品川宿散策      2017年1月28日


    北品川橋の上から望む、屋形船や釣り船が浮かぶ「品川浦舟だまり」

 品川宿散策のため、品川駅で下車して国道15号線の第一京浜へ向かう。  品川駅前交差点に出て、第一京浜を跨ぐ品川駅前歩道橋を渡り、第一京浜を南に向かって歩く。  右手に地上39階建ての品川プリンスホテルがある。  品川プリンスホテルに、一番最近泊まったのは、3年前の2014年3月11日たっだ。  八ッ山橋交差点に到着。 八ッ山橋交差点で左折して、JR線を跨ぐ八ッ山橋へ。、  橋に沿って京急本線の鉄橋がある。 京急の赤い電車が品川駅に向かって北に走って行く。  第一京浜から離れて、八ッ山橋を渡る。 横に聳えるのが地上19階建て、京王電鉄の京王品川ビルである。
 八ッ山橋東詰から、旧東海道の品川宿が始まる。 八ッ山橋は品川百景の一つになっている。  旧東海道の歩道には、宿場名を記した石碑が並んでいて、江戸時代にタイムスリップする。  「従是南 品川宿 地内」の標識を見ながら、京急本線の踏切を渡ると、右手に、「右品川宿」の石碑がある。  旧東海道に入ると、「北品川本通り商店会」と書かれた鉄柱に、品川宿の旗が閃いている。  更に進むと、北品川郵便局の手前左側に、沢庵和尚が禅問答した場所に立つ「問答河岸の碑」がある。  郵便局を過ぎると、旅籠屋の「相模屋」の外壁が土蔵のような「なまこ壁」だったので、「土蔵相模」と呼ばれた土蔵相模跡がある。  旧東海道を外れて、東側の八ッ山通りに出ると、天王寺運河に架かる、大正期末の石造りである北品川橋がある。  北品川橋の上から、沢山の屋形船や釣り船が浮かぶ「品川浦舟だまり」を望む。  「品川浦舟だまり」は都会では得がたい風景で、品川区内の最大の観光スポットである。
 八ッ山通りを更に南に進むと、品川浦公園がある。 江戸時代は此処まで海だったという。  品川浦公園には、1798年に天王洲に紛れ込んだ鯨の「鯨塚」がある。  鯨塚は、1636年に沢庵禅師によって創建された、利田神社に祀られている。  利田神社は、舟宿が軒を連ねる天王洲運河の最奥部に鎮座し、洲崎弁財天と称されていた。  東京都内に現存する唯一の鯨碑として、品川区の指定有形文化財となっている。   八ッ山通りから、再び、旧東海道の北品川本通りに戻る。  更に進むと左手に品海公園があり、入口に品川宿の松がある。 日本橋と川崎宿へそれぞれ二里の距離である。  品川宿は東海道の玄関口で、家屋1600軒、人口7000人の規模で賑わっていた  法禅寺の前から海岸に出る横町の「溜屋横丁」の南に、 1855年に、成田山分身の不動明王を本尊として、お堂を建てたのが始まりと云われている「一心寺」がある。  本堂には不動尊や聖観音菩薩像、東海七福神の寿老人を安置していて、「品川の不動様」として信仰を集めてきた。

     品川浦舟だまり  地図の中央の矢印が品川浦舟だまりです      <東京都品川区北品川1丁目にて>
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 荏原神社の境内に咲く、樹齢50年ほどの2本の寒緋桜

 一心寺の南左手に、品川宿本陣跡の石碑がある、中に入っていくと聖蹟公園がある。  品川宿本陣跡は聖蹟公園として整備されている。 1868年明治天皇行幸の際に、行在所となった。  聖蹟公園には、「聖蹟公園由来の碑」「聖徳の碑」「御聖蹟の碑」「石井鐡太郎胸像」「夜明けの像」など多くの碑や像がある。  聖蹟公園を出て、八ッ山通りの聖蹟公園交差点に至る。  聖蹟公園交差点から、八ッ山通りを南下すると、左手に寄木神社がある。  寄木神社には、本堂内に入江長八の鏝絵があるが、拝観できなかった。  寄木神社の東に、洲崎公園があるので寄ってみる。  洲崎公園は、遊戯ゾーンと多目的広場に分かれていて、桜が植えられている。
 公園を出て、目黒川に架かる州崎橋を渡り、下流を望むと、昭和橋の向こうにアーチ型のアイル橋が見える。  洲崎橋から、目黒川に架かる、新品川橋の南詰に到着。 橋を渡って左岸へ。  新品川橋から、目黒川の左岸を歩き、「こども冒険ひろば」の前を通過すると品川橋に至る。  品川橋は、北品川宿と南品川宿を分ける目黒川にかかる東海道の橋で、境橋、中の橋とも云われた。  品川橋から下流を望むと先ほどの新品川橋が見える。 その向こうは、洲崎橋、昭和橋が続く。  現在の品川橋は、1991年に竣工したもので、橋の上に庭園や東屋が建っている。  旧東海道が品川橋で合流してくる。 更に、上流に歩くと荏原神社がある。
 荏原神社は709年に、大和国丹生川上神社より勧請を受けて南品川に創建したのが始まりである。  荏原神社の境内には、樹齢50年ほどの2本の桜があり、節分には満開になる。  桜はバラ科サクラ属の植物でサクラの原種の一つ、旧暦の正月に咲くことから元旦桜とも云われる。  元々は緋寒桜と呼ばれていたが、彼岸桜と間違われることから「寒緋桜」と呼ばれるようになったと云う。  この寒緋桜は御神木で、手を触れないと云われているが、最近は桜の花には手を触れないマナーが一般的になった。  目黒川に架かる鎮守橋を渡りながら、荏原神社の寒緋桜を鑑賞する。
 朱塗りの鎮守橋の上には「品川宿元総鎮守」の真紅の旗がひらめいている。  目黒川の右岸から、鎮守橋を下流に望む。 この橋を渡ると南品川宿になる。  目黒川の右岸から、荏原神社の寒緋桜を眺めてから、右岸を上流へと歩く。  品川橋の上流にある荏川橋が見えてきた。 橋名はこの辺り一帯が元荏川町だったことによる。  京急本線の新馬場駅の下まで来る。 下流を望むと朱色の鎮守橋が見える。  第一京浜に突き当たる。 右折して北に向かって歩く。 左手前に見えるのが品川区保健センター。  北品川二丁目交差点に来る。左右が山手通りである。 西に、に品川区医師会の建物がある。  間もなく、品川神社がある。

   荏原神社  地図の中央の矢印が荏原神社です      <東京都品川区北品川2丁目30にて>
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    品川神社の富士塚の高さ15mの山頂にて、品川宿を背景に

 第一京浜の北品川三丁目交差点に到着、左手に、品川神社が見えてきた。  右手からの道が、北馬場参道通りである。 横断歩道を渡って、品川神社の前へ、神社の入口に大黒天の像がある。  品川神社の鳥居は、門柱に龍の細工が施された石鳥居の「双龍鳥居」である。  品川神社は1187年に、源頼朝が安房国の洲崎神社から洲崎明神を勧請して祀り、品川大明神と称したのが始まり。  東京十社のひとつで、東海七福神の一社として、大黒天も祀っている。  品川神社の太太神楽は東京都指定無形文化財になっている。
 1600年に、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の際に、品川神社を参拝して戦勝祈願した。  境内社の阿那稲荷神社には、一粒萬倍と伝わる銭洗いの泉があり、銭を洗うと万倍になると伝えられている。  又、浅間神社があり、傍らに富士塚の「品川富士」がある。   江戸時代は富士信仰が盛んだったことを改めて認識する。  品川神社にある富士塚の品川富士は都内最大で、高さが約15mある。  富士塚は1869年に北品川宿の丸嘉講社の講中300人によって造られた。  毎年行われる「品川神社富士塚山開き」は品川区指定無形民俗文化財になっている。  山頂に登ると、真下に北品川三丁目交差点が見える。  富士塚は、江戸時代後期に盛んだった民間信仰を知る上で大切な文化財と云われている。  富士塚の山頂から、国道15号線の第一京浜と京急本線の高架線を望む。  双龍鳥居の柱に彫刻されている昇り龍、降り龍を見ながら石段を降りる。 品川神社は、新東京百景である。  新東京百景は、都民の日制定30周年を記念して1982年に発表された、都内の景勝地100選。
 品川神社を出て、北品川三丁目交差点まで戻り、東に向かう北馬場参道通りへ入る。  品川宿の幡が棚引く北馬場参道通りを東に進むと、左手に、真宗大谷派寺院の正徳寺がある。  正徳寺は、僧春應が1298年に開基となり、善永寺と号して創建、1675年に正徳寺と改められた。  旧東海道と山手通りが交差する、東海道北品川交差点に出て、再び、目黒川に架かる品川橋に向かう。  途中の左側に、品川宿交流館本宿お休み処がある。

     品川神社  地図の中央の矢印が品川神社です      <東京都品川区北品川3丁目7にて>
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 関東に入国した徳川家康公も宿泊した天妙国寺の山門

 目黒川に架かる品川橋に向かう。 途中の左側に、品川宿交流館本宿お休み処がある。  「品川宿交流館」は、品川区が所有する建物で、「旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会」が管理、運営する施設である。  パスした、旧東海道の北品川商店街を歩くと、先ほど渡った品川橋が見えてきた。  鎮守橋を右手に見ながら、旧東海道の北品川宿から南品川宿の「品川宿場通り」に入る。  南に進むと、右手に、「街道松の広場」があり、「浜松宿の松」が植えられている。
 更に南に歩くと右手、城南小学校の前に、三寮覺阿弥陀佛が開山となり1463年に創建された、時宗寺院の長徳寺がある。  長徳寺の南には、1285年に日蓮の弟子中老僧天目が開創した天妙国寺があり、天妙国寺の山門は品川百景になっている。  関東に入国した徳川家康公もこの寺に宿泊した。 将軍が江戸を離れる際の宿舎として利用され、 3代将軍家光は年に36回も訪れたことがあると云う。  都道421号線池上通りの東海道南品川交差点に出て、池上通りを東に望む。  左手にある「亀山宿の街道松」を過ぎると、右手、品川寺の門前に、六地蔵が鎮座する。  この露座の仏像は宝永5年(1708年)に造られた、江戸六地蔵の第一番である。
 真言宗醍醐派の品川寺は、海照山普門院と号し、真言宗醍醐派の別格本山で、創建年代は不詳である。  寺伝によると、弘法大師空海を開山とし、大同年間(806−810)年に創建されたという。  1457年に、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立された。  本尊は水月観音と聖観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第31番である。  梵鐘は家綱の寄進で、1930年にジュネーブから返還された。  境内にある銀杏は、樹齢600年で品川区指定天然記念品である。  品川宿を心行くまで見学し、満ち足りた気持ちで京急本線の青物横丁駅に辿り着く。

     天妙国寺  地図の中央の矢印が天妙国寺です      <東京都品川区南品川2丁目8にて>
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