隅田川の河畔の桜が満開との情報により、都営大江戸線の月島駅に向かい、
駅から長い地下道を歩いて外に出たら、朝潮大橋の近くの、マンションシェトアの横の児童公園で、
公園の桜は満開だった。 先ず、清澄通りの相生橋を目指す。
相生橋の右岸から、豊洲のビル群を望見ながら、横断歩道を渡って石川島公園の遊歩道へ。
相生橋が架かる川は隅田川派川で、晴海運河と呼ばれている。
晴海運河の右岸は、桜並木が続いていて、桜の名所になっている。
相生橋は上流の永代橋に相対する橋として相生橋と名付けられた。
橋は細長い部材を三角形に組み立てて橋桁としたトラス橋である。
相生橋は全長149.1m、幅員は36.8mである。
晴海運河の右岸には高層ビルが立ち並んでいる。
晴海運河は、地図によっては豊洲運河と書かれている。
佃島は東岸が石川島公園、西岸が佃公園になっていて、桜並木が連なっている。
間もなく、隅田川と晴海運河の分岐点で、
佃島の北端にある石川島公園のバリ広場に到着。 正面に永代橋が見える。
バリ広場から左を見ると、隅田川に架かる中央大橋が見える。
今年の桜は全国的に開花が早かったが、途中の寒波により散るのが遅くなった。
3月末に満開になった桜は、流石にちらほらと散り始めている。
中央大橋の橋桁の下を潜り、大橋を左岸下流から望む。 特異な形状をした主塔がまぶしい。
中央大橋の構造形式は二径間連続鋼斜張橋である。
大橋の右岸上流に、リバーシティ21の高層ビルが建っている。
中央大橋から隅田川左岸を下流に歩く、正面に亀島川水門が見えてきた。
更に歩くと、前面に佃大橋が見えてきた。 佃公園に到着。
佃島は徳川家康の命を受けて、摂津国佃村の漁師により開かれた。
石川島公園、佃公園を歩き回り、結局、石川島公園の晴海運河右岸に落ち着く。
桜に囲まれながら、コンビニで買ってきたお弁当を食べて、小さな幸せを感じる。
桜の花は満開、今日は今年で最高の花見日和である。
食後、再び花見散策開始、隅田川左岸の桜並木を中央大橋に向かって歩く。
中央大橋が見えてきた、橋の全長は210.7m、幅員は25mである。
大橋は1993年8月26日に竣工、レインボーブリッジと同じ日であった。
相生橋
地図の中央の矢印が相生橋です <東京都中央区佃2丁目にて>
隅田川石川島公園の桜を、下記の「石川島公園」のボタンをクリックして44枚のスライド写真でご覧ください。
中央大橋の東詰へ、正面に東京スカイツリーが見える。
中央大橋から隅田川左岸を望むと、バリ広場の桜が目立つ。
石川島に建つリバーシィ21のビルを見ながら、中央大橋の主塔の下を歩く。
中央大橋脚部に、オシップ・ザッキンの彫像「メッセンジャー」が鎮座している。
彫像は当時のパリ市長ジャック・シラクにより友好の印として贈られたものである。
隅田川はセーヌ川と1989年に友好河川を提携している。
中央大橋から北東方向を望むと、隅田川左岸の永代公園が見える
石川島公園バリ広場の背後に建つ、リバーシティ21のノッポビルが目立つ。
佃島北端は、石川島播磨重工業月島造船所跡地が「大川端リバーシティ21」として再開発された。
中央大橋北詰から、隅田川右岸の遊歩道を永代橋に向かって歩く。
永代橋が近づいてきた、橋の構造形式は、中央がスチールアーチ橋、両側が鋼桁橋である。
永代橋の下流右岸に「新川の碑」がある。
1660年に開削された新川は埋め立てられて、今は碑を残すのみである。
永代橋では、1807年には死傷者・行方不明者1400人を超える落橋事故を起こしている。
永代橋から隅田川の上流を望む、二層式になっている隅田川大橋が見える。
隅田川大橋は葛西橋通り・水天宮通りの永代葛西橋線を通す。
大橋は下段が隅田川大橋、上段が首都高速9号線深川線の高速道路高架橋である。
隅田川右岸上流から永代橋を望む。 清洲橋の「女性美」に対し、永代橋は「男性美」を表わしている。
左側から隅田川に流れ込む、日本橋川が見えてきた。
隅田川右岸から日本橋川右岸へ。 前に、豊海橋が見えて来る。
豊海橋から日本橋川の上流を望む。 上流には日本橋がある。
日本橋川左岸から、隅田川右岸へ。
永代橋は2007年に勝鬨橋・清洲橋とともに国の重要文化財に指定されている。
石川島公園のバリ広場
地図の中央の矢印がバリ広場です <東京都中央区佃2丁目1にて>
中央大橋から隅田川大橋までの風景を、下記の「中央大橋から隅田川大橋」のボタンをクリックして39枚のスライド写真でご覧ください。
隅田川右岸を隅田川大橋に向かって歩く。
大橋は全長385.3mで、河川部210m、左岸高架部103.1m、右岸高架部72.2mである。
間もなく、隅田川大橋に、土手堤には、何処までも桜並木が続く、桜の花がちらほらと落ちている。
此処の桜は、椿のように、開いたまま落下しているので、まるで、桜の下の松の花のように見える。
隅田川大橋の橋梁の下を潜り、橋の上流へ。
隅田川には、個性的な橋が続いていて、観光の目玉になっているが、この隅田川大橋は頂けない。
隅田川上流に、清洲橋が見えてきた清洲橋は清洲橋通りの浜町北砂町線が通っている。
対岸の隅田川左岸を望むと、左手に、清洲排水機場の水門が見える。
清洲橋は両岸の深川区清住町と日本橋区中洲町から一字づつ取って名付けられた。
清洲橋は建設当時世界最美の橋と呼ばれたケルン市のヒンデンブルグ橋をモデルにしている。
橋は関東大震災の震災復興事業として建設され、「震災復興の華」と呼ばれた優美なデザインである。
構造形式は自碇式鋼鉄製吊り橋で、全長186.3m、幅員22mである。
2007年に国の重要文化財、2000年に土木学会選奨土木遺産に選定されている。
対岸の小名木川の河口を望む、小名木川に架かる万年橋が見える。
橋の北詰に、2009年7月16日に訪れた芭蕉庵史跡展望公園がある。
清洲橋から新大橋に向かって隅田川右岸を歩く、上流に東京スカイツリーが見える。
観光客で満載の遊覧船が芭蕉庵史跡展望庭園の前を通過、
萬年橋の北詰からの清洲橋の眺めは「ケルンの眺め」と云われている。
上流に、江東区芭蕉記念館があり、2009年7月16日に訪れた。
前面に、構造形式が2径間連続斜張橋の新大橋が見えてきた。 この新大橋は、1977年に架け替えられた。
旧橋の新大橋は、貴重な建築物として博物館明治村に移築されていて、昨年の5月6日に訪れた。
芭蕉は新大橋の東側の深川に住んでいた。
新大橋について、「初雪や架け係りたる橋の上」「有難や頂いて踏む橋の霜」などの俳句を残している。
広重が描いた「大はしあたけの夕立」はゴッホが浮世絵に影響を受けた絵の代表的なものである
大新橋は全長170m、幅員24m、両国橋を大橋と呼んでいたので、この橋は新大橋と呼ばれた。
関東大震災の際、避難の道として多数の人命を救った新大橋は「人助け橋」と称されている。
新大橋の下を潜ると、上流に向島線と小松川線の両国ジャンクションが見える。
竪川水門を目指して、新大橋を左岸に渡る。
新大橋を最後に、桜に彩られた隅田川に架かる橋巡りの終わりを迎える。
両国ジャンクションの下に到着。 今年の1月13日上流から竪川水門まで歩いたので、今回、道が繋がった。
言問橋から此処までは既に歩いていたので、今年になって、勝鬨橋から言問橋まで歩いた。
竪川水門を望む、ゼロメートル地帯の江東デルタ地帯を守っている。
隅田川左岸から一之橋通りに出て、竪川を西に望む、上に首都高速7号小松線が通っている。
京葉道路を東に歩き、両国2丁目交差点に出る、左折して両国駅から帰宅する。
新大橋
地図の中央の矢印が新大橋です <東京都江東区新大橋1丁目にて>
隅田川大橋から新大橋までの風景を、下記の「隅田川大橋から新大橋」のボタンをクリックして54枚のスライド写真でご覧ください。