横浜山手散策      2016年03月22日


   旧内田家の「外交官の家」の北側に広がる幾何学的な庭園

 横浜の山手散策のために、根岸線石川駅の南口から外へ、右手に首都高速神奈川3号狩場線が見える。  右折して、「大丸谷坂」を登ると目の前にイタリア山庭園への石段がある。  石段の上の門には、右側に「山手イタリア山庭園」、左側に「外交官の家・ブラフ18番館」の文字が見える。  門を入ると、最初に、「ブラフ18番館」がある。  ブラフ18番館は大正末期に建てられた外国人住宅である。
 建物は木造2階建てで、1、2階とも中廊下型の平面構成である。  ブラフ18番館は1991年までカトリック山手教会の司祭館として使用されていたが、 平成3年に山手イタリア山庭園内に移築された。 館内は、1993年から一般公開されている。  館内は震災復元期の外国人住宅の暮らしぶりを再現したものである。  玄関ホールを進むと、左手にサロンがあり、窓際にサンルームがある。  窓から、隣の外交官の家の庭園に続く石段が見える。  バルコニーから海を望む、横浜ヘイブリッジが見える。  北東角の部屋の書棚には、私が持っている日本の歴史と同じシリーズの世界の歴史がある。  2階には寝室が3つあり、寝台にはエジブト風のレリーフが見られる。  窓からは、首都高速神奈川3号狩場線の向こうにパークスクエア横浜のビルが見える。
 ブラフ18番館を出て、隣の重要文化財旧内田家の「外交官の家」の庭園へ向かう。  高台のため、横浜ランドマークタワーからマリンタワー迄横浜の市街地が見える。  庭は、イタリア庭園様式の幾何学的な庭園で花が咲き誇っている。  庭園の前に置かれたテラスの椅子で一服してから館内へ。  外交官の家に入るには、南の玄関ではなく、西の裏玄関から入る。  裏玄関から廊下を進むと、左手に食堂がある。  北東角にあるサンルームの窓は大きく、庭の西洋庭園の眺めは素晴らしい。  大客間には、外交官婦人の肖像画がある、右奥に小客間がある。  2階に上がり、主客間の窓際、北東の角のサンルームへ。  高台に立つ外交官の家からは、北側に広がる横浜の市街地が一望できる
 この建物はアメリカ人建築家のJ.M.ガーディナーの設計である。  木造2階建てで塔屋がつき、天然ストレート葺きの屋根がある。  外壁は下見板張りで、アメリカンヴィクトリアン様式で、1910年に渋谷区南平台に建てられている。  ブラハ18番館を出て、山手公園に向かうも道に迷って地元の人に教えて貰う。  山手本通を東に進むと、関東震災後1933年に再建された、山手カトリック教会の前に出る。

    山手イタリヤ山庭園の外交官の家 地図の中央の矢印が外交官の家です      <神奈川県横浜市中区山手町にて>
イタリヤ山庭園を、下記の「イタリヤ山庭園」のボタンをクリックして56枚のスライド写真でご覧ください。



 元町公園の緑を眺めながら食事が出来るエリスマン邸

 教会の前で右折して山手公園に向かうと、左手にフェリス女学院大学がある。  山手公園には「日本庭球発祥之地碑」があり、「横浜山手テニス発祥の地記念館」がある。  公園内にある横浜インターナショナル・テニスクラブは現在まで続いている。  山手公園は「日本最初の様式公園」であることを示す碑や、 日本初のテニスクラブのクラブハウスである「旧山手60番館」がある。
 山手公園の出口北側にフェリス女学院大学がある。 元街小学校の南にある公園坂を下って、山手本通へ出る。  山手本通に面して、フェリス女学院大学6号館、その左に第1別館がある。  元町公園に到着、公園の一角に、旧山手127番館で、木造2階建ての洋館であるエリスマン邸がある。  1階に「エリスマン邸喫茶室」があり、大きな窓越しに本町公園の豊かな緑を眺めながら食事が出来る。   エリスマン邸喫茶室はかつての厨房スペースを利用したものである。  エリスマン邸は1926年にスイス人貿易商エリスマンの屋敷をして建設された。  設計は現代建築の父と云われる、A.レーモンドである。
 エリスマン邸を出て、元町公園へ、公園には西洋瓦の工場があった。  「ブラフ積石垣」と共に居留地時代の遺物である、房州石で作られた石造側溝の「ブラフ溝」が置かれていた。  公園を出て、エリスマン邸の西にあるベーリック・ホールへ。  ホールは、昭和5年にイギリス人貿易商ベーリック邸として建てられた。  スパニッシュスタイルの洋館で、玄関がアーチ型になっている。  玄関のアーチ型、明るい色調の外壁、クローバー型の窓など南欧のイメージを演出している。  近年までセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎だった。  ベーリック・ホールは山手を代表する歴史的建造物の一つで、2002年から一般公開されている。
 ベーリック・ホールを出て、山手234番館へ。 建物の前にある花は満開である。  山手234番館は昭和2年に外国人向けの集合住宅として建てられた洋館、 設計者は朝香吉蔵氏で、1999年から一般公開されている。  間取りは3LDKで、昭和50年頃までアパートメントとして使用されていた。  部屋には山葉オルガンがあった。 我が家にもヤマハピアノがあるが、 山葉寅楠氏が日本のピアノの創始者であることを初めて知る。  山手234番館を出て、北に進むと、横浜山手聖公会教会がある。  教会は大谷石を使ったノルマン形式の聖堂が特徴である。  教会から更に北に進むと、外観が目立つ「山手十番館」がある。 レストラン&カフェである。  山手十番館の前に、40ヶ国、4,500人が眠る「横浜外国人墓地」がある。  交差点に出ると、房州石で作られた「ブラフ積石垣」が眼に入る。  横浜地方気象台の建物を見ながら、みなとみらい線の元町中華街駅へ向かう。

  エリスマン邸 地図の中央の矢印がエリスマン邸です      <神奈川県横浜市中区元町1丁目にて>
エリスマン邸周辺の風景を、下記の「エリスマン邸」のボタンをクリックして47枚のスライド写真でご覧ください。  


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