築地市場      2016年03月25日


   観光客が怒涛の如く押し寄せる波除通りを市場橋交差点に向かって歩く

 築地市場散策のため、総武線の両国駅で降りて両国国技館の南を歩くと、東京大空襲で焼けた言問橋の欄干と縁石がある。  言問橋の遺跡に隣接して、江戸消防記念会が建立した徳川家康公の銅像もある。  築地市場を目指して、総武線の両国駅から、都営大江戸線の両国駅迄歩き乗り換える。  築地市場駅で下車、中央市場前交差点に出て、新大橋通りを歩き、築地市場の入口を探すも、観光客は見当たらず。  新大橋通りに面した所は青果部の仲卸業者売り場で、観光客が詰め掛けるのは別の場所らしいことに気づく。
 通りから通路用の狭い道歩いて、南側の中央卸市場の水産物部の建物に向かう。  築地場外市場の通りに出ると、9号から4号までのお店の棟が並んでいて、沢山ある店の前は何処も長い列が出来ている。  溢れている観光客に眼を見張りながら、4号棟まで歩くと、魚河岸水神社に突き当たる。  神田神社の境内に水神社本殿があり、遥拝所が市場内に建立されている。  神社は1590年に移住して来た佃村・大和田村漁師達が建立した。
 魚河岸水神社から、玉子焼きの築地丸武がある波除通りに出て、右折して進むと、波除稲荷神社がある。  波除稲荷神社の獅子殿に鎮座する、厄除天井大獅子と弁財天社のお歯黒獅子の大きさに驚く。  築地市場の外国人観光客の多さに、日本には、未だ多くの観光資源があることを改めて認識する。  観光客が怒涛の如く押し寄せる波除通りを市場橋交差点に向かって歩く。  築地東通りの露地に入るも、此処でも観光客で溢れている。  晴海通りに出て、築地中通りに入り、再び波除通りへ出る。   波除通りから新大橋通りの市場橋交差点に出て右折し、築地4丁目交差点を過ぎると、右手に、築地本願寺がある。

    築地市場の波除稲荷神社 地図の中央の矢印が波除稲荷神社です      <東京都中央区築地6丁目20にて>
築地市場の風景を、下記の「築地市場」のボタンをクリックして34枚のスライド写真でご覧ください。


 間もなく築地大橋に河口の地位を引き渡す、隅田川に架かる勝鬨橋

 築地本願寺に参拝するため境内へ入る。 築地本願寺はインド様式の石造りの建物で、明暦の大火後、ここの築地に移転した。  本願寺本堂の正面石段下には、ペルシャの彫刻を思い出させるような有翼の獅子像がある。  築地本願寺は1817年に京都西本願寺の別院として創建された。 振袖火事で消失後、佃島の門徒が海を埋め立てて土地を築き再建した。  門徒が土地を築いたのが、築地の知名の由来になった。   築地本願寺では、毎月最終の金曜日に、パイプオルガンのランチタイムコンサートが実施されている。  演奏が間もなく開始されるので、僅かな空席を見つけて陣取る。   演奏が終わり、信徒達が一斉に本堂を出たが、私のような浄土真宗信徒ばかりではないだろう。
 築地本願寺から、晴海通り出て勝鬨橋に向かう。 晴海通りに出ると、左手に法重寺がある。 将に都会の中の典型的なお寺である。  勝鬨橋を歩き、上流の右岸を望むと、オレンジ色の興和住生築地ビルが目立つ。 左に、ニチレイ東銀座ビルが聳えている。  上流を望むと、左岸に月島の町並みが広がり、佃大橋が見える。   佃大橋の後ろに見えるのは、月島の北端に建つ、リバーシティー21のタワービル群だ。  勝鬨橋を左岸に渡り、左岸を下流に向かって歩く、前方に築地大橋が見える。 築地大橋の右岸の右に、東京タワーが見える。  築地大橋は、豊洲新市場の開業に向けて、開通のための工事が進められている。
 行き止まりなので、再び、勝鬨橋に戻る。 勝鬨橋は1940年に開通し、当時は東洋一の可動橋だった。  勝鬨橋は、橋の全長は246m、全幅員は中央径間26.6m、側径間は25.8mである。  勝鬨橋を再び渡ると、右岸に「かちときのわたし」の石碑がある。 渡しは関東大震災後のの開通と共に廃止された。  碑に隣接して、「かちどき 橋の資料館」があるので、入館して隅田川の橋について勉学する。  再び勝鬨橋を渡り、都営大江戸線の勝鬨駅に向かい帰宅に途に付く。

  勝鬨橋 地図の中央の矢印が勝鬨橋です      <東京都中央区築地6丁目にて>
築地本願寺と勝鬨橋の風景を、下記の「築地本願寺と勝鬨橋」のボタンをクリックして45枚のスライド写真でご覧ください。  

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