成田山と香取神社      2016年10月20日


   2007年に建立された成田山新勝寺の正門である総門

 成田山参詣の為、成田インターで降りてナビで目指すも 成田山の山中を引き回され、やっと駐車場へ。  先ず、門前広場から、2007年に建立された、成田山新勝寺の総門に向かう。  総門は総高約15mで、信徒を迎える成田山の正門である。  総門の楼上には、生まれ歳守本尊八体仏が奉安されている。  総門を潜り、仁王門へ。 右手では、成田山名物の七味唐辛子を売っている。  石段を登り、1831年に再建された、重文の仁王門へ。  仁王門の左右には、蜜迹金剛、那羅延金剛が奉安されている。  仁王門を潜ると、裏側に裏仏が祀られている。  左に多聞天、右に広目天が祀られ、伽藍守護の役目をしている。  門に隣接する仁王池は放生池として不殺生を教えている。 石段を登ると大本堂がある。  石段の横にある、町火消しが奉納した狛犬、六番組の文字が見える。
 1968年建立の新勝寺の大本堂は、最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場である。  成田山では、開山以来一千有余年、日々護摩秘法が行われている。  堂内には、不動明王を中心に四大明王、平成大曼荼羅が奉安されている。  参拝後、総高約25mの重文である三重塔や1712年に建立された三重塔、 1701年に建立された鐘楼、1722に建立された一切経堂を見てまわる。  中央の転輪経蔵には約二千冊の一切経が収まっている。  聖徳太子堂で、世界平和を願って建てられ、日本仏教興隆の祖である聖徳太子を奉安している。
 成田山金剛王院新勝寺は真言宗智山派で、940年に、寛朝大僧正が開山した。 宗祖は弘法大師である。  大本堂の裏に回ると、裏山に、八大童子、三十六童子の青銅像が安置されている。  大本堂の裏から、成田山公園に入る。 芭蕉の句碑「丈六に 陽炎高し 石の上」がある。  梅林の中を進むと、坂ノ下に文殊の池が見える。  成田公園には、この文殊の池の他に、龍樹の池、龍智の池の三つの池がある。  更に進むと、噴水のある西洋風公園に出て、正面に平和の大塔が現れる。  大塔は二層であるが五階建ての塔で高さは約58mである。 党内一階には写経道場がある。  二階の明王殿に参拝、火焔光背を含め高さ約6mある不動明王像が安置されている。  平和大塔地下には、各国元首から寄せられた、平和へのメッセージが入ったタイムカプセルを埋設されている。  大塔から奉納額や絵馬を掲げる建築物である額堂へ向かう。  大塔の右奥が光明堂、その奥に平和の大塔、手前に開山堂が見える。  大聖勧喜天を祀る聖天堂の参拝を最後に、成田山を離れ、香取神社に向かう。

     成田山 地図の中央の矢印が成田山です      <千葉県成田市成田にて>
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下総国一宮亀甲山  下総国一宮で、香取神社の総本社である香取神宮

 成田山新勝寺から、東関東自動車道の佐倉香取インターを経由して香取神宮へ。  長い参道を進むと、二の鳥居がある。 香取神宮は下総国一宮である。  鳥居を潜ると、別名亀甲山と呼ばれる、香取の森の広大な境内が広がっている。  香取神宮は日本全国に約400社ある香取神社の総本社である。  三の鳥居に到着、江戸時代以前から神宮と称されていたのは、香取、伊勢、鹿島の三社だけである。  三の鳥居の向こうに、香取神宮の一の門で、1942年に竣工した総門が見える。  手水舎の脇の燈篭には、山村新治郎の文字が見える。
 1700年に綱吉公の造営による、重要文化財の楼門を潜ると、正面に重要文化財の御社殿がある。  御社殿は楼門同様に、1700年に造営された、古くは伊勢神宮と同様式年御造営で、20年毎に造り替えられた。  香取神宮御社殿の構造は、拝殿、中殿、本殿からなる権現造である。  創建は神武天皇御字十八年で、1958年に御鎮座二千六百年祭が斎行された。  香取神宮は古来国家鎮護の神として皇室の御崇敬最も篤く、昔から伊勢の上参宮に対し下参宮と云われた。  境内には、源頼義公が祈願したところ三岐に別れたという三本杉や海上自衛隊練習艦「かとり」の錨がある。  現在は祈祷殿として使用されている香取神宮旧拝殿は、本殿とともに1700年に建てられた。  1984年に現在地に移動されたが、古式を保っており、元禄造営時の重要な建物である。  樹齢千余年と伝わる、目通り約7.4mの御神木かあり、 落合直文は「・・・四人して抱けど足らず神の古杉」と詠んでいる  香取神宮の参拝を終え、総門を出ると右手に神池がある。
 本殿の参拝を終え、旧参道にある奥宮に寄る。 途中に、護国神社や要石がある。  山道を歩くと、間もなく、右手に小さな祠がある。 護国神社である。  要石へ。 古伝によれば、昔、香取ヶ浦付近では地震が頻発し人々は恐れていた。  地中の大鯰を押えるため、香取・鹿島の大神が石棒を差し込んだと言う。 水戸の要石と類似な話である。  旧参道に出て小道に入ると、左に、天真正伝神道流始祖飯篠長威斎の墓、右に奥宮の入り口がある。  1973年伊勢神宮御遷宮の折の古材を使って建てた香取神宮の奥宮に参拝をして、 香取神宮二の鳥居の前に出ると、1970年よど号事件の山村新治郎と父親の胸像が並んでいる。  テレビに釘付けになったよど号事件を思い出しながら、帰路に就く。

   香取神社 地図の中央の矢印が香取神社です      <千葉県香取市香取にて>
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