武蔵国分寺      2017年3月25日


   復元されてた武蔵国分尼寺の金堂基壇と4本の高竿

 武蔵野の面影を求めて、中央線の西国分寺駅にて下車。  西国分寺駅の南口を出て、史跡通りに向かう。  南口駅前広場から東武ストアーを望む、史跡通りに入り南下する。  歩道に、史跡通りの文字と土器を描いた石盤がある。 この辺りから深鉢形土器が発掘された。  史跡通りを南に歩くと、数多くの住所跡や土器・石器が発見された場所があり、武蔵台東遺跡と名付けられた。  史跡通りの突き当たりに「武蔵台遺跡公園」がある。 ここで、約9000年前の縄文時代の住居跡が発見された。  公園で見られるのは、柄鏡形敷石柱住居跡と呼ばれる約4000年前の縄文時代中期の住居跡である。  床に数多くの川原石が平に敷かれていて、石の上には深鉢形土器が置かれている。
 武蔵台遺跡公園から旧鎌倉街道を南下し、歴史公園の北方広場へ。 東に伝祥寺跡がある。  黒鐘公園は国分寺崖線の南にあり、高低差のある地形を活用している。  鎌倉街道は、府中、町田を経て鎌倉に続く。 街道の左に市立黒鐘公園、右に市立歴史公園がある。  旧鎌倉街道の西にある黒鐘公園を覗いてみる。 崖からは湧水が出ていて、公園内の池に供給している。  黒鐘公園から崖に沿って、林が西に延びている。 武蔵野の面影を追って歩く。  林は武蔵台公園の東の入口になっていて、武蔵台緑地を通り、新府中街道沿いまで続いている。  新府中街道沿いの武蔵台公園には、隣接して武蔵台少年野球場がある。
 再び、国分寺市立歴史公園に戻り、武蔵国分尼寺跡へ。  尼坊前面において、中軸線を挟んで東西に幢竿跡が発見された。 柱は西側の4本である。  金堂基壇の北東角では、土を層状に固めて造る版築という工法で造られた層が観察できる。  金堂基壇は高さ1mで、東西26.7m、南北18.5mあり、復元されている。  金堂の前にも、東西に4本の高竿が立っていた。 旗を幢幡又は幡といい、高竿を幢竿と云う。  国分尼寺は聖武天皇の詔により、鎮護国家を祈願する官立寺院として建立された。  尼寺は東西150m、南北160m以上の範囲を素堀溝で区画されていた。
 武蔵野国分尼寺から、武蔵野線のガードを潜って文化財資料展示室に向かう。  府中街道の国分寺四中入口交差点に出る。 後方が尼寺跡、正面を進むと資料館がある。  国分寺文化財資料展示室が見えてきた。 市立第四中学校内から出土した土器、鉄製品などを展示している。  展示室は小規模だったが、係りの人が奈良時代の歴史から武蔵野の文学まで1時間余り解説してくれた。  十分時間に余裕を持って、資料館、展示館などを訪れ、地元の係員に心行くまでお話を聞くのが 旅行の最大の醍醐味である。

     武蔵国分尼寺跡 地図の中央の矢印が武蔵国分尼寺跡です      <東京都国分寺市西元町4丁目3にて>
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 三河国米津村の米津田盛が建立した武蔵国分寺の楼門

 武蔵国分寺跡に到着。 奈良時代に全国に造られた国分寺の中でも最大級のものとされている。  寺院の主要建物を囲む塀の南面中央に設けられた中門跡で、12ヶ所の壷地業を発見し、八脚門と判明した。  中門跡から北を望むと、数本の黄色い柱の向こうに金堂跡がある。  黄色い柱は、金堂の前に並ぶ、幢竿跡の跡である。  武蔵国では湧水が豊富な国分寺崖線を背景にして、東山道武蔵路の東側に僧寺、西側に尼寺を配した。  北部には講堂跡がある。 国分寺が完成したのは天平宝字年間頃と考えられる。  僧寺は中枢部、伽藍地、寺院地の三重に区画された構造からなっている。  中枢部は北から順に講堂、金堂、中門が一直線に並び、両側に鐘楼と経蔵があった。  金堂の東には鐘楼の跡があり、12箇所の礎石跡が見られ、右にある一つの石が現位置に残存する礎石である。  武蔵国分寺遺跡の北東部の背後には、現在の国分寺があり、その後ろに国分寺崖が連なる。  武蔵国分寺は奈良時代に建立され、1333年に分部河原の戦いで消失した武蔵国分寺の後継寺院である。  国分寺の楼門は米津出羽守田盛の元菩提樹として建立した米津寺の楼門を明治28年に移築したものである。  米津出羽守の出身地は三河国碧海郡米津村(現西尾市米津)で、旧住居の隣村であった。  武蔵国分寺は真言宗豊山派の寺院で、山号は医王山、本尊は薬師如来である。  本堂の正面上には竜の彫刻がある。  武蔵国分寺の境内には、「万葉植物園」があり万葉集に歌われた植物160種が植えられている。  武蔵国分寺の楼門を出て、お鷹の道に入る。 この辺りは江戸時代徳川家の御鷹場になっていた。  お鷹の道の途中で左折すると、真姿の池に至る。  国分寺崖に沿って、湧水群があるが、その一つである真姿の池から清水が流れている。  真姿の池畔には弁財天が祭られている。  絶世の美女玉造小町が皮膚病を煩い、この湧水で身を洗ったら元の姿に戻ったとの伝説がある。  お鷹の道・真姿の池湧水群は全国名水百選に選定され、東京都の名湧水57選にも入っている。  真姿の池から国分寺崖線を登って北上すると武蔵国分寺公園に至る。  公園は多喜窪通りで二分されていて、南側に国分寺公園、北側に武蔵国分寺公園がある。  多喜窪通りに架かる歩道橋から東を望むと、左が武蔵国分寺公園、右が国分寺公園になる。  都立武蔵国分寺公園の泉・南東口がある西元町一丁目交差点から、多喜窪通りを国分寺駅に向かって歩く。  野川を横切り南町三丁目交差点まで来ると市街地らしくなる。  駅南口交差点に到着、正面のセレオの建物の奥に中央線の国分寺駅がある。  国分寺駅から中央線に乗車して千葉に向かう。

   武蔵国分寺跡 地図の中央の矢印が武蔵国分寺跡です      <東京都国分寺市西元町2丁目1にて>
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