房総半島最南端を目指して、富浦インターから館山バイパス、外房黒潮ラインを経て、道の駅「ローズマリー公園」へ。
ローズマリー公園は、1998年3月15日以来の18年ぶりの訪問である。
春の訪れと共に来た前回は花に囲まれた華やかな雰囲気であったが、現在は農産物直売所が売り物らしい。
ローズマリー公園の「はなまる市場」へ、壁には野菜を提供している生産者の皆様の顔写真を掲載している。
特に買いたいものも見当たらなかったので、ご当地名物の枇杷のソフトクリームを頂きました。
ローズマリー公園で今でも印象が残っているのは、教会があるヨーロッパ風の庭園
ボタルが開通した二昔前を思い出しながら教会の周りを歩く。
2010年9月12日に訪れた、シェクスピアの生家を思い出しながらローズマリー公園を後にする。
公園を出て、県道251号線の房総フラワーラインを南下し、南千倉海水浴場の浜辺へ。
左手に、白浜が瀬戸浜海水浴場まで続いている。 閑散とした初夏の浜辺に、一組のペアの姿が見える。
房総フラワーラインと別れて、自転車道と併走した和田白浜館山自転車道線沿いにある、
道の駅「ちくら・潮風王国」のふれあい広場による。 目の前に、磯遊びにうってつけの岩礁が広がる千田海岸が広がる。
今は干潮で、隠れていた岩場が顔をだし、海の自然観察にうってつけのタイドプールが出現している。
磯に下りて、海岸の生き物を探しながら歩く。 巨大なウミウシを発見、観察後、水の中に戻してやる。
ふれあい広場に隣接した、道の駅「ちくら・潮風王国」の潮風王国本館へ。
館内の中央には鮮魚生簀が並び、海の幸を提供しているが、眺めるだけで次の目的地の野島崎へ。
週日なので、野島崎の半島の中央部まで進み、灯台の前の駐車場に駐車する。
18年前に、ローズマリー公園と共に訪れた時は、突然の豪雨に途中で引き返し、灯台には接近できず
地上から灯台頂部まで約29mある野島崎灯台は、内部の階段を登って上まで行ける数少ない灯台の一つである。
灯台に入ると灯台の設計者であるフランス人技師ヴェルニーの胸像がある。
野島埼灯台の上から野島埼の周辺を見渡す。 この辺りは白浜温泉の中心地で、ホテルが数多く見られる。
野島埼の真ん中には、厳島神社がある。 最南端には、岩の上に、朝日と夕陽を眺めるベンチが置いてある。
野島埼灯台は、白鳥の灯台とも呼ばれ、点灯は観音崎灯台に次いで我が国で2番目に古い灯台である。
360度の眺望を楽しんだ後、再び、急斜面の鉄梯子を降りる
野島埼灯台
地図の中央の矢印が野島埼灯台です <千葉県南房総市白浜町白浜にて>
野島埼灯台を、下記の「野島埼灯台」のボタンをクリックして49枚のスライド写真でご覧ください。
野島埼灯台を見学した後は、野島埼散策に出かける、
先ず最初に半島の真ん中にある厳島神社に参拝する。 野島埼灯台を眺めながら、野島埼を巡る遊歩道を歩く。
灯台は、日本の灯台50選に選ばれており、国の登録有形文化財にも登録されている。
1866年の江戸条約において建設が定められた8つの灯台の一つで条約灯台とも呼ぶ。
野島埼灯台は日本最古の八灯台の一つであると云われているが、
木造灯台も含めれば、一昨年の10月29日に訪れた旧福浦灯台が、現存する日本最古の灯台だろう。
野島崎灯台は1870年に初点灯したが、1923年の関東大震災により大音響と共に倒壊した。
その後、1923年に現在の白色塔形コンクリート造で再建された。
遊歩道脇には、梅田勝裕氏の「砂の女トルソ」が二体立っている。 源頼朝に纏わる「伝説の岩屋」もある。
この岩屋は「頼朝公の隠れ岩」と称し、突然の時雨に身を寄せ雨を凌いだと云われている。
1180年伊豆から安房に渡ってきた源頼朝は野島埼に立ち寄り矢鏃で大岩に野島山の三文字を刻んだ伝説が残る。
岩屋には深海に棲む創造の大蛸の海神を祀っている。 中央の大鮑の殻の中に賽銭が入れば開運間違いなしとのこと。
埼の先端には、クス王のピラミット石と同じ大きさだという黒の四角い石の、房総半島最南端の石碑が置かれている。
野島埼を訪れた1998年の同じ年に、エジプトを訪れていた。 時が流れるのの、如何に早いことか。
「南房総白浜サンライズポイント、絶景朝日と夕陽の見える岬」の文字が見える表示塔が立っている、
埼の先端の岩の上に置かれたベンチに到着する。
関東地方の最南端の岩礁を望む。 本州最南端の潮岬を訪れたのは、10年前の2006年5月31日だった。
埼を左回りに巡り、岬の東側の海岸に出る。 先方に太平洋が広がっている。
野島埼に茂る、南国を思わせる巨木を眼に刻んで、南房総の地を離れ帰路に就く。
野島埼
地図の中央の矢印が野島埼です <千葉県南房総市白浜町白浜にて>
野島埼の風景を、下記の「野島埼」のボタンをクリックして31枚のスライド写真でご覧ください。