シビックセンターと伝通院      2016年11月03日


   無料開放されている文京区シビックセンターの25階にある展望ラウンジ

 今年の6月12日に小石川後楽園から礫川公園まで散策したが、 その続きの散策として、今回は文京区シビックセンターからスタートする。  最初に、礫川公園の西側に位置し、25階に展望ラウンジかある文京シビックセンターへ。
 先ず、高さ地上約105mで、無料開放されている、25階の展望ラウンジに上る。  展望ラウンジは西・北・東が開放されていて、南西方向に小石川後楽園が見える。  西側には、礫川公園が見える。 礫川公園の南には都道434号線、北には春日通りが西に延びている。  左手前方には、新宿副都心の高層ビル群が見える。  眼下の富坂下交差点で、春日通りで信号待ちをしている車の列が見える。
 北に目をやると、緑の森が見える、東京大学大学院理学系研究科付属植物園である。  右下に、春日町交差点があり、東京都交通局お忘れ物センターのビルがある。  高さ634mの東京スカイツリーも見える。  文京シビックセンターの南には、東京ドームシティアトラクションズがある。  25階の展望ラウンジから、文京区の景色を十分堪能して、地上へ戻る。  宮坂下交差点から都道436号線を北上する。

     文京区シビックセンター 地図の中央の矢印がシビックセンターです      <東京都文京区春日1丁目16にて>
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 江戸の三霊山と称された伝通院の、2012年に再建された山門

 こんにゃくえんま前交差点に到着、左手に源覚寺がある。  「こんにゃくえんま」の源覚寺は1624年に定誉随波上人によって創建された。  境内には、汎太平洋の鐘」と云われ、平和のシンボルになっている釣鐘がる。  宝暦年代に、老婆が眼病治癒の祈願をした閻魔大王を祀った閻魔堂がある。  閻魔大王は右目を与え、治癒した老婆は好物の「こんにゃく」を供え続けたと云う。  源覚寺の閻魔様は「こんにゃく閻魔」と呼ばれ、眼病治癒の閻魔様として人々の信仰を集めている。  源覚寺の毘沙門天王は小石川七福神の一つである。
 こんにゃくえんま交差点から、左折して更に北に進み、 都道436号線から、狭い柳町仲通りを通って、白山通りに出る。  白川通りを横断し、東側に来て北に歩くと、紳士服コナカの前に、樋口一葉終焉の地の碑がある。  一葉は24歳でこの地で生涯を閉じた。  ここの隣り合わせの銘酒屋の女性をモデルにて、名作「にごりえ」が生まれた。  白川通りから、再び、柳町仲通りを通って、都道436号線に戻る。
 西に善光寺坂を登ると右手に、伝通院の塔頭で1602年創建の善光寺がある。  善光寺は信州善光寺の分院になったときに、善光寺月参堂が改称された。  善光寺坂を登ると、善光寺に隣接して慈眼院があり、沢蔵司稲荷が祀られている。  伝通院の廊山上人が沢蔵司稲荷を境内に祭り、慈眼院を別当寺にした。  伝通院の門前のそば屋に、沢蔵司はよくそばを食べも行った  沢蔵司稲荷には、江戸時代から参詣する人が多く繁栄した。
 東京名所絵図には「東裏の崖下に狐棲洞穴あり」と紹介されている。  現在も、霊窟と称する窪地があり、奥に洞穴があって稲荷が祭られている。  善光寺坂に椋の老樹があるが、これには沢蔵司が宿っていると云われている。  伝通院に到着する。 伝通院は徳川将軍家の菩提寺で江戸33箇所観音札所の第12番札所になっている。  増上寺と上野の寛永寺と並んで江戸の三霊山と称された。 伝通院の山門は2012年に再建されたものである。  境内には家康の生母である於大の墓があり、彼女の法名が伝通院である。 二代将軍秀忠の娘の千姫の墓もある。  現在の本堂は、1988年に再建されたものである。  伝通院の参拝を終え、山門を出て、次の目的地の東京大学小石川植物園に向かう。

   伝通院 地図の中央の矢印が伝通院です      <東京都文京区小石川3丁目14にて>
伝通院周辺の風景を、下記の「伝通院」のボタンをクリックして45枚のスライド写真でご覧ください。  


   東京大学小石川植物園にある東大総合博物館小石川分館

 伝通院の山門を出て右折し、竹早高等学校で右折して、松平播磨守の「徒の者」が三百文の罰金を取られたと云う「三百坂」を歩く。  日本最古の植物園である、小石川植物園の正門に到着。 正門から園内に入ると左手に、池野成一郎氏によって精子が発見されたソテツの分株かある。  この植物園の正式な名前は、国立大学法人東京大学大学院理学系研究科付属植物園である。  本館の先には、遺伝学の基礎を築いたメンデルが実験に用いた葡萄の分株がある。  メンデルの葡萄の横にあるリンゴの木は、ニュートンが万有引力の法則を発見した木を接ぎ木で育てたものである。  カエデ並木の終点付近に、精子発見六十周年記念碑がある。 1896年に平瀬作五郎氏が銀杏のこの雌の木から採取した若い種から精子を発見した。
 見たことも無い、赤い小さな実が一杯なっていた。 隣の人に聞いてみると、四川常盤柿といって食べれると云う。  ボダイジュ並木を進むと、スズカケノキやユリノキなどの巨木がある。  小石川植物園は日本の近代植物学発祥の地であり、植物学の教育・研究の場になっている。  植物園の南側は北側よりも一段と低く谷になっていて沢山の池がある。 園内を西端でUターンし、最初に出会うのが大池である。  園内の西隅に、重要文化財に指定されている旧東京医学校本館の総合研究博物館小石川分館がある。  旧東京医学校本館は1876年に竣工、1965年に解体され、1969年に小石川植物園に再建された。
 大池から正門に向かう途中に、生きた化石と云われた、メタセコイアの林がある。  小石川植物園を出て、東側に隣接した御殿坂を歩く、この坂は、大阪とも富士見坂とも呼ばれた。  御殿坂を先に進むと、白山通りの白山下交差点に出る。 白山駅の直ぐ東にある、八百屋お七の墓がある円乗寺へ。  お七が恋仲になったのは、円乗寺の小姓の佐兵衛であった。 お七は放火の大罪で捕らえられ、天和3年火あぶりの刑にされた。  円乗寺の参拝を終え、都営三田線の白山駅から帰宅する。

     東大総合博物館小石川分館 地図の中央の矢印が博物館小石川分館です      <東京都文京区白山3丁目7にて>
小石川植物園周辺の風景を、下記の小石川植物園のボタンをクリックして39枚のスライド写真でご覧ください。

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