目黒散策      2016年12月18日


   大円寺の本堂には、家康公がモデルの開運招福大黒天が祀られている

 目黒不動尊参拝のために、山手線の目黒駅で下車、東口から右折して目黒通りへ。  目黒駅の南側を走る都道312号線目黒通りに出て、西に進み、左の路地へ入ると行人坂になる。  大円寺の前の行人坂の名は、大円寺に行人が多く住んでいたためそう呼ばれたと云う。  1621年頃、行人坂辺りに巣食う不良を放逐するために、徳川家が湯殿山から勧請した大海法師が、 不良のやからを一掃した功で、家康から大円寺の寺号を与えられた。  大円寺は寛永のはじめ、大海法師が行人坂を切り開き、 大日金輪を祀って祈願の道場を開いたのが始まりと伝えられている。  大円寺の前には、勢至堂があり、目黒川架橋供養精子菩薩石像が置かれている。  境内にある石碑には、「目黒川の太鼓橋に使用された石材」、「八百屋お七の恋人吉三が太鼓橋を石の橋にした」とある。  又、行人坂の火事で亡くなった人々を供養するために建立された「大円寺石仏群」がある。  1772年に発生した行人坂の火事は、「明暦の大火」「文化の大火」とならび、江戸の三大大火のひとつで、 出火元は目黒の大円寺であり、坊主真秀の放火である。
 ご本堂は1624年に再建されたもので、「開運招福大黒天」と「十一面観音像」が安置されている。  開運招福大黒天は、家康公の顔をモデルに天海上人が彫ったという伝承もある。  阿弥陀堂には弥陀三尊が祭られお七地蔵の木彫もある。  境内には、その他、「観世音菩薩像」や「みがわり地蔵尊」、ユーモラスな「大円寺道祖神」、 金箔を貼り付けて体の良くない所の治癒を祈願する「薬師如来」坐像、 「悩みをとろけさせ、解消してくれる」と言われている「とろけ地蔵」などがあり、参拝してまわる。  大円寺の参拝を終え行人坂を下る。 江戸時代、この辺りは「富士見茶屋」があり、「夕日の岡」と呼ばれていた。  坂を下ると「雅叙園」がある。 この辺りの紅葉は未だ見応えがある。  前回、雅叙園を訪れたのは、2009年7月17日で、もう、7年も前のことになる。
 目黒川に架かる太鼓橋に到着。 1769年に完成、建設された当時としては珍しい石造りであった。  太鼓橋は、斎藤月岑が1834年に『江戸名所図会』に選び、歌川広重が1857年に『江戸名所百景』に描いた。  桜の名所である、目黒川左岸を下流に歩く。 来春は是非花見に訪れたい。  下流に歩くと、東急目黒線の目黒川橋梁があり、その下流に亀の甲橋がある。  下流に市場橋を望むながら、目黒川を離れて、山手通りへ向かう。  山手通りの「かむろ坂下交差点」に出る。 左手前方を左折するとかむろ坂通りになる。  858年に慈覚大師が開山した天台宗の成就院へ向かう。 境内の紅葉は、将に、今が見頃である。  成就院の本尊は大師の自作と伝えられる薬師如来像で3匹の蛸に支えられる蓮華座に乗っている。  俗に蛸薬師と呼ばれ、疫病除の仏として人々に崇められている。  大師が海に投じた薬師像が蛸に乗り漂着した故事に由来し、蛸薬師の名もここから付いた。  境内には、徳川二代将軍秀忠公の側室、お静の方の発願で奉納された石仏像がある。  左三体が「お静地蔵」、右の三体が、准胝観音、聖観音、十一面観音で、 お静が、「お腹さま」となることを願い、三体の観音像を納めた。  保科正之縁の成就院を後にして、黄檗宗より独立した単立の五百羅漢寺へ。  寺の創建1695年で、松雲が開基、師の鉄眼が開山、松雲は托鉢で資金を集め独力で五百羅漢像の群像を造った。  五百羅漢像は本殿と「コ」の字形平面の羅漢堂に安置され、一方通行の通路を通って参拝できる。

     大円寺 地図の中央の矢印が大円寺です      <東京都目黒区下目黒1丁目8にて>
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 江戸の三富の一つに数えられる目黒不動尊の本堂

 五百羅漢寺から、808年に慈覚大師が開創した、関東最古の不動霊場である目黒不動尊へ。  仁王門は三間一戸の朱塗りの楼門で、1962年に再建された鉄筋コンクリート造りである。  仁王門から右折すると、阿弥陀三尊を祀る、目黒不動尊の阿弥陀堂がある。  瀧泉寺目黒不動尊は関東三十六不動霊場札所18番札所であり、江戸の三富(富くじ興行)の一つに数えられる。
 江戸三十三観音霊場33番札所である目黒不動尊の観音堂、地蔵尊、閻魔王・葬頭河の婆を祀る地蔵堂に参拝する。  目黒不動尊の本堂は、入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、1981年再建の鉄筋コンクリート造建築である。  本尊は秘仏で十二年に一度、酉年ご開帳する。 あらゆる災難厄難を除けて、福となす『福寿開運』の仏不動明王である。  目黒不動明王は慈覚大師が霊夢でみた恐ろしい形相の神人を自ら彫刻された。  寛永年間には、徳川家光公の帰依を受け、堂塔伽藍が復興された。
 延命地蔵尊、大本堂の裏手にある大日如来像、鐘楼堂、1796年の作の銅造役の行者倚像を巡る。  行方不明になった家光の鷹が飛び戻った「鷹居の松」や独鈷の瀧の霊水かける「水かけ不動明王」、 円仁が独鈷を投げたら滝泉が湧き出したと云う「独鈷の瀧」、密教で如意輪観音の化身とされる神である青龍大権現を祀ってい「垢離堂」  大石段の下に建立された、宝形造朱塗りの「滝泉寺前不動堂」、山の手七福神の恵比寿神がが祀られている三福堂など見所が多い。  目黒不動を出て、西側の道を北上すると、三つに折れた形状の「三折坂」があり、不動公園に至る。  不動公園で右折して東に進むと、左手に、甘藷先生と呼ばれた「青木昆陽の墓」がある。  山手通りに出て、目黒区下目黒三丁目歩道橋の上から山手通りをを望む。歩道橋を降りて直ぐ右折し太鼓橋に向かう。  太鼓橋の上から目黒川の上流を望むと、新橋が見える。  紅葉真っ盛りの雅叙園の前を通過、今日下った行人坂を、目黒駅を目指して登る。  大円寺の前を通過 目黒駅前交差点に到着。  目黒通りの南側にある目黒駅から山手線に乗車して帰路に就く。

   瀧泉寺目黒不動尊 地図の中央の矢印が瀧泉寺です      <東京都目黒区下目黒3丁目20にて>
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