横浜散策のために、根岸線の石川町駅南口に降りて、中村川沿いの道を東に歩く。
石川商店街を元町交差点まで来て、北に狩場線を望む。 右に行くと元町通りである。
元町通りを東に歩くと、右手奥に、厳嶋神社の赤い鳥居が見える。
厳島神社は、今から約700年以前より、元横浜村洲干島に鎮座していた清水弁天と洲干弁天が始まりと云われている。
厳島神社参拝後、再び、元町通りに戻り、更に東に進み、汐汲坂通りとの交差点を過ぎ、
右手に元町プラザ、左手にラビ元町の建物が見えると元町通りも、終わりになる。
ラビ元町の前から、元町通りを西に望む。 後ろに行くと谷戸橋がある。
港の見える丘公園の北端にあるフランス橋に到着する。
階段を登って、港の見える丘公園のフランス山に向かうと、フランス山に設置された、井戸水を汲み上げるための風車がある。
1977年の米軍機の墜落により、亡くなった母と幼い子二人の「愛の母子像」や、
1896年フランス領事公邸竣工時に設置された「レンガ造り井戸遺構」などを見て、フランス山から公園の展望台へ。
横浜港が見えてきた。 左手に、高さ106mのマリンタワーが見える。
横浜港に架かる優雅な斜張橋の横浜ベイブリッジが見えてきた。
斜張橋としては、世界最大級の横浜ベイブリッジは全長860mである。
展望台の前には、狩場線が走り、湾岸線と合流する。
都心のレンボーブリッジは東京を横断する時に毎回利用しているが、横浜ベイブリッジは未だ走ってない。
暖かくなったら、三浦半島に出かけるので、その時利用するつもりでいる。
港の見える丘公園はスタジオジブリ作品「コクリコ坂から」の舞台にもなった。
展望台から、「コクリコ坂から」の記念スポットを通り、沈床花壇へ。
沈床花壇の港側の丘の上に登ると日時計がある。
日時計は方位盤も兼ねていて、日時計の頭は地球儀になっている。
更に公園の奥に進むと、霧笛橋前広場に、旗野十一郎作詞、吉田信太作曲の唱歌「港」の歌碑がある。
霧笛橋前広場から、横浜港を横切る横浜ベイブリッジを望む。
日本初のワルツ唱歌港の作曲碑を後にし、霧笛橋を渡って神奈川近代文学館へ向かう。
神奈川近代文学館は神奈川ゆかりの作家や作品を紹介する文学館である。
文学館は1984年に開館された、近代日本文学を専門とする国内最大規模の資料館で、
夏目漱石、芥川龍之介、泉鏡花、武者小路実篤、川端康成、太宰治、三島由紀夫、吉川英治などの資料が見られる。
文学館では、現在、常設展では「文学の森へ 神奈川と作家たち」を開催中、スポット展示では夏目漱石関係資料が見られる。
近代文学館でUターンし、再び霧笛橋へ戻る。
霧笛橋は1986年に完成した鉄筋コンクリートの変断面連続桁形式の橋で、神奈川の橋100選に選定されている。
霧笛橋の上から横浜ベイブリッジを眺めてから、山手111番館に向かう。
ローズガーデンの中に立つ山手111番館は1916年建設のアメリカ人両替商ラフィンの邸宅で、
白壁と赤瓦を用いたスパニッシュスタイルの外観が特徴である。
横浜水道創設記念噴水塔へ。 噴水の周囲は、横浜観光スポット周遊バス「あかいくつ」のロータリーになっている。
この噴水塔は、水道局が近代水道100年を迎えた1987年に、長く後世に伝えるために作成した2基のレプリカの一つである。
噴水広場から、カスケードに沿って、バラとカスケードの庭に降りる。
バラとカスケードの庭では、約80種 500株の薔薇の花が見られる。
更に奥に進むと、再び、霧笛橋の橋の下に出る。
最後に、大仏次郎記念館を覗いて、公園の入口であるフランス橋へ向かう。
港の見える丘公園から、堀川を渡りを人形の家を結ぶ140mの歩道橋のフランス橋を進む。
港の見える丘公園
地図の中央の矢印が港の見える丘公園です <神奈川県横浜市中区山手町にて>
港の見える丘公園の風景を、下記の港の見える丘公園のボタンをクリックして52枚のスライド写真でご覧ください。
堀川を渡ると、右手に山下橋交差点が見える。
左手に、人形の専門博物館の横浜人形の家がある。
横浜人形の家は、人形専門の展示施設として、100か国以上、1万点以上の人形を収蔵する国内唯一の施設である。
人形の家から、ポーリン橋を渡って、山下公園通りを横断する。
ポーリン橋は、山下公園と人形の家を結び、山下公園通りを横断する、38mの歩道橋である。
山下公園の一番東にある、「せかいの広場」に到着。 せかいの広場から、水の階段越しに山下公園を望む。
水の階段を下って、ステージへ。 周りの彫刻を見て、1999年1月4日に行ったグエル公園を思い出す。
石のステージから、今来た水の階段とせかいの広場を振り返る。
山下公園シーバス乗り場まで来ると、氷川丸の前に、日米友好ガールスカウトの像がある。
突然、鴎が飛来してきて、日米友好ガールスカウトの二人の像の頭頂部に留まる。
日米友好ガールスカウトの像の背後には沈床花壇があり、真冬にも拘わらす花が見られた。
氷川丸を繋留するロープの上に連なる鴎の群れは、山下公園の風物詩の一つだ。
氷川丸は一万二千トンの大型客船で、太平洋を238回横断した。
横浜港を遠望しながら山下公園を歩く。 山下埠頭の向こうに、横浜ベイブリッジが見える。
大桟橋埠頭には、大型客船が繋留されている。 「飛鳥U」だろうか。
芝生広場を通り、山下公園の最西端へ来る。 今日も、インド水塔の前の広場では大道芸が人を集めている。
開港の道・山下臨港線プロムナードに登る。 大桟橋埠頭が正面に来る。 大桟橋埠頭では、飛鳥Uが係留中で、出航を待っている。
飛鳥Uで船旅を楽しんだのは、2009年3月で8年前の思い出である。
会社のOBダンス部一行で乗り込み、生の演奏会場は、略独占状態で楽しむことが出来た。
大桟橋埠頭から、みなとみらいを望む。 中央に横浜ランドマークタワーが見える。
ヨコハマグランドインターコンチネンタルの右に、ジャパン・コースト・ガードの船が見える。 巡視船「あきつしま」のようだ。
右端の瑞穂埠頭には、風車が一本だけ見える。
ローターの直径は80m、地上からの最高到達地点は118mの、横浜市風力発電所の風車「ハマウィング」である。
左の二本の塔は、横浜火力発電所の2本のタワー型の排気口で、トゥイニー・ヨコハマという愛称で呼ばれる。
大桟橋埠頭の最先端に来る。 多くの観光客の姿が見えるも老人は稀だ。
大桟橋埠頭からの横浜港の風景を満喫して、山下臨港線プロムナードへ。
横浜ベイブリッジと山下埠頭が夕日に染まりだした。
横浜駅東口と山下公園間で運航しているシーバスが山下公園に向かっている。
中央に見えるマリンタワーに登ったのは、15年前の、2002年4月20日であった。
飛鳥Uの汽笛が聞こえる。 間もなく出航するらしい。が見える
飛鳥Uを右手に見ながら、大桟橋埠頭ビルの前から、象の鼻防波堤側に移る。
開港の道・山下臨港線プロムナードの下を通って開港広場前交差点へ。
海岸通りに出る。 正面に、日本初の西洋式都市計画に基き建設された日本大通りが現れた。
日本大通りは横浜公園と海岸道を結ぶ銀杏並木の大通りである。 右手前方に神奈川県庁が見えてきた。
日本大通りは居留地の外国人が幕府に要求して造られた。
港郵便局前交差点に出て、日本大通りから本町通りを北西に望む、左手奥に、開港記念会館が見える。
交差点の南側に、情報文化センター、西側に、横浜港郵便局がある。
日本大通りの右側には、神奈川県庁に続き、横浜地方検察庁、横浜地方簡易裁判所と並んでいる。
日本大通りは横浜公園に、突き当たる。
横浜公園には、日本大通りを設計したブラントンの胸像や、横浜DeNAベイスターズの本拠地である横浜スタジアムがある。
横浜スタジアムを後にして、尾上町通りを進む。 根岸線の関内駅に到着。横須賀線経由で家に帰る。
大桟橋埠頭
地図の中央の矢印が大桟橋埠頭です <神奈川県横浜市中区海岸通1丁目にて>
横浜港の風景を、下記の「横浜港」のボタンをクリックして55枚のスライド写真でご覧ください。