早稲田散策      2017年1月26日


      放生寺の石段を登ると、「一陽来福」の文字が入った提灯が前面に

 早稲田散策のため、地下鉄東西線の早稲田駅で下車して、早稲田通りに出て、左に歩く。  地下鉄早稲田駅前交差点に出て、早稲田通りを北西に進むと、左手先方に穴八幡宮が見えてきた。  穴八幡宮前の馬場下町交差点に到着する。 西を望むと穴八幡宮の赤い鳥居がある。  社伝によれば、1062年、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。  1641年に、宮守の庵を造営中、横穴から金銅の御神像が現れ、以来「穴八幡宮」と称するようになった。  穴八幡宮は前方後円墳の上にあり、穴から神像が出てきたことも頷ける。  諸々奇瑞が三代将軍家光の上聞に達し、穴八幡宮を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられた。
 穴八幡宮光寮門を通り、穴八幡宮の拝殿へ。 今日は休日でもないのに、露店や参拝者の多さに驚かされる。  節分が近づいてきたので、一陽来復御守配布が間もなく終わり、駆け込み参拝者が押し寄せたのだろう。  穴八幡宮では、江戸時代から続く、金銀融通の「一陽来復」御守を冬至から節分までの期間に配布している。  一陽来復御守をお祀りすると、「金回りが良くなる」と言われている。  境内には布袋像の水鉢がある。 江戸城の吹上御苑に置かれていたが、徳川家光により穴八幡宮に奉納された。  穴八幡宮に参拝して、裏側の通路から早稲田通りに出る。  馬場下町交差点まで来たので、穴八幡宮の南にある放生寺に寄ることにする。
 放生寺は、高野山真言宗準別格本山の寺院で、本尊は聖観世音菩薩である。  石段を登ると、「一陽来福」の文字が入った提灯が目の前を覆う。  江戸時代に始まった「一陽来復」の札の授与は穴八幡と放生寺の双方で行われている。  ただし放生寺の札は「一陽来福」と1文字異なるが、観音経偈文の「福聚海無量」に因んでいる。  寺は寺号が示す通り「放生会」で知られ、虫封じの利益もあるとされる。  創建当時は穴八幡の境内に放生池があったが埋め立てられ、現在は本堂脇の池が放生会に使われている。  日本では放生の習慣は余り目にしないが、2004年1月31日にベナレスのガンジス川で体験したのを思い出した。  徳川秀忠より光松山放生會寺の寺号を賜った。 本尊の聖観世音菩薩は融通虫封観世音と称される。  放生寺は1641年に、威盛院権大僧都法印良昌上人が高田八幡(穴八幡宮)の造営に尽力され、その別当寺として開創されたお寺である。  御府内八十八ヵ所霊場第三十番札所、江戸三十三観音第十五番札所として多くの人々の尊信を集めている。  弘法大師の若き日の御修行時代のお姿を修行大師として建立されている。
 放生寺の参拝を終え、玉垣に囲われた穴八幡宮の出現殿脇を通る。 ここが神像が出現した神穴があった場所である。  穴八幡宮光寮門まで戻ってきたら、初めと終わりが分からないほどの長い行列に遭遇する。  暫くして、この列が、「一陽来復御守」を入手するための行列だと分かった。  2015年に造営された鼓楼まで、列は延びている。  石段を降りて、馬場下町交差点へ、正面に早稲田通りが見える。  再び、馬場下町交差点に戻り、正面に見える早大南門通りに入り早稲田のキャンパスに向かう。

     穴八幡宮  地図の中央の矢印が穴八幡宮です      <東京都新宿区西早稲田2丁目1にて>
穴八幡宮と放生寺を、下記の穴八幡宮と放生寺のボタンをクリックして37枚のスライド写真でご覧ください。


   チューダー・ゴシック様式の早稲田大学大隈記念講堂

 早大南門通りを北東に歩くと、先ず、早稲田大学小野記念講堂の前に出る。  更に進むとロータリーがあり、正面に、早稲田大学大隈記念講堂が見える。 左手には、早稲田キャンパス1号館の校舎がある。  大隈記念講堂はチューダー・ゴシック様式の建物で、重要文化財に指定されている。  7階建ての時計塔がシンボルである大隈講堂は、1927年に竣工された。
 大隈講堂の裏側に、広い芝生と池がある和洋折衷式の大隈庭園がある。  大隈庭園の北側には、リーガロイヤルホテル東京が見える。  西側には、20号館の大隈会館の建物が見える。  庭園には、田中穂積第四代総長と、大隈重信夫人の大隈綾子の銅像がある。  大隈庭園は池泉回遊式庭園で、近江八景を築庭・造庭のモチーフにしている。  大隈庭園から、大隈講堂まで戻り正門へ。 特に門は無いが車止めはある。  正門からキャンバスの中心部に向かうと、左手に、会津八一記念博物館がある。
 キャンパスの中央に大隈重信の銅像がある。  高さ298cmのガウン姿である壮年期の立像は、1932年に朝倉文夫により作成された。  早稲田大学は、1920年に大隈重信が設立した東京専門学校が前身である。  大隈重信の銅像の前から、3号館と国際会議場の間を北上すると坪内博士記念演劇博物館の前に出る。  演劇博物館は1928年に坪内逍遥の古希とシェークスピア全集の完訳を祝って建設された。  博物館の前には、坪内逍遥の胸像と台座歌碑がある。

   早稲田大隈記念講堂  地図の中央の矢印が大隈記念講堂です      <東京都新宿区戸塚町1丁目にて>
早稲田キャンパスの風景を、下記の「早稲田キャンパス」のボタンをクリックして21枚のスライド写真でご覧ください。  


     徳川御三卿の一つである清水家の下屋敷であった甘水園公園

 早稲田大学の裏門から、早稲田クランド坂通りに出て左折し、西早稲田交差点の手前で右折して甘水園公園に向かう。
 甘水園公園の入口には、堀部安兵衛の碑がある。 園内には湧水があり常時涸れることがない。  この地は、1774年に、徳川御三卿の一つである清水家の下屋敷がおかれた。  庭園は神田川右岸の台地北面の傾斜地と低地からなり、泉の水を引いた池を廻遊する林泉になっている。  甘水園公園は日本の歴史公園100選に選定されている。 甘水園公園を出て、都電荒川線が走る新目白通りへ。
 節分ももう直ぐですよと梅の花が告げている。 新目白通り沿いの神田川へ。  神田川にかかる面影橋(俤橋)を渡る。 鎌倉街道と推定される古い街道沿いにあり、姿見の橋ともいわれた。  面影橋を渡ると、「山吹の里の碑」がある。 最初に覚えた和歌の一つである「七重八重花は咲けども・・・」の歌の伝説地である。  神田川に架かる面影橋を振り返る。 在原業平が鏡のような水面に姿を映したという伝説もある。  新目黒通りを東に向かって歩き、甘水園公園の前まで戻る。 右手に、地上31階建ての西早稲田パーク・タワーが見える。  都電早稲田駅交差点に到着し、直ぐ目の前にある早稲田駅から都電荒川線に乗車する。
 都電荒川線の早稲田駅から乗車して、大塚駅に向かう。 前方左手に、地上49階建てのブリリアタワー池袋が見えてきた。  荒川線は東京に残る唯一の都電で、三ノ輪橋〜早稲田間12.2km・30停留場を運行している。  荒川線の大塚駅に到着。 一週間ほど前の1月18日には、春日通りから大塚駅までの荒川線の沿線を歩いた。  沿線には、桜の名所が多数あるため、「東京さくらトラム」愛称が付けられた。  「まなか」で乗車し、下車時に、清算場所が分からずにうろうろしていたら、運転手さんが下車時は手続き不要ですといわれる。  都電荒川線は単一料金制で、下車時には手続き不要であることを知った、一つ勉強になった  電車は早稲田駅を出発。 左手の道へ左折して進むと山手線の大塚駅がある。 大塚駅に到着、山手線・総武線にて帰宅する。

     甘水園公園  地図の中央の矢印が甘水園公園です      <東京都新宿区西早稲田3丁目5にて>
甘水園公園周辺の風景を、下記の甘水園公園のボタンをクリックして27枚のスライド写真でご覧ください。

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