一昨年に国宝に指定された、埼玉県熊谷市妻沼にある歓喜院聖天堂を訪れる。
境内に入って参道を進むと、最初に、
妻沼聖天山聖天堂の正門として建てられた八脚門である重要文化財の貴惣門がある。
貴惣門から仁王門へ進む。 右手に斉藤実盛の銅像がある
平家物語と奥の細道で有名な実盛は、現妻沼町である長井庄の住人だった。
聖天山の建造物群の中でも最古の建物と云われている、四脚門である中門を潜ると仁王門がある。
仁王門の前の御本殿は奥殿・中殿・拝殿からなる権現造りである。
妻沼聖天山は1179年に斉藤実盛公がこの地に大聖歓喜天を祀り開基したのが始りと言われている。
御本殿である歓喜院聖天堂は1735年から1760年に掛けて林兵庫正清らによって建立された。
建造物としては埼玉県で唯一の国宝で、日光東照宮の創建から百年余り後、装飾建築の成熟期に造られた。
聖天堂は近世装飾建築の頂点であると云える。
聖天堂は奥殿を中心に丸彫や透彫、地紋彫等の緻密な彫刻技法が用いられている。
拝殿の向拝目貫には、太鼓羽目彫刻である「琴棋書画」が見える。
柵で囲まれた奥殿は、妻沼ガイドボランティア「阿うんの会」の人の説明してくれる。
最初に眼に入るのは、奥殿南面東端の「金箔貼りの豪華な花頭窓」である。
奥殿壁面中ほどを豪華に飾る大羽目彫刻は、南西北の三面共に「七福神」の遊ぶ様子を主な題材にしている。
高覧の下、見物者の腰の高さにはめ込まれた腰羽目彫刻の題材は、
南西北の三面共に「唐子遊び」が共通の題材になっている。
奥殿西面の3枚の大羽目彫刻は「大黒の俵」「碁打ち」「布袋袋」など、
「七福神」の遊ぶ様子が描かれている。
8年13.5億円をかけて、復元された「国宝妻沼聖天山本殿」の彫刻群をじっくり鑑賞したので、
次の目的地の稲荷山古墳に向かう。
妻沼聖天堂に関しては、阿部修治氏の国宝・妻沼聖天堂の魅力シリーズが大いに参考になった。
妻沼聖天山歓喜院
地図の中央の矢印が妻沼聖天山歓喜院です <埼玉県熊谷市妻沼にて>
イタリヤ山庭園を、下記の「妻沼聖天山歓喜院」のボタンをクリックして57枚のスライド写真でご覧ください。
稲荷山古墳がある「さきたま風土記の丘」へ。 「埼玉県名発祥の碑」がある。
先ず、最初に、埼玉県立さきたま史跡の博物館へ。
博物館では、国宝「埼玉稲荷山古墳出土品」などを保存管理している。
館内には、国宝の金錯銘鉄剣、画文帯環状乳神獣鏡、帯金具、
ヒスイ勾玉と銀のイヤリングなどが展示してある。
国宝の鉄剣は5世紀末の古代国家成立の謎を解くための超一級資料と云われている。
2009年10月20日に、雄略天皇の足跡を尋ねて、葛城古道を一日散策し、
歴史書で何度となく引き込まれた人にとっては、目の前の鉄剣は一段と眩しく感じられる。
博物館見学の後は、入口に「史蹟埼玉村古墳群」の石碑がある「さきたま古墳公園」へ向かう。
園内には、鉄剣が出土した「稲荷山古墳」の他に、日本最大規模の円墳である「丸墓山古墳」
「将軍山古墳展示館」が古墳内にある「将軍山古墳」
県内では最大規模の古墳である「二子山古墳」がある。
古墳の中を覗いて、石室内を見物して、さきたま古墳公園を後にする。
東北自動車道の栃木インターを降りると、山本有三の文学碑や路傍の石に登場する
「愛川吾一」がぶら下がった「吾一の鉄橋」がある。
文学碑の横に、木造の駅舎として地元住民、鉄道ファンから愛された旧栃木駅駅舎があり、
自動車博物館「魔方陣スーパーカーミュージアム」のエントランスになっている。
専門雑誌でしか見られないようなスーパーカーが間近に見られ、他の見学者もなく、私共で貸切状態。
途中で職員の方が出てこられ、スーパーカー談義が何時までも続く。
やっと、博物館を出て、今夜の宿に向かう。
稲荷山古墳
地図の中央の矢印が稲荷山古墳です <埼玉県行田市埼玉にて>
魔方陣自動車博物館
地図の中央の矢印が魔方陣自動車博物館です <栃木県栃木市野中町にて>
稲荷山古墳と魔方陣自動車博物館を、下記の「稲荷山古墳と魔方陣自動車博物館」のボタンをクリックして54枚のスライド写真でご覧ください。