房総半島の最西端に位置する洲崎を目指して、富津館山道路を走り富楽里パーキングに寄る。
パーキングは「ハイウェイオアシス富楽里」になっていて、道の駅との併設で、施設も充実している。
富浦インターで降りて、県道302号館山富浦線を南下すると左手に大きな神社がある、鶴谷八幡宮である。
鶴谷八幡神社は養老元年の創建と伝えられ、安房地方で最も参詣者の多い神社である。
参道を進むと、右手に、館山市民戦没者慰霊碑がある。 日清・日露・太平洋戦争の戦没者である。
鶴谷八幡宮は平安時代に安房国総社として創建された。 境内には、樹齢300年以上の御神木のイヌマキがある。
天井の彫刻が見もの拝殿は1932年に再建された。 神社は関東の三鶴八幡として鎌倉八幡と並んで知られている。
拝殿の南には安房神社遥拝殿がある。 安房神社は房総半島南端部にある。
鶴谷八幡宮参拝後は、館山湾に面した北条海岸に立ち寄る。
北条海岸から左手を望むと、館山湾を囲むように洲崎が延びている。
北を望むと、4月20日に訪れた大房岬が西に延びている。
北条海岸は海の向こうに、富士山が眺められることで知られている。
近くでカメラをセットしていた人の話では、今日は、北条海岸のこの地点でダイヤモンド富士が見えるという。
翌日、新聞に掲載された写真を見ると、富士山に対して太陽が大きく、富士を後光のように包み込んでいる。
北条海岸から洲崎灯台に向かう。 高台の「夕日が丘富士見台」に登り相模湾を望む。
左手に、相模灘に浮かぶ大島が見える。 後方庚申山の頂に、塔高が14.8mの洲崎灯台が立っている。
洲崎灯台は、対岸の三浦半島にある剱灯台とともに、東京湾へ出入りする船舶の目印になっている。
灯台の水面から灯火までの高さは約45mで、光の届く距離は約34kmである。
灯台は円形平面の形式で、初期の鉄筋コンクリート造灯台として価値が高い。
洲崎灯台
地図の中央の矢印が洲崎灯台です <千葉県館山市洲崎にて>
北条海岸と洲崎灯台を、下記の「北条海岸と洲崎灯台」のボタンをクリックして30枚のスライド写真でご覧ください。
洲崎灯台の横にある、庚申山の頂に造られた展望台から周りの景色を見渡す。
右に目を向けると、洲崎のお台場海浜庭園の岩場が見える。
洲崎の海浜庭園は、東京湾の出入り口に位置し、江戸幕府が砲台を建てたもう一つのお台場である。
北に広がる丸い形をした鏡ヶ浦は、対岸の富士山を映し出すほど平らで、波静かで鏡のようだとして名付けられた。
洲崎灯台から、お台場海浜公園に向かう、道路が公園入り口で行き止まりになっている。
園内から老人がのこのことやって来た。 入場料を支払って園内へ。
お台場海浜庭園は、2000坪のビーチを持つオートキャンプ場として知られている。
園内に入ると、絶景見晴台がある、右手の庚申山の上に洲崎灯台が見える。
この公園は個人的な趣味で作られた感じで商業的な匂いは全く感じられない。
歩道を形どっている煉瓦も手つくり煉瓦を並べたようだ。
周りに人影は見えず、海に面したベンチに腰掛けて、大自然を独り占めにする。
頼朝の安房の地の上陸地点として、鋸南説に対して、この地の洲崎上陸説もある。
洲崎は房総半島最西端の地であるが、広々として岬の趣がない。
沖には大型船が見える、一日に500から600隻の大型船が往復するという
この地は黒潮の影響で、温暖な気候と、強い海風が霜を飛ばすため露地花栽培に最適な環境である。
大正期に、欧州から入ったマーガレットの露地栽培に成功し、この一帯を「マーガレット岬」と愛称されている。
お台場海浜庭園からの洲崎灯台の眺めを最後に洲崎を離れ、城山公園に向かう。
お台場海浜庭園
地図の中央の矢印がお台場海浜庭園です <千葉県館山市洲崎にて>
洲崎の風景を、下記の「北条海岸と洲崎灯台」のボタンをクリックして29枚のスライド写真でご覧ください。
城山公園に到着。 駐車場の横には高さ7mのモニュメント「光と風と夢」が立っている。
公園がある館山市街の南側丘陵には、戦国武将里見氏の居城があった。
城山の高台に登ると「関東の富士見100景」に指定された展望台があり、恋人の聖地になっている。
展望台から西を望む。 中央に、館山市役所館山幼稚園の校舎が見える。
北西を望む、館山港の向こうに鷹ノ島公園と沖ノ島公園の緑の小山が見える。
鏡ヶ浦と呼ばれている館山湾が広がる、大房岬が西に延びている。
鏡ヶ浦には、海岸にある館山市立博物館分館から、館山港多目的観光桟橋の「館山夕日桟橋」が延びている。
北を望むと市街地が広がる、右手中央に館山市立第二中学校の校舎、その奥にバインズマンション館山駅前タワーが見える。
展望台から館山城へ向かう。 館山城は南総里見八犬伝の資料を展示した八犬伝博物館である。
三層四階天守閣形式の館山市立博物館別館の館山城は標高60mの山頂に建っている。
現在の館山城は1982年に丸岡城を模して再建した模擬天守で、当時の天守の外観は不明である。
館山城を最後に館山散策を終え、帰路の途中で、渚の駅「たてやま」に寄る。
渚の駅は館山市を訪れた人々の「安らぎの場所」として整備された交流拠点施設である。
館山市立博物館分館があり、往時の焼玉エンジンが展示してある。
名誉駅長である「さかなクン」のさかなクンギャラリーもある。
水槽内の魚を観察した後、屋上に登り鏡ヶ浦を望む。 海岸へ向かう。
鏡ヶ浦に突き出る「館山夕日桟橋」を歩き、東を望むと左に渚の駅「たてやま」、右には、城山の山頂に館山城が見える。
桟橋の海中観光船の船着場に立つ「館山夕日桟橋」のゆるチャラに挨拶して館山を後にする。
館山城
地図の中央の矢印が館山城です <千葉県館山市館山にて>
館山城を、下記の「館山城」のボタンをクリックして42枚のスライド写真でご覧ください。
先日の5月12日の洲崎散策に続き、6月1日に再度、洲崎に向かう。 途中で、道の駅「とみうら」に寄る。
房総半島の自動車道の最南端にある富浦インターの出口に設けられた道の駅「とみうら」は大きな道の駅である。
駅内には、地元農産物直売のわくわく広場の他、「道の駅グランプリ2000」の最優秀賞を受賞し、
日本一の道の駅になった受賞記念として「メラレウカ リナリフォーリア」の樹木が植えられている。
道の駅を出て、館山富浦線を南下すると、左手に崖観音の大福寺がある。
大福寺は真言宗智山派に属する寺院で、境内の舟形山の中腹に浮かぶ朱塗りの観音堂は「崖の観音」と呼ばれ、
717年に行基が、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われている。
現在の観音堂は大正14年、本堂は昭和元年の再建である。
7月13日まで修復工事で立ち入り禁止の崖観音を見上げながら、2006年10月9日に訪れた三仏堂を思い出す。
大福寺を出て、鏡ヶ浦を眺めながら洲碕を回り、安房国一ノ宮の洲崎神社へ。
洲崎神社本殿裏の御手洗山は常緑樹が自然林を形成し、「洲崎神社の自然林」として県の天然記念物に指定されている。
鳥居を潜ると随身門があり、前に置かれた一対の石灯篭には1790年建立の文字が見える。
随身門を潜ると、148段の急勾配の石段の「厄祓坂」がある。 急峻な石段を登ることで厄落としが出来るという。
洲崎神社拝殿の正面の扁額「安房国一宮洲崎大明神」は1812年奉納で、白河藩主松平定信の書である。
本殿は神社建築としては、唐様三手先の組物を用いているのが珍しい。 木鼻や欄間の彫刻も見事で、江戸初期の本蟇股も見られる。
本殿に隣接した稲荷神社は1772年伏見稲荷大社からの分社である。 1180年に源頼朝が洲崎神社を参拝して神田を寄進している。
洲崎神社に隣接する養老寺にも参拝する、正式には妙法山観音寺と云う。 養老寺は江戸時代まで洲碕神社の社僧を勤めていた。
寺は717年に役行者を開祖として創建されたと伝えられ、本尊は洲崎神社の本地仏である十一面観世音菩薩である。
養老寺の参拝を終え、浜に祀られている長さ2.5mの丸みを帯びた御神石へ。
御神石は竜宮から洲崎大明神に奉納された2つの石の一つで、もう一つは三浦半島の安房口神社にある。
勝山海水浴場が源頼朝上陸の地とされているが、洲崎が源頼朝上陸の地との説もある。 神社には神事として洲崎踊りが知られている。
洲崎神社から房総フラワーラインを南下すると、道の駅「南房パラダイス」がある。
道の駅にはポピーの里「館山ファミリーパーク」があるが時期外れで人陰は見えず。
パーク内には、連続温室や蝶館など熱帯の植物・昆虫が見られる。 道の駅の向かい側にある平砂浦砂防林を抜けて平砂浦に出る。
浜辺に出て右を眺めると平砂浦の砂浜が広がり、遥か向こうに洲崎の山が見える。
平砂浦は、白砂青松100選、背後の房総フラワーラインは道100選に選ばれている。
道の駅から国道410号線に出て、県立館山野鳥の森の中にある安房神社へ。
安房神社は717年に吾谷山の麓である現在の場所に遷座された安房国一之宮で、
安房坐神社呼ばれ、大和の国にある古社の坐の文字が見える。
安房神社は神話時代に阿波地方から渡って来た忌部氏の創建と云われている。
安房一之宮である安房神社の上の宮の参拝を最後に南房の旅を終える。
洲崎神社
地図の中央の矢印が洲崎神社です <千葉県館山市洲崎にて>
洲崎神社周辺の風景を、下記の「洲崎神社」のボタンをクリックして45枚のスライド写真でご覧ください。