九十九里浜      2016年10月04日


   九十九里浜沿いにある蓮沼海浜公園のシンボルである展望塔

 7月14日の犬吠埼散策時には、横芝光インターから帰宅したが、 その続きとして今回は横芝光インターから木戸海岸に向かう。  県道108号横芝停車場白浜線を走り、木戸浜交差点を直進すると木戸海岸に至る。  浜辺から北東を望むと、竜王岬まで砂浜が続いている。  50kmにわたる白浜が続く「九十九里浜」である木戸海岸は海水浴場として賑わう。  今日は台風の影響で、波も高く、白波が黒ずんでいる。  海岸の近くの栗山川には11月から1月に掛けて鮭が回遊してくるという。
 木戸浜交差点から九十九里ビーチラインを西南に走ると、左手に蓮沼海浜公園がある。  公園内を北東に歩き、小山から北東を望む、蓮沼ウォーターガーデンの建物が見える。  西北を望むと、蓮沼海浜公園展望塔が見える。 公園は、南北に4kmに延びる大公園である  道路を跨ぐ吊橋を渡ると、こども広場に行くことができる。 更に向こうに展望塔が見える。  蓮沼海浜公園展望塔近くの第三駐車場に移動する。 展望塔に向かってアプローチを歩く。
 展望塔は1985年に開業し、高さは30.5mある。  展望塔の下部は、キッズジムになっているが、週日は閉鎖されている。  2階にある展望台の入口は無料開放されていて、自由に登ることが出来る。  展望塔の階段を上ると、最上階の7階の屋上に到着する。  屋上からは360度のパノマラを楽しむことが出来る。  南側には機関車のような遊具が見える、休日は親子連れで賑わうだろう。  手前にトレインのレールが見え、背後に九十九里浜が広がっている。  蓮沼海浜公園沿いの海岸には、南から、南浜海水浴場、中下海水浴場、殿下海水浴場と三つの海水浴場が並んでいる。  駐車場とは、反対側の北東側には、蓮沼海浜公園こどもの広場が広がっている。  展望を楽しんだ後、蓮沼海浜公園を出発し九十九里ビーチラインを走る。

     蓮沼海浜公園展望塔 地図の中央の矢印が展望塔です      <千葉県山武市蓮沼ホにて>
蓮沼海浜公園周辺の風景を、下記の「蓮沼海浜公園」のボタンをクリックして33枚のスライド写真でご覧ください。


 山武市にある歴史民族資料館に隣接した伊藤左千夫の生家

 九十九里ビーチラインを走ると、片貝漁港入口交差点で、 海の駅の看板を見つけたので、左折して、海の駅「九十九里」へ向かう。  海の駅に入ると、遊泳する3,000匹の鰯の大群が出迎えてくれる。
 海の駅には、「いわし資料館」があり、いわしと人々の暮らしのつながりや歴史を紹介している。  館内には、大漁を祝う際に、船主や網元から漁師たちに贈られた晴れ着の万祝が展示されている。  2階に上がると、九十九里伝統の郷土料理を楽しめるフードコートがある。  一番奥にある、みっちゃんの「魚や食堂」で人気の船盛り定食を注文する。  潮風に吹かれながら、分量のある海鮮料理を味わう。  海の駅には、日本で唯一の青いポストと鐘がある。
   古いガイドブックに、真亀川の河口近くに知恵子抄ゆかりの家があったので探したが見つからず、 代わりに、知恵子抄詩碑に辿り着く。  高村光太郎の妻智恵子は実妹斉藤せつ夫妻が住むこの地で転地療養をしていた。  真亀から、伊藤左千夫の生家を訪ねて、山武市にある歴史民族資料館へ。  資料館の前には、「久々に家帰り見て故さとの 今見る目には岡も河もよし」の歌碑と野菊の墓の政夫と民子の絵がある。  伊藤左千夫生家の前にも、代表作の「牛飼がうたよむ時に世の中の あらたしき歌おほいに起る」の歌碑がある。  左千夫は、1864年8月18日に山武市殿台で生まれた。
 生家は、約200年の建築で、この地域のごく一般的な中農の家構えである。  約400坪の敷地には、茅葺平屋建ての母屋や土蔵が残っている。 左千夫はこの家で、20歳まで過ごした。  母屋の前には、左千夫が文学のかたわら茶の湯を愛好した茶室唯真閣がある。  唯真閣は東京茅場町の居宅に建てたのを、ここに移築されたものである。  資料館で「伊藤並根‐左千夫を誘った男」の特別展を観覧した後、帰路につく。

   伊藤左千夫の生家 地図の中央の矢印が伊藤左千夫の生家です      <千葉県山武市殿台にて>
伊藤左千夫の生家を、下記の「伊藤左千夫の生家」のボタンをクリックして36枚のスライド写真でご覧ください。  

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