今日の散策は、東京メトロ有楽町線の護国寺駅からスタート。
地下通路から外に出ると、目の前に大本山護国寺の仁王門がある。
仁王門の左手前で、現在、護国寺駅のエレベーターの設置工事をしている。
次に来た時は、地下鉄からここに出られる。
仁王門を潜ると、両側が水屋、石段の上が不老門が見える。
左右の水屋には、唐銅蓮葉形手洗水盤一対二基がある。
この手洗水盤は綱吉公の御生母桂昌院の御寄進である。
明治大正期までは、境内の湧水を利用した自噴式手洗水盤だった。
1938年に建造された不老門、京都の鞍馬寺山門を模して造られた
不老門を過ぎると、右手に、六地蔵が並んでいる。
元禄14年建立の旧薬師堂を大正15年に移建した大師堂や一言地蔵を祀った社に参拝。
1697年に造営され重文に指定されている、本堂である観堂堂の前へ。
観音堂は元禄時代の建築技術の粋を結集した大建造物で、雄大さは都内随一と称賛されている。
観音堂の本尊は、桂昌院念持仏の天然琥珀如意輪観世音菩薩像である。
護国寺の鐘楼、梵鐘は1682年に寄進されたもので、観音堂建立の事情が述べられている。
本堂の東側には、明治の元勲である山縣有朋や幕末・明治前期の政治家の三條実美の墓がある。
護国寺の境内には、一切経堂を移築した護国寺薬師堂、日清戦争の戦没者の遺骨を収められた忠霊堂、
1938年に建立された護国寺多宝塔、茶道に使われている月窓軒、
都区内で最も大きいと言われている護国寺の大仏がある。
参拝を終え、不老門を出ると、左手に、鳥居が見える。 音羽富士と呼ばれる富士塚である。
鳥居を潜ると、私立獣医学校発祥之碑やカラスの赤ちゃんの楽譜の碑がある。
山頂まで、遊歩道が続いている。 富士塚登山は、江戸時代に隆盛を深めた。
護国寺の仁王門から不忍通りに出て、左に進むと左手に総門があり、
総門を潜ると、左手に音羽幼稚園、正面に内仏殿、桂昌殿がある。
王門の前にある護国寺前交差点から、不忍通りを西に進む。
護国寺
地図の中央の矢印が護国寺です <東京都文京区大塚5丁目40にて>
護国寺を、下記の護国寺のボタンをクリックして43枚のスライド写真でご覧ください。
護国寺西交差点から、不忍通りを西に進むと、右手に「清土鬼子母神」がある。
この地で、雑司が谷の鬼子母神像が1561年に掘り出された。
境内には、雑司が谷七福神のひとつである吉祥天が祀られている・
又、一株にて七本に分かれた七本杉と呼ばれる大木がある。 現存は過ぎは三本である。
清土鬼子母神から不忍通りに出て、路地を北に入ると、菊池寛の旧宅跡がある。
マンションの前の説明版によると、菊池寛は1937に当地に移転し、晩年までここで過ごした。
雑司が谷は文士村として名高い。 明治文学全集で菊池寛の作品を読んだものとしては懐かしい。
菊池寛旧宅跡の前の通りを、西に進むと、右手に、日本女子大学寮がある。
道に迷いながら、弦巻通りを進むと、都電荒川線に突き当たり、戻って清立院の前に出る。
雑司が谷霊園に入り、竹久夢二の墓に参拝してから雑司が谷の鬼子母神に向かう。
再び、都電荒川線沿いの道を歩き、ケヤキ並木の表参道を歩いて鬼子母神へ。
表参道を進むと、正面に鬼子母神堂が見えてきた。
雑司が谷鬼子母神堂は、先程の清土鬼子母神で出土した鬼子母神像を祀っている。
鬼子母神堂は1558年に現在の地に堂を建て、鬼子母神像を安置したことに始まる。
現在の鬼子母神堂は拝殿、相の間、本殿の権現造りで、本殿は1666年に開堂供養が行われた。
鬼子母神像は、鬼形ではなく、菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角のつかない鬼の字を用いている。
鬼子母神はインドで訶梨帝母とよばれ、王舎城の夜叉神の娘で、お釈迦様に帰依し、安産・子育の神となった。
武芳稲荷の横にある大銀杏は、樹齢600年以上、幹周8m、樹高30m余りもある。
鬼子母神堂の裏側にある妙見堂には、北極星を表す仏さまである「妙見菩薩」が祀られている。
鬼子母神堂の参拝を終え、鬼子母神西参道を通って池袋駅の向かう。
明治通りに出て、北に向かって歩く。 右手に、武蔵野栄養専門学校のビルがある。
南池袋一丁目交差点に到着、左折すると西武池袋線の西口がある。
前方に、池袋東口前の広場が見えてきた。 池袋駅前に到着。
西武鉄道池袋駅東口から山手線池袋駅に向かう。
雑司が谷鬼子母神堂
地図の中央の矢印が鬼子母神堂です <東京都豊島区雑司が谷3丁目15にて>
鬼子母神堂を、下記の「鬼子母神堂」のボタンをクリックして48枚のスライド写真でご覧ください。