金沢八景を訪ねて、横浜駅から京急本線に乗り、金沢文庫駅にて下車する。
駅の東口から東に進むと、国道16号横須賀街道の金沢文庫駅前交差点に出る。
横須賀街道から左折して、街中の路地を東に進み北に左折すると金沢文庫の前に出る。
現在、金沢文庫では、生誕800年記念の特別展、「忍性菩薩ー関東興律750年」を開催中。
金沢文庫は1275年頃、金沢北条氏の北条実時が私的文庫を創設したのが始まりである
文庫では、政治や歴史・文学など多岐に及ぶ蔵書の充実が図られた。
東側から金沢文庫を出て、トンネルを抜けると称名寺がある。
称名寺は、13世紀中頃に金沢北条一門の菩提寺として建立された。 庭園には、中央に阿字池が広がっている。
池には、朱色の反橋と平橋が架かっている。 称名寺庭園は称名寺絵図をもとに復元された浄土式庭園である。
庭園は、時代的に浄土庭園の基本的な形態を残す最後のものとして、庭園史上高い評価を得ている。
称名寺金堂の横にある釈迦堂は、1862年に建立された禅宗様の建築物である。
称名寺の鐘楼は、「称名の晩鐘」として、金沢八景の一つに数えられている。
称名寺の金堂は1861年に再建された。 本尊は木造弥勒菩薩立像である。
境内には、金沢文庫を創設した北条実時の胸像がある。
称名寺は1258年に実時が六浦荘金沢の居館内に建てた持仏堂がその起源とされる。
境内は国の史跡に指定され、赤門、仁王門、金堂、釈迦堂などがある。
称名寺は、新四国八十八箇所霊場七十五番になっている。
称名寺庭園の散策を終えて、仁王門に向かう。
仁王像は、胎内墨書により、1323年の院興等の作であることが判明している。
称名寺の仁王像は、関東における最大の金剛力士像だと云われている。
現在の仁王門は1818年の創建である。
仁王門から南に進むと、1771年に建立された称名寺の総門である赤門がある。
仁王門の左にある門は、称名寺塔頭の光明院の表門である。
称名寺を出て、駅から延びる路地へ左折し、西に向かうと文庫小学校入口交差点に出る。
文庫小学校入口交差点を更に進むと、柴口駅交差点に出る。 正面に柴口駅がある。
通りを横断して柴口駅へ。 海の公園柴口駅の中を通り、海の公園のなぎさ広場に向かう
称名寺
地図の中央の矢印が称名寺です <神奈川県横浜市金沢区金沢町にて>
称名寺を、下記の称名寺のボタンをクリックして41枚のスライド写真でご覧ください。
海の公園には、全長600mの人工ビーチが広がる。
左手に、ピラミットのような建物が見える。 八景園シーパラダイスの水族館「アクアミュージアム」である。
白い鉄骨の櫓も見える。 シーパラダイスのサーフコースターだ。
サーフコースターは海上に突き出たループを時速75km/hで疾走する。
海上では若者達が、ウィンドサーフィンに興じている。
人工砂浜は横浜で唯一の海水浴場であり、3〜6月には潮干狩りで賑わう。
芝生広場ではテントが並び、横浜市食生活等改善推進員会が健康ウォーキングを開催中であった。
一人のお父さんが、横浜市金沢区のゆるキャラの「ぼたんちゃん」とツーショット。
今日の「健康ウオーキング2016」は富岡八幡公園から海の公園南口までのコースである。
会場で菓子パンなどの軽食を購入し、ビーチを眺めながら食べる。
公園は1988年に金沢地先埋立事業の一環として整備された。
海の公園の人工砂浜から遊歩道に上がり、野島公園に向かう。 芝生広場を横切ると、海の公園南口駅がある。
金沢シーサイドラインの海の公園南口駅を抜けると金沢海岸通りに出る。
この辺りは金沢八景の「乙艫の帰帆」であると云われている。 左手、野島運河越しに、対岸の野島が見えてきた。
野島の北端角に、金沢八景教会が建っている。 金沢八景教会の裏手、東京湾に面した海岸に出ると松林が広がっている。
松林の端に旧伊藤博文金沢別邸がある。 別邸は1898年に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築である。
別邸に上がり台所棟を奥に進むと、左手に客間棟がある。 客間棟は、左の晴嵐の間と右の帰帆の間の二間から出来ている。
客間の窓からは東京湾が一望出来、天皇・皇太子などの皇族も、この部屋で過ごされたと云う。
客間は庭に突き出ていて、帰帆の間の内縁からは南に庭園が広がっている。 海岸に面した庭園へ。
中庭から、居間棟を望む。 居間棟は秋月の間と夕照の間の2間から成っている。 裏門から外に出て、野島公園に向かう。
野島公園の展望台を目指して坂を登ると、北側に、海の公園と金沢漁港が見える。
山頂に立つUFO型の展望台にやっと到着する。
海の公園
地図の中央の矢印が海の公園です <神奈川県横浜市金沢区海の公園にて>
海の公園を、下記の「海の公園」のボタンをクリックして44枚のスライド写真でご覧ください。
展望台に登る、展望階は意外に広い。 先ず、八景島が眼に飛び込んでくる。
北西を望む、左端が平潟湾、中央にシーサイドラインが見える。
北を望むと、金沢漁港、その奥に海の公園が見える。 右手に、八景島シーパラダイスが広がっている。
東を望むと、林の間から、横須賀市の工業地帯が見える。
一回りして、木の葉の間から平潟湾が見えた所で眺望は終了する。
展望台を降りて、周りを散策する。 平潟湾にかかる夕照橋は、金沢八景の一つ「野島夕照」を連想させる。
夕照橋を望む場所には、野島の夕映と書かれた石碑がある。 「野島の夕映」はかなざわの景勝50選に選ばれている。
野島公園の東京湾を望む高台には、野島貝塚の遺跡がある。
野島貝塚の前からは、日産自動車のテストコースが見える。 南東東を望むと、住友重機械工業横須賀製造所の工場群が見える。
野島公園から平潟湾に架かる夕照橋をめざす。 夕照橋を渡り、対岸に、展望台がある野島公園の小山を望む。
平潟湾沿いの道を北西に歩き、金沢八景駅に向かう。
侍従川に架かる平塚橋を渡る、この辺りの金沢八景は「平潟の落雁」である。
金沢シーサイトラインが右手に迫ってくる。 海上にはヨットやボートが停留している。
平潟湾の入江の奥が見えてきた、中央に、野島展望台から見えたイオンがある。
右に眼を移すと、クリオ金沢八景ベイサイドマリーナが見える、この辺りが金沢八景の「洲崎晴嵐」らしい。
瀬戸神社の森が近づいてきた、右側に宮川が流れている、この辺りが金沢八景の「瀬戸秋月」だろうか。
瀬戸神社の前に平潟湾に突き出した小島が見える、北条政子が海中に築いたと伝えられている。
北条政子は竹生島弁財天を勧請してこの小島に祀った。
この小島は琵琶の形にせり出しているので、琵琶島弁財天と呼ばれた。
この地は、金沢八景の「瀬戸の秋月」の夜景を伝えていると云われる。
京極高門の歌に「寄る波の瀬戸の秋風小夜ふけて、千里の沖に清める月影」がある。
金沢八景の散策を終え、金沢八景駅前交差点へ、正面に瀬戸神社がある。
京浜急行本線の金沢八景駅から横浜経由で帰路に就く。
野島公園展望台
地図の中央の矢印が展望台です <神奈川県横浜市金沢区野島町24にて>
野島公園展望台の周辺を、下記の野島公園のボタンをクリックして49枚のスライド写真でご覧ください。