秩父紅葉狩りの旅の3日目の朝を迎える。 連泊した梁山泊の前の小山は紅葉に輝いている。
宿を出て小鹿野影森停車場線を東に行くと、右手に般若の丘公園がある。
先ず、目に付くのは太古の大型魚類の「チチブサワラ」の実物大復元模型がある。
横には、世界の奇獣「パレオパラドキシア」の親子の実物大生態復元模型もある。
小型の一体は、1981年に、この場所から見つけた化石をもとに復元したもので、体長約2.3m、体高約1mである。
パレオパラドキシアは、今から1500万年前の海辺に生息していたなぞの怪獣で、
近縁のデスモスチルスとともに哺乳類の束柱目に属している。 公園にある模型は、親子が散策する姿を再現したものである。
今から約1500年前には、秩父盆地は東に開く入江で山裾まで海が入り込んでいた。
近年秩父盆地内では各種の脊髄動物化石が発見され関心が寄せられている。
秩父盆地は「日本地質学発祥の地」として国内外に広く知られている。
奇獣の親子を後にして、丘の上の展望台を目指す。 般若の丘公園から丘の上へと「癒しの森」が広がっている。
この道を進み、山を越えると、札所32番の法性寺と続いている。
丘の上にある展望台に到着。 丘の上に東屋に一服し、下小鹿野の風景を眺める。
眼下に、連泊した梁山泊が見える。 庶民的な旅館であるが、女将さんの心遣いが印象に残った。
日が昇り、紅葉が一段と輝きだした。 再び、般若の丘公園へもどる。 公園にも物見櫓のような展望台がある。
眼下には、1981年に坂本道夫さんがこの場所で発見したパレオパラドキシアが見える。
公園に隣接して、オートバイを展示する博物館があった「バイクの森おがの」ある。
建物の前のロータリーの紅葉が綺麗だったので寄ってみた。
「バイクの森おがの」は閉館し、町営温泉「クアパレスおがわ」に引き継がれたが、2010年に、これも閉館した。
小鹿野影森停車場線を更に南に進むと、日本武神社がある右手にある。
日本武神社は景行天皇の御代に、日本武尊が東夷平定後の凱旋で通過した際、里人が産土神として奉祀したのが起源と云われている。
神社では、歌舞伎のまち・小鹿野で、一年の歌舞伎の幕開けとなる十六様例大祭が行われる。
日本武神社の参拝を終え、宿の女将に勧められた、秩父観音霊場32番の法性寺に向かう。
般若の丘公園
地図の中央の矢印が般若の丘公園です <埼玉県秩父郡小鹿野町般若にて>
般若の丘公園を、下記の般若の丘公園のボタンをクリックして32枚のスライド写真でご覧ください。
32番札所の法性寺に到着する、二層の山門は秩父札所唯一の鐘楼門である。
山門の前の紅葉は鮮やかだ。 「札所三十二番と亀ヶ岳」は小鹿野観光八景に選定されている。
山門は1710年に建立され、両側には、仁王像が控えている。 山門を潜ると、石段があり、両側の紅葉が綺麗である。
法性寺は、奈良時代、行基の開創と伝えられている。 行基は一刀三礼して本尊聖観世音菩薩を刻したと伝えられている。
弘法大師が一晩で大般若経六百巻を書上げたとも伝えられてことから、当地が「般若」と言われるようになった。
文献で明らかにされるのは、1232年に眼応玄察和尚が開山したとある。
江戸時代に、曹洞開山・智外宗察大和尚がほぼ現在の形に伽藍を整えた。
本堂に参拝してから、左手に進むと観音堂がある。
観音堂までの参道の両脇の紅葉が鮮やかだ。 宿の女将が推奨してくれただけのことはある。
紅葉の参道を進むと、石段が現れる。 石段の上に舞台造りの観音堂の屋根が見える。
観音堂は1707年に建立されたと云われている。 行基菩薩作と伝えられる本尊の聖観世音菩薩が安置されている。
観音堂の前の岩の間を抜け急峻な山道を登ると、『お船岩』の巨岩にたどりつく。
法性寺の参拝を終え、秩父駅近くの秩父神社に向かう。
法性寺
地図の中央の矢印が法性寺です <埼玉県秩父郡小鹿野町般若にて>
法性寺の紅葉を、下記の「法性寺の紅葉」のボタンをクリックして39枚のスライド写真でご覧ください。
秩父神社に到着、東門奥に駐車して、南門へ向かう。
秩父神社は武蔵国四宮で、秩父地方の総鎮守である。
神社のご創建は、崇神天皇の御代に知知夫彦命が、祖神をお祀りしたことが始まる。
神社は、878年には神階正四位下に進み、927年に編算された『延喜式』にも掲載されている
中世以降は、秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し、秩父妙見宮として隆盛を極めた。
毎年12月3日に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
南門を入ると、一の鳥居があり、一対の狛犬が鎮座している。 参道を進むと、正面に神門が見える。
左手に、秩父神楽を奉納する舞台である神楽殿がある。 右手には、平成9年に竣工した平成殿がある。
神門の奥正面に、拝殿が見える。
社殿は徳川家康による造営で、本殿・幣殿・拝殿が1つにまとめられた権現造の形式である。
左甚五郎の作とされるものを含む多くの彫刻で飾られている。
拝殿正面上には、御祭神の一人知知夫彦命に因み「知知夫神社」の文字が見える。
秩父神社の御祭神は八意思兼命、知知夫彦命、天之御中主神、秩父宮擁仁親王の四柱である。
拝殿の正面に4面の虎の彫刻が施されている、家康が「寅の年、寅の日、寅の刻」の生まれによる。
右の寅の親子は、「子宝 子育ての虎」で左甚五郎の作と伝えられている。
社殿を右回りに、拝殿の西側に進むと、鳥の彫刻がある
拝殿から本殿へ、本殿には三面に有名な彫刻がある。
本殿の西側の上部には、日光東照宮の三猿と同様な猿の彫刻がある。
三猿は「よく見て、よく聞いて、よく話す」のお元気三猿として親しまれている。
御本殿北側の中央にある「北辰の梟」は、体は御本殿、頭は正反対の真北を向いている。
御本殿東側には、左甚五郎が社殿彫刻に施したと伝えられる「つなぎの龍」がある。
少林寺近くの天ヶ池の龍が暴れるので、彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、龍が現れなくなったとの伝説がある。
秩父神社の参拝を終え、東門から出て正面の柞祖霊社に参拝する。
柞祖霊社から、右手に秩父神社を見ながら南に歩くと、秩父神社の平成殿がある。
平成殿の前には、「秩父夜祭」を資料や実演で紹介する「秩父まつり会館」がある。
秩父夜祭は、京都祇園祭、飛騨高山祭りと共に、日本三大曳山祭りの一つとして知られている。
祭は約300年前に既に始められており、笠鉾2基、屋台4基が牽引される。
秩父祭りは、2016年に、ユネスコ無形文化遺産に登録された。
「本町屋台」の観賞を最後に、秩父まつり会館を出て、四萬部寺へ向かう。
秩父神社
地図の中央の矢印が秩父神社です <埼玉県秩父市番場町1にて>
秩父神社を、下記の秩父湖のボタンをクリックして42枚のスライド写真でご覧ください。
四萬部寺に到着、鮮やかな紅葉が目に飛び込んでくる。
地元の人が、四萬部寺の紅葉が素晴らしいといわれたが、確かにその通りであった。
四萬部寺は秩父三十四ヶ所観音霊場の一番札所である。
四萬部寺の名は、性空上人の弟子幻通が四万部の仏典を読経して、経塚を築いたことに由来する。
山門を潜って参道を進むと正面に本堂の観音堂がある。 本堂は1697年に建立され、1756年に改修された。
本堂は瓦葺入母屋造りで、七間と十三間の堂々たる建物である。
本堂の天井には、抱素斎休世常耀益之が書いた龍画がある。 1697年造営の棟札が存在し、名匠藤田徳左衛門吉久の名が見える。
本尊は、聖観世音菩薩立像で江戸時代の作である。 1756年に江戸の工匠神田清助長則が補修した記録がある。
境内には、鐘楼と盗難の70年後に戻ってきた「お里がえりのお釈迦様」がある。
境内の紅葉は、今が、最も美しい時期である。 四萬部寺の裏山に広がる、紅葉の林の中へ向かう。 燃えるような紅葉の中を歩く。
裏山の頂上には、法華経一千部供養碑がある。 紅葉を満喫し、裏山から駐車場へ。
四萬部寺の紅葉を最後に、秩父での紅葉狩りの旅を終える。 紅葉の最良の時期と天気予報を睨んでの今回の紅葉狩りは大成功だった。
関越自動車道の高坂サービスエリアに寄ってから外環道を走って帰宅する。
四萬部寺
地図の中央の矢印が四萬部寺です <埼玉県秩父市栃谷にて>
四萬部寺の紅葉を、下記の四萬部寺のボタンをクリックして43枚のスライド写真でご覧ください。