逗子散策      2017年4月25日


   「太陽の季節ここに始まる」と書かれている太陽の季節記念碑

 総武線から横須賀線に乗換えて、逗子駅で下車披露山を目指す。  逗子駅前で、鎌倉駅行き京急バスを探すも見当たらずタクシーに乗り込む。  タクシーに披露山山頂の駐車場まで乗る。 駐車場の脇に尾崎行雄記念碑がある。  披露山山頂には、標高93mの展望台がある。  最初に展望台に登る。 披露山の名前は、源頼朝がここで、献上品を家臣に披露した伝説から由来する。  展望台から西を望むと、右端に鎌倉の市街地、左端に江ノ島が見える。  江ノ島の右手前に、新田義貞徒渉伝説地として知られている稲村ヶ崎が見える。  気候温暖で風光明媚な逗子は明治時代から別荘保養地として知られている。 左端に大崎公園の小山が見える。  南を望むと、手前に葉山マリーナ、その後ろに葉山海岸の浜辺が見える。  手前が葉山マリーナ、後ろが葉山海岸、背後が標高148mの大峰山である。
 花に囲まれた山道を展望台からハイキングコースの入口に向かう。  逗子は徳富蘆花が悲恋物語「不如帰」を執筆したことで知られている。  浪子不動ハイキングコースは不動尊・不動園地を経て逗子海岸へと通じている。  60年前に、クラスメイトの大場君の親の蔵書である明治文学全集を借りて読み漁った。  明治文学全集の中の徳富蘆花の「不如帰」は今でも記憶に残っている。  浪子不動と呼ばれている高養寺の屋根が見えてきた。  浪子不動の向こうには、逗子海岸が広がっている。
 後で聞いた郷土資料館の館長の説明では、この辺りに住んでいた娘がモデルらしい。  現在では明治の文豪の作品を読んだり、浪子不動を訪れる人は少ない。  作品を読んで感動し、60年経てやっと訪れることが出来た感動は一入のものである。  浪子不動の前には、作詞土屋花情、作曲八州秀章の「さくら貝の歌」の歌碑がある。  土屋花情の歌碑がある辺りは、不動園地として整備されている。  不動園地は「披露山の暮雪」と共に、「浪子不動の秋月」として逗子八景の一つになっている。  不動園地の海岸には、海の中に蘆花の兄蘇峰が揮毫した「不如帰碑」が立っている。
 海岸沿いの国道134号線を、逗子海岸に向かって歩く。  浪子園地の前から、逗子海水浴場として知られている逗子海岸を望む。  全長850mの海岸のキャッチフレーズは「太陽が生まれたハーフマイルビーチ」である。  逗子海岸は遠浅で波も穏やかであり浜が小細砂で、貝殻や砂利や泥が少ないのが特徴である。  明治時代から海水浴場として宣伝され、ウィンドサーフィンでも有名である。  我々の世代では、逗子と云えば「太陽の季節」の一語に尽きる。  高校生の時に発表された石原慎太郎の「太陽の季節」は衝撃的だった。  小説に続いての映画化、ヒロインの南田洋子も魅力的だった。  彼女も長門裕之も既に鬼籍の人となり、作者だけが現在旧知事として翻弄されている。  華やかな記憶と比べ、シーズン外の浜辺は寂しさすら感じる。  海岸の一画には、「太陽の季節記念碑」が立っている。  太陽の季節記念碑には「太陽の季節ここに始まる」と書かれている。  中学生の家内が読んだと知って、先生が驚いた話を初めて耳にした。

     太陽の季節記念碑 地図の中央の矢印が太陽の季節記念碑です      <神奈川県逗子市新宿1丁目6にて>
逗子海岸を、下記の逗子海岸のボタンをクリックして42枚のスライド写真でご覧ください。


 徳富蘆花の「自然と人生」の風景を再現した「蘆花散歩道」

 田越川に架かる渚橋を渡って、逗子海を後にする。  渚橋からは、逗子海岸の向こうに披露山と披露山公園の鉄塔が見える。  田越川の河口を望む、逗子湾の対岸の右手に不動園地、左に大崎公園の岬、江ノ島が見える。  田越川に架かる渚橋の上流に京都の五條大橋を模した朱塗りの富士見橋が見える。  田越川左岸から右折して蘆花記念公園へ。 公園西側の長柄桜山古墳群は最近話題になっている。  終戦まで第16代当主の徳川家達の別邸だった逗子市郷土資料館に寄る。
 資料館では、1984年から逗子に関わる文学・歴史などの資料などを展示している。  館内には、徳富蘆花の不如帰の原稿や、不如帰碑に彫られた蘇峰の掛け軸も見られる。  来館者が殆ど無いのを幸いに、館長さんが、逗子の歴史から不如帰の裏話まで一時間余り解説して下さった。  長柄桜山古墳が4世紀に築造された神奈川県内での最大級の前方後円墳であるのは驚きだ。  逗子市郷土資料館の門を出ると、下までの坂道が「蘆花散歩道」になっている。  散歩路には、徳富蘆花の「自然と人生」の湘南雑筆から各月の作品一つを選び冒頭部分を掲示してある。  自然と人生は徳富蘆花の作品の内、不如帰、思い出の記とともに記憶に残っている一つである。  散歩道は1月の霜の朝から12月の冬至まで続き、最後に「自然に対する五分時」の相模灘の落日で終わっている。  「蘆花散歩道」はすてきな点景を添えまちの景観を豊かにしたとして、逗子まちづくり研究会が「逗子景観賞」を与えている。
 再び、田越川左岸に戻り、田越川に架かる渚橋を望む。  田越川左岸を上流に歩くと、朱塗りの富士見橋の右側手前に徳富蘆花ゆかりの地がある。  国木田独歩や徳富蘆花が逗留した柳屋跡で、この地で「不如帰」が書かれた。  二つの碑には、「蘆花・独歩ゆかりの地」と蘆花の狂歌「青いくも白い雲同じ雲でも・・・」が刻まれている。  蘆花・独歩ゆかりの地を離れ、富士見橋を通り過ぎると右手に六代御前の墓がある。  平惟盛の嫡子が1203年この地で処刑されたと伝えられ、六代御前最後之故地の碑が立っている。  六代御前は文覚上人の助言で生き延びたが、平家物語には「田越川にて斬られてんげり」とある。  伝説によると、桜山柳作の、この岡が六代御前の墓とされている。  田越川左岸の田越橋交差点で左折して田越橋を渡り、京急新逗子駅へ。  京急新逗子駅の前を通り、JR逗子駅に到着、横須賀線に乗車して帰宅する。

   逗子市郷土資料館 地図の中央の矢印が逗子市郷土資料館です      <神奈川県逗子市桜山8丁目にて>
蘆花記念公園周辺を、下記の「蘆花記念公園」のボタンをクリックして32枚のスライド写真でご覧ください。  

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