本土寺の紫陽花      2017年6月20日


    高さ18mの五重塔を背景に、本土寺境内を彩る紫陽花

 本土寺の紫陽花を尋ねて、新松戸駅で武蔵野線から常磐線に乗換えて、北小金駅へ。  常磐線北小金駅の南口に出る。 本土寺は駅の北側にあるので、北口に向かい、駅前の通りを真北に進む。  駅から真北に延びる、北小金商店会の殿平賀小学校の通学路を進む。  小金北市民センター交差点に到着。 右手に本土寺の石碑がある。 ここから、参道である。  中央の参道の両側に並木が続き、二本の細い参道が平行して延びている。 参道を見ただけで寺の格式が分かる。  並木の根元に塚がある。 経典を土中に埋納した経塚であると、代々伝えられていると云う。  前方に本土寺の仁王門が見えてきた。 長谷山本土寺は、1277年に日郎を導師として招き、開堂したのが起こりである。
 本土寺仁王門は、慶安年間に、日慧上人の発願により建築された。  仁王門は、間口三間半、奥行二間、木造瓦葺桜門式の朱塗りの高楼で、 両側に仁王様が鎮座し、階上には金色の千体仏が祀られている。  本土寺は、豪族平賀忠晴の屋敷内に開堂されたのが始まりである。  本堂の前には芭蕉の碑がある。 1804年に行われた芭蕉忌を期して建立された。  本土寺は、池上本門寺、鎌倉妙本寺とともに郎門の三長三本の本山である。  本土寺本堂は、1651年に小金城主の一族の日修が造立し、1977年に拡大改造された。  建物は、間口八間、奥行十間、木造銅板葺で、御本尊は一尊四士である。  境内には、小金城主で、家康の第五子万千代君を生んだ、秋山夫人の墓がある。  更に奥に進むと、紫陽花に囲まれた菖蒲池がある。  本土寺は平賀家の三兄弟で知られる三聖人のご出生の聖地として知られている。  三聖人とは日郎聖人、日像聖人、日輪聖人である。
 花の寺本土寺では、6月上旬には、五千本の花菖蒲が花を咲かせる。  6月の下旬に向けて、十種類、五万本以上の紫陽花が境内中に咲き渡る。  1920年に建造された宝物殿が見える。 中には、霊宝、什物、古文書などが収められている。  宝物殿に収められている鐘楼は、1278年の鋳造銘があり、県下第二の古鐘である。  本土寺の本土はお釈迦様が本佛となって住む国土「本土」に由来する。  乳出の御霊水は、「日像菩薩誕生水」とも言われ、日像上人誕生時、清水が湧き出して、産湯として使った。  像師堂に参拝、京都開教の祖日像上人の「日像菩薩像」が祀られている。  日像菩薩石像は、平賀家の二男として生まれ、第二の日蓮聖人と称せられる日像上人の像である。  像師堂の前には、弁天池が広がっている。 弁天池の中央にある小島の厨子には弁財天が祀られている。  弁天池の裏側には小滝もあり、銭洗い弁天がお祀りしてある。
 9年前の2008年4月1日に、鎌倉の銭洗弁天で洗ったのを思い出しながら、硬貨を洗う。  1821年建立の旧輪蔵院の門であった「瑞鳳門」がある。 以前は像師堂前にあった。  大正末期の建築である「妙朗堂」は、日朗上人の御母である妙朗尼を祀っている。  菖蒲池の周りには、開花の情報に接し多くの人が詰め掛けている。  2014年6月25日訪れた形原温泉の紫陽花と比べると、可也、見劣りがする。  本土寺の境内を一回りして、再び、五重塔の前に来る。  菖蒲池と五重塔の前の紫陽花が、本土寺でのシャッター・ポイントか。  本土寺は、歴史的な建造物はないが、五重塔を初め多くの建物がある。  二間四面、茅葺の本土寺の鐘楼には、重文の梵鐘は宝物殿で保管されている。  本土寺の五重塔は1991年に、日像菩薩650遠忌記念として建立された。  紫陽花に囲まれた、高さ18mの五重塔を最後に、本土寺を出て北小金駅に向かう。

     本土寺 地図の中央の矢印が本土寺です      <千葉県松戸市平賀にて>
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