観音寺公園      2017年5月29日


    久里浜港の東京湾フェリーターミナル、左が横須賀火力発電所の3本の煙突

 三浦半島の旅を房総半島からフェリーとアクアラインで計画する。  富津館山道路の富津金谷インターを降りて内房なぎさラインを走り金谷フェリーサービスセンターへ。  金谷フェリーサービスセンターの前からは、南に明鐘岬が見える。  サービスセンターの駐車場には、千葉県最初の「恋人の聖地」がある。  一番乗りの我々の車の後ろに、フェリーへ乗車待ちの車の長い行列が出来た。  乗船時間が近づいたので、車に乗ってスタンバイ。 ゲイトが開いて、フェリーの中に乗り込む。
 車から降りて、デッキの上に登り、ゲイトを見ると、車は全てフェリーに乗船完了。  船内の座席確保し、出発準備OK。 浜金谷港の背後には、鋸山の尾根が明鐘岬へと延びている。  フェリーの「しらはら丸」は総トン数3,351トン、全長79.1m、航海速力13ノットである。  フェリーの旅客定員580名、車両積載台数は、バスのみで最大12台、乗用車のみで最大105台である。  浜金谷港を後にして、しらはら丸が出航する。  浜金谷港の北に、ヤマハ・マリンクラブの金谷マリーナが見えてきた。   標高329.5の鋸山がどんどん遠のいていく。 金谷から久里浜までの所要時間は、片道約40分である。  今日は天気が良いので、乗客が甲板に出ているためか客席はガラガラ、マイペースでのんびりと船旅を楽しむ。
 三浦半島の山並みが近づいてきた。  先ず、最初に、久里浜港の南にある、横須賀火力発電所の3本の煙突が見えていた。  煙突の右が、今から入港する久里浜港である。 右に目を移すと、千代ヶ崎や燈明崎が見える。  右端に見えるのが、観音埼灯台がある観音崎だろう。  フェリーは久里浜港の南にある横須賀火力発電所の前を通過。  千代ヶ崎辺りには、陸上自衛隊久里浜駐屯地や横須賀刑務支所、久里浜少年院がある。
 久里浜港内に入ると、正面に久里浜海岸の浜辺が見える。  久里浜海岸の左に、マンションの久里浜海岸マリーナタウン、その左にフェリー乗り場がある。  フェリーは左に旋回、左手に横須賀火力発電所の3本の煙突が現れる。 中央が高さ200m両側が高さ180mである。  東京湾フェリーターミナルは、久里浜港の南にあるので入港してから左に旋回する。  1998年3月15日以来、19年ぶりにフェリーで久里浜港に上陸する。

     久里浜港 地図の中央の矢印が久里浜港です      <神奈川県横須賀市久里浜8丁目17にて>
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 1969年に我が国最初の洋式灯台として光を発した観音埼灯台

 久里浜港より、ペリー公園の前を通り、浦賀港沿いの道を走り観音崎公園へ。  レストハウスで飲み物を確保し、観音崎園地に面した海岸へ。 ここは遊泳禁止である。  観音崎園地から、磯になっている海岸を海岸園地に向かって歩く。  この辺りの海岸はバーベーキューエリアになっていて、家族連れが多い。   丘の上に二階建ての建物と塔がある。 「東京湾海上交通センター」だ。 塔の高さは海抜83.5mである。  観音崎海岸は変化に富んだ岩場と砂浜で、磯遊び・砂浜遊びが楽しめるファミリーに人気の海岸である。
 海岸園地の崖にある海蝕洞窟に、741年に、行基が退治した大蛇の霊を祀ったと云われている。  この洞窟の沖で入水して海を鎮めた弟橘媛命が、十一面観音として刻まれ洞窟に安置された。  海岸園地からは観音埼灯台が見える。 観音崎の地名は行基が船守観音(十一面観音)を海蝕洞穴に納めたことに由来する。  江戸時代には、この辺りに観音堂・本殿・般若堂が立ち並び、人々の観音寺に対する信仰は大変厚かった。  1880年に陸軍砲台が築造され、翌年、観音寺は鴨居の亀崎に移された。  鴨居観音寺は消失し、現在、三浦33観音としての札所は真福寺が代行している。  観音崎の岬の先端は、観音崎灯台が立っている。  崎の南には、観音崎公園がある「たたら浜」が続いている。 海岸園地から階段を登って灯台に向かう。  観音埼灯台に到着。 建設を指揮したのは、フランス人のフランソワ・レオンス・ヴェルニーである。  観音埼灯台は1969年に我が国最初の洋式灯台として光を発した。  灯火の光源は群閃白光で毎15秒に2閃光、灯火の光の強さは77,000カンデラ、 光の届く距離は約35kmで、灯台の高さは、地上から灯台頂部まで19m、水面から灯火まで約56mである。
 灯台に登って周りを見渡す。 丘の上に、先程見上げた、東京湾海上交通センターの塔が見える。  先程歩いた海岸園地が見える。 左の崖に、観音崎の名の由来になった海蝕洞窟がある。  南を望む。 磯の向こうに、展望園地があり、観音崎自然博物館やレストランマテリアがある。  現在の灯台は、1925年に再建された3代目の灯台で、日本の灯台50選に指定されている  灯台の横には、、八丈島の神湊灯台の「灯ろう」や観音埼霧信号所で使用された霧信号吹鳴器が展示してある。  観音埼灯台から海の見晴らし台へ向かう。 途中に、北門第一砲台跡がある。
 戦没船員の碑の手前で左折し長いトンネルに入る。  トンネルを出ると廃墟のような空間に出る。 海の見晴らし台は観音崎第3砲台跡である。  第三砲台は1884年に竣工したもので、奥に進むと海が見える高台に出る。  海の見晴らし台からトンネルを抜けて、元の道に戻り戦没船員の碑へ。   戦没船員の碑は第二次世界大戦や海難事故の犠牲者を慰霊する碑である。  建立に必要な資金は、募金を呼びかけ、1億4千万余円が集められた。  吉村順三氏の設計による碑文石、高さ24mの白磁の大碑壁、菊池一雄氏のブロンズ群像がある。  戦没船員の碑の前からの太平洋を最後に、観音崎公園を後にして城ヶ島に向かう。  城ヶ島に向かう途中で、ペリー公園の前から久里浜海岸を望む。

   観音埼灯台 地図の中央の矢印が観音埼灯台です      <神奈川県横須賀市鴨居4丁目にて>
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     安房崎の先端の岩場の上に立つ、白亜の安房埼灯台

 城ヶ島大橋を渡って、先ず最初に、城ヶ島公園の第2展望休憩所の展望台へ。  展望台から、正面ゲイトの方向に西を望む。 木々が茂っているのが緑陰広場である。  北を望むと、芝生が広がる「うみのね広場」の向こうに宮川湾が広がる。  東の方向、安房崎の北岸を望む。 城ヶ島の東半分は城ヶ島公園になっている。  第2展望休憩所の展望台から島の東端を望むと、第1展望休憩所の屋根が見える。  房崎の南岸、城ヶ島公園の南側は磯が続いていて散策できる。  展望台を降りて、安房岬に向かう途中に、北原白秋を偲んだ宮柊二の歌碑がある。
 安房崎に到着。 岬の先端の岩場の上に、白亜の安房埼灯台が見える。  安房埼灯台は1962年に初点灯された小型灯台で、中央が括れた構造は、デザイン的にも優れた灯台である。  この地から安房の国が見渡せることからその名がつけられた。  地上より頂部までの高さは11.5m、水面より灯火までの高さは13mである。  安房埼灯台の光度は2千カンデラ、光達距離は約19kmである。  1646年に岬の前を行き来する船の為に、この安房崎に烽火台を設けたのが始まりである。  安房崎の最初の灯台が廃されて、島の西端の長津呂崎に城ヶ島の灯台は移された。  安房崎の「はな」は磯が沖まで広がっていて、灯台が立っているところまではかなりある。  安房崎の岬の先端に来る。 この辺りは、海面下にも磯が広がっていて、この辺りは船の難所であった。
 灯台の北側には、三浦半島の南岸が広がっている。  右端の先端に見るのは、剣崎に建つ、剣埼灯台だろう。  安房埼灯台を後にして、安房崎の南側の磯を西に向かって歩く。  磯沿いの遊歩道は、第2展望休憩所まで続いている。 丘の斜面に上に登る小道を発見する。  第1展望休憩所への道だろうと思って登ると、予想通り第1展望休憩所に到着した。  展望台から南を望むと、相模灘が広がっている。  北側は、右手の宮川湾から左手の城ヶ島大橋まで見える。  城ヶ島大橋は1960年に開通した、全長575mの橋で、海面からの高さは16m〜23.5mである。  安房崎に目を向けると、芝生に覆われたピクニック広場が広がっている。  正面に、神奈川県水産技術センターの送受信所にある赤と白の鉄塔、右手、岬の先端の剣崎には、 左に無線方位信号所のレーダー施設の鉄塔、右に剣埼灯台が見える。  東の方向、安房崎の先端には、白亜の安房埼灯台が見える。 第1展望休憩所を後にして駐車場へ。  駐車場への途中に、角川書店を創立した角川源義の歌碑がある。

安房埼灯台 地図の中央の矢印が安房埼灯台です      <神奈川県三浦市三崎町城ケ島にて>
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 城ヶ島京急ホテルから見る、夕日で浮き上がった富士山

 城ヶ島公園から今夜の宿である城ヶ島京急ホテルへ。  城ヶ島京急ホテルは城ヶ島の西端の長津呂崎にある。  ホテルの前から北を望むと、左に、灘ヶ崎が延びている。  長津呂崎と灘ヶ崎に抱かれた海岸は釣り場の名所でもある。 ホテルの前から磯へ観光橋が延びている。  磯の上から南に、城ヶ島京急ホテルを望む。 今晩宿泊する部屋は、最上階の左端の部屋である。
 城ヶ島は地層を見学する上で、大変見どころが多いため,多くの大学や高校の巡検地域としても有名である。  観光橋のジオサイトには、逆断層とスランプ褶曲が伴った構造の存在が知られている。  露出する地層は三崎層と呼ばれ、約1200万年前から440万年前に海底で堆積した。  平らに削られた露頭は隆起した海食台で、城ヶ島の海岸に広く見られる。  ここの地層は、西北西方向に延び、洗濯板のように凹凸のある地層が見られる。  このような凹凸は、地層の硬さの違いによって差別侵食を受けた結果できたものである。
 ホテルから南西に広がっている長津呂崎へ向かい、ホテルを見上げる。  ホテルの後に、城ヶ島灯台が見える。 長津呂崎から南を望む。 磯の向こうが相模灘である。  北を望むと、灘ヶ崎の左に三崎漁港の堤防が延びている。 白い建物の超低温冷蔵庫が見える。  三崎漁港は全国有数のまぐろの漁獲量を誇っている。  散策後、部屋に戻り、保温やリラックス効果があると言われている人工ラジウム鉱泉の露天風呂に入る。  夕食の食卓に付いた時に、仲居さんから夕日が綺麗だよと云われる。  日中には晴天にも拘らず、一度も姿を見せなった富士山も姿を現す。  日没につれて、益々、鮮明になっていく富士の姿に感動する。 今日は素晴らしい一日だった。

   城ヶ島京急ホテル 地図の中央の矢印が城ヶ島京急ホテルです      <神奈川県三浦市三崎町城ケ島にて>
長津呂崎の風景を、下記の「長津呂崎」のボタンをクリックして28枚のスライド写真でご覧ください。  

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