朝のテレビで、神楽坂の一方通行は、正午で進行方向が逆転する「逆転式一方通行」は、
田中角栄が自分の車が移動しやすいように設定したのが始まりであると放映していたので、早速、
今日は神楽坂を目指すことにする。
神楽坂だけでは散策には物足りないと思い、外濠散策も併せて、中央線の市ヶ谷駅へ。
駅を出て、市ヶ谷橋南詰めから外濠を西の望む。 住友市ヶ谷ビル、その左に茶色いクィーポビルが見える。
市ヶ谷駅交差点の横断歩道を渡って外濠公園へ。 外濠公園入口には、市ヶ谷御門台の石垣石がある。
中央線沿いの外濠公園を飯田橋駅に向かって歩く。
新見附橋に来る。 正面に、外堀通りに面して、法政大学新見附校舎が並んでいる。
西に望む、外濠の向こうに市ヶ谷橋が見える。
黄土色の東京逓信病院が見えてきた。 その前の道路を大勢の学生が右に向かって歩いている。
学生達は隣の建物へ続々と入っていく。 病院に隣接して、法政大学外濠校舎がある。
外濠沿いの中央線の線路を黄色い帯の電車が走ってきた。
外堀公園を早稲田通りまで歩くと、交差点の手前左手に石垣がある、江戸城外濠跡の遺跡の一つである。
石垣の前で、早稲田通りへと左折し、牛込橋へ。 右手が中央線の飯田橋駅になる。
牛込橋を渡る、現在の橋は1996年に造られた長さ46m、幅15mの鋼橋である。
外堀通りの神楽坂下交差点に出る、正面が神楽坂の入口で混雑している。
外濠公園の中央にある新見附橋
地図の中央の矢印が新見附橋です <東京都新宿区市谷田町3丁目にて>
外堀公園の風景を、下記の「外堀公園」のボタンをクリックして22枚のスライド写真でご覧ください。
神楽坂下交差点から神楽坂へ。
神楽坂とは早稲田通りの一部で、神楽坂下から神楽坂上までの間を云う。
左手に、午前中は左、午後は右の「逆転式一方通行」を示す、一方通行の標識がある。
神楽坂仲通りから神楽坂に出てきた所の三叉路である。
現在、石原新太郎の天才がベストセラーになっていて、田中角栄も久しぶりに脚光を浴びているが、
この表示板も彼のワンマンぶりを示すエピソードの一つとして都市伝説になっているらしい。
本多横丁通りを右手に見て、東京三菱UFJ銀行を過ぎると、左手に善国寺がある。
本尊の毘沙門天は江戸時代より、「神楽坂の毘沙門さま」として信仰を集めている。
善国寺は芝正伝寺、浅草正法寺とともに江戸三毘沙門と呼ばれて、現在、新宿山ノ手七福神の一つでもある。
神楽坂から地蔵坂を上ると、袋町に、浄土宗の寺院の光照寺がある。
寺は、戦国時代に、この地域の領主だった牛込氏の居城があった場所に建っている。
光照寺から坂を下ると、大久保通りに出る。 都営大江戸線の牛込神楽坂駅があり、正面に袖摺坂がある。
大久保通りの牛込北町交差点に出て、牛込中央通りを北上すると、両側に新潮社の建物がある。
牛込中央通りから早稲通りに出て、右折すると、左手に赤城神社の鳥居がある。
赤城神社は1300年に群馬県赤城山麓の豪族大胡が牛込に移住した時、
御分霊をお祀りしたのが始まりと云われている。
1683年に江戸幕府は赤城神社を江戸大社の列に加え、日枝神社、神田神社と共に、江戸三社と称されている。
群馬県の赤城神社は、12年前の2004年8月17日に参拝した。
早稲通りを進み、神楽坂上交差点に到着、交差点の北側に安養寺がある。
大聖歓喜天王安養寺は天台宗の寺院で、江戸三十三観音霊場の十六番札所である。
本多横丁を通り過ぎると、左手に回転寿司の元祖寿司がある。
店の名前に釣られて、元祖寿司に飛び込み、序に、隣の洋品店も覗く。
神楽小道の三叉路に来る。 間もなく、神楽坂下交差点だ。
交差点の横断歩道を渡って、中央線の飯田橋駅に向かう。
神楽坂の毘沙門さまの善国寺
地図の中央の矢印が善国寺です <東京都新宿区神楽坂5丁目にて>
神楽坂の風景を、下記の「神楽坂」のボタンをクリックして42枚のスライド写真でご覧ください。