久しぶりに青空が広がったので、館山道を富浦インターまで走り沖ノ島へ向かう。
沖ノ島は鏡ヶ浦と呼ばれる館山湾に浮かぶ小島で、現在は陸続きになっている。
北側には、館山湾が広がり、正面に、昨年の4月20日に訪れた大房岬が見える。
沖ノ島までは200m程の砂浜で繋がっていて、歩いて渡ることが出来る。
周囲1km弱の無人の陸繋島であるが、元々は、四方が海に囲まれた島だった。
関東大震災で、地盤が隆起し、潮の流れが変化して陸地と島の間に砂が堆積した。
沖ノ島は海上自衛隊館山基地の北西の館山湾の中にあり、沖ノ島公園として、南房総国定公園に指定されている。
南房総国定公園は東京湾に面した富津岬から九十九里浜の南端太東岬までの約190kmの海岸線がメインである。
国定公園に指定された海岸の景観は、温和繊細な内湾風景と豪快で荒削りな外洋風景から成る。
東の岬に到着、ここから西は岩礁帯になっていて、海水浴には不向きな場所である。
館山基地の東側には館山港があって、一般船の入出があり、航行注意の標識が見られる。
海上自衛隊北側沿岸及び沖ノ島の沿岸から沖合い100mまでが潜水魚海域として航行自粛区域になっている。
沖ノ島周辺の海域にはサンゴが生息し「サンゴの北限域」としても知られている。
島の北に位置する30mほどの小さな入り江に到着、天然のプールになっている。
沖ノ島は環境省が実施する「海水浴場水質調査」で毎年最高レベルの「AAランク」に認定されている。
沖合いでは、モーターボートを楽しんでいるグループも見える。
入り江の中では、シュノーケリングで海底の珊瑚や魚を楽しんでいるカップルも見える。
この辺りには、カラフルなニシキベラ、オハグロベラ等が生息していると云う。
子供の頃、ベラが釣れるとがっかりした思い出があるが。
海水浴の季節はとっくに終わっているが、海の中には、多くに人の姿がある。
北の入り江の遥か後方に、ダイヤモンド富士で知られている北条海岸が見える。
大房岬の左には浦賀水道が広がる。 その左手に今年の5月29日に訪れた三浦半島がある。
北の入江から岩礁地帯を更に西に進むと、西側の裏手の浜にでる。
今まで右手に見えた大房岬に代わって、左手に、昨年の5月12日に訪れた洲崎が見える。
岬の先端に洲埼灯台らしき、白い柱が見える。
西側の浜辺は、航行する船の波が押し寄せることもあるので遊泳には不向きとのことである。
西側にある裏手の浜辺を進むと、岩礁が沖に突き出た島の西端になる。
遊歩道は此処で途切れ、海岸沿いの島巡りは終わりになる。
沖ノ島の西端の岩礁の上から裏手の浜を望む。 遊歩道は右手の道を島の中央部へと続いている。
裏手の浜は遊泳には不向きであるが、貝殻が打ち上げられ拾うことができる。
裏の浜から、島の中央部に続く遊歩道へ。 振り返ると前面に裏浜が広がる。
島の中に向かうと、直ぐ右手の切り立った岩の中に、海岸に出る道がある。
海が見えると、左手に、全長10mの洞窟の入口がある。
この洞窟は、太平洋戦争中に使われていた壕と云われている。
洞窟の内部は左右に幾つかの小部屋がある。
海側の部屋には小さな覗き窓があり、そこから機銃を構えながら揚陸させまいと見張っていたという説もある。
洞窟から外に出ると、岸壁の中央部に出る。 外から見ても人が掘った孔らしい。
南房総館山は、東京湾の入り口に位置する為、軍事的に重要な場所だったようだ。
海岸に下りて、島の南西部分を東に望む。 岸壁が続いて歩くのは困難のようだ。
岸壁の向こう、東の方向には、海上自衛隊館山基地がある。
海上自衛隊館山基地の南に隣接した、海上自衛隊 館山大賀宿舎の建物群が見える。
島では、6000年前の地層から、サンゴの化石が出る。
再び洞窟の中を潜り、島の中の道に戻り東に歩くと、左手に、宇賀明神が祀られた社がある。
明神は1096年〜1099年に掛けて安房國司として赴任した源親元が1096年に建立した。
海岸から東を望むと、右手に、洲埼灯台に続く房総フラワーラインの町並みが見える。
宇賀明神を出て、島の中の道を東に進むと、沖ノ島の入口に出る。 左手に歌碑がある。
島の入口から南側に向かい、島を右回りに進むと、磯にベンチが置いてある。
ベンチの腰掛けて西を望むと、洲崎が先に延びている。 右手に先ほど参拝した宇賀明神の海岸がある。
沖ノ島まで繋がる砂浜は海水浴場になっていて、館山湾側の砂浜に対して、南側の砂浜の方が海温が高いという。
沖ノ島を後にして国道128号外房黒潮ラインを東に走る。
沖ノ島
地図の中央の矢印が沖ノ島です <千葉県館山市富士見にて>
沖ノ島を、下記の沖ノ島のボタンをクリックして56枚のスライド写真でご覧ください。
外房黒潮ライン沿いの道の駅「和田浦WA・O!(ワオ)」に寄り、お食事処和田浜で「あら煮定食」を味わう。
道の駅「和田浦WA・O!(ワオ)」の近くの和田浦海岸には、鹿島鳴秋の「浜千鳥歌碑」がある。
浜千鳥は鹿島鳴秋が愛娘を偲んで作詞し、弘田龍太郎が作曲した歌である。
1920年の雑誌少女号の正月号に発表された浜千鳥の歌詞は子供時代の記憶に鮮明に残っている。
和田浦海岸は、日本の水浴場100選にも選ばれた美しい海岸である。
南房総では、17世紀ごろから、小型船による沿岸捕鯨が行われてきた。
和田浦港は、現在は全国でたった4箇所しかない捕鯨基地の内の一つである。
更に、外房黒潮ラインを東に走ると、右手に道の駅「鴨川オーシャンパーク」がある。
海と花の海浜リゾート公園である、道の駅「鴨川オーシャンパーク」には人工磯の「千年磯」がある。
太鼓橋が架かる千年磯は海水を導入した人工磯の潮溜まりプールである。
太鼓橋を渡ると、サザエ又はピラミッドのようなユニークな外観のオーシャンパークがあり、
2階にレストラン、1階に土産品売り場があり、南側には太平洋が広がっている。
パークの前の漁民公園には、「鴨川温泉なぎさの湯」を使用した足湯がある。
オーシャンパークは観光地に良くあるような企画倒れの施設のようだ。
オーシャンパークを出て、鴨川バイパスから左折して鴨川道路を北上すると、左手に「千寿の湯」がある。
この地は、農家のための溝の脇にあった「濃溝の滝」があることで知られているが、滝は、何処にでもある小さな段差の流れである。
小さな駐車場に、観光バスが次々と入ってきて、乗客を降ろして直ぐに外に出て行く。
観光客の目当ては、濃溝(ノウミゾ)の滝の上流にある亀岩の洞窟と呼ばれるカータ(川田)トンネルである。
8年前、カータートンネルの下方に、亀に似た岩を見つけ、洞窟の亀岩と呼ぶようになった。
1660年頃に、笹川を短絡した手堀りのトンネルで、最近、トンネルの下流に出来るハート型の映像が話題になる。
ジブリとまで称された濃溝の滝がネットからメディアを中心に爆発的な人気になり、バスの大群が現れた訳である。
洞窟に太陽の日差しがハート型の角度で差し込むのはお彼岸の頃の早朝とのことである。
大多数の観光客と同様、此処がハート型の光に輝く場所であるという事だけを確信して、房総半島を後にする。
農溝の滝
地図の中央の矢印が農溝の滝です <千葉県君津市笹にて>
農溝の滝周辺の風景を、下記の「農溝の滝」のボタンをクリックして26枚のスライド写真でご覧ください。