテルじゅらく」は源泉かけ流しの温泉に入浴できるとのことで選んだ。  先ず、部屋に入って一服する、ホテルは摺上川の河岸にある。  飯坂温泉の温泉街は摺上川の左岸に広がり、 この辺りで、右岸にあるのは左手に見える伊東園ホテル「飯坂叶や」ぐらいだ。  ホテルの南側、摺上川の河岸には「滝の湯」に関する「芭蕉の碑」がある。  河岸にはちゃんこちゃんこ(坂道の石段)を下ることで降りることが出来る。  ホテルの駐車場の後ろの崖の下に、長らくの間、芭蕉が宿泊したと思われていた「滝の湯」跡がある。

     医王寺 地図の中央の矢印が医王寺です      <福島県福島市飯坂町平野寺前にて>
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 芭蕉と曽良が入浴したと、有力視されている鯖湖湯

 外が暗くなる前の一時、飯坂温泉の温泉街の散策に出かける。  ホテルじゅらんを出て、南東に少し歩くと、左側に「芭蕉ゆかりの地入口」の碑がある。  石段を意味する方言の「ちゃんこちゃんこ」は、特に、滝の湯に降りる73段のこの石段をさしている。  滝の湯の跡に、奥の細道の本文が刻まれた「俳聖芭蕉ゆかりの地」の石碑が立っている。  長らく、1689年に芭蕉が入浴したのは滝の湯であろうと言われてきた。  しかしながら、奥の細道の研究が進み、今日、芭蕉と曽良が入ったのは鯖湖湯又は当座湯が有力視されている。  再び石段を登り、そのまま南西に進むと、旧掘切邸の前に出る。
 表門から入ると左手に主屋がある、主屋は1881年に再建された近代和風住宅である。  旧掘切邸は、江戸時代から続いていた豪農・豪商の旧家で1775年の建築である。  掘切家は、1578年に梅山太郎左衛門菅原治善が若狭から上飯坂村に移住したのが始まり。  背後に見える白い蔵は、道具蔵で一階は什器格納、二階は布団格納として使用していた。  正面の建物は足湯・手湯の施設があり、源泉掛け流しの温泉でリラックスできる。  旧堀切邸は飯坂温泉の観光交流拠点として2010年に開館した。  邸内には樹齢260年を超えるケヤキを始めとして多くの花木が、訪れる人を楽しませてくれる。  旧堀切邸の裏門を出る、菅原治善が堀を切って赤川の流れを変えたことから、彼を堀切と呼ぶようになった。  長い塀を眺めると、堀切邸が豪邸であったことが分かる。 次は、鯖湖湯へ。
 鯖湖湯は飯坂温泉発祥の地と云われ、1689年に、飯坂に立ち寄った松尾芭蕉が湯に浸かったと云われている。  明治22年建築で、日本最古の木造建築共同浴場であり、平成5年に忠実に再現された。  泉質はアルカリ性単純温泉、泉温51度、源泉掛け流しのため浴槽温度は47度前後である。  鯖湖神社の境内には、「飯坂温泉発祥の地」の碑や、俳人正岡子規らが飯坂を詠んだ句碑が建てられている。  芭蕉は奥の細道で、飯坂の宿について、「寝ている上から雨漏りがし、蚤や蚊に刺されて眠れない」と書いている。  飯坂温泉の歴史は古く、二千年前、日本武尊命が東征の折差、佐波子の湯に入って病を平癒したという。  鯖湖神社には、身体の癒したい所に温泉をかけると良くなると伝えられている「泉仏 お湯かけ薬師如来」が祀られている。  鯖湖神社から東に向かう、坂を上ると摺上川の右岸に出る。
 摺上川の右岸に、1200の歴史がある、太鼓櫓を設けた和風の外観の波来湯がある。  波来湯の前には、石で出来た桶があり、熱い温泉が流れ出している。  摺上川を挟んで、波来湯の対岸に黄色い建物の松島屋旅館、その南にいいざか花桃館がある。  摺上川の右岸、波来湯の上流側は波来湯公園になっている。  公園の木々はもう色付いている。  波来湯公園の北端には「波来湯分湯槽」があり、中を覗いてみると湧水を分配しているようだ 公園から、摺上川に架かる新十綱橋を経て、ホテルに戻る。

   飯坂温泉 地図の中央の矢印が飯坂温泉です      <福島県福島市飯坂町湯沢にて>
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