今日の散策の行き先は増上寺。 浜松町駅北口を出て、大門通りを西に向かう。
国道15号第1京浜線の大門交差点を通り過ぎ、芝大門交差点迄来ると、西側に増上寺大門がある。
右折して北に向かうと、右手に芝大神宮の参道入口がある。
狭い参道を行くと、芝大神宮の真ん中に出る。 東側には、広い表参道が第1京浜から続いている。
芝大神宮は元准勅祭神社で、日枝神社、根津神社とともに、東京十社の一つである。
祭神は天照皇大御神で、関東のお伊勢様と呼ばれている。
創建は1005年の一条天皇の御代で良縁、縁結びにご利益がある。
芝大神宮の五十貫余の力石は力士の金杉の藤吉が片手で差し上げたと云われている。
再び、芝大門交差点に戻り、増上寺大門を潜って三解脱門に向かう。
日比谷通りに面した増上寺の山門の三解脱門を潜ると三つの煩悩から解脱されるという。
この門は1622年の建築で、空襲に焼け残った貴重な建物である。
増上寺の大梵鐘は江戸三大名鐘の一つで、「今鳴るは芝か上野か浅草か」と詠われた。
本堂の大殿には、室町期の阿弥陀如来が祀られている。
増上寺は浄土宗鎮西派で、創建は1393年と云われている
徳川家康の念持仏として有名な秘仏「黒本尊阿弥陀如来」を祀っている増上寺安国殿に参拝し、
風車の列の向こうに東京タワーが見ながら鋳抜門へ向かう。
徳川家墓所の鋳抜門は、旧国宝で、文昭院殿霊廟(将軍家宣公)の宝塔前中門であった。
徳川家霊廟には、秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂の6人が葬られている。
大納骨堂に参拝し、黒漆塗りで黒門といわれた、方丈門から増上寺を出る。
黒門の南に、旧台徳院霊廟惣門がある。 両脇には木造仁王像がある。
木造仁王像は体内から修理札が発見され、
埼玉県戸塚村の西福寺仁王門に安置されていたものと判明した。
惣門を潜ると、芝公園の東エントランスになり、右手に惣門前に構築された水路の石垣石がある。
増上寺の大殿
地図の中央の矢印が増上寺の大殿です <東京都港区芝公園4丁目7にて>
増上寺を、下記の「増上寺」のボタンをクリックして30枚のスライド写真でご覧ください。
芝公園の東エントランスを西に進むと左手にザ・プリンス・パークタワーが見える。
北を望むと、増上寺会館の向こうに、愛宕グリーンヒルズ・モリタワーが見える。
芝公園に入り、日比谷通りの西の広場から西を望むと、右に東京タワーが見える。
公園にある「平和の灯」は広島市の「平和の灯」星野村の「平和の火」
長崎市の「誓いの火」が合わせられた。
芝公園にある、四大東照宮の一つである芝東照宮に参拝する。
四大東照宮とは日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮、芝東照宮である。
次に控えるのが鳳来寺東照宮だろうか。
芝東照宮は1619年に竣工した、家康の寿像を祭祀している社殿である。
神木である銀杏は家光が植えたものと伝えられている。
次は丸山古墳へ、古墳上にある円山随身稲荷大明神は増上寺の裏鬼門に位置し鎮守している。
芝丸山古墳は都内最大級の前方後円墳で、五世紀の築造と見られている。
古墳の上には、虎の像があり、大野伴睦の句碑が見られる。
更に、東京地学協会が、伊能忠敬の功績を顕彰し、建設した測地遺功表がある。
丸山古墳から妙定院前を通り東京タワーへ向かう。
途中で、港区七福神の一つである宝珠院の開運出世弁才天に寄る。
宝珠院の境内には、石像の蛇・蛙・蛞蝓の三竦みが置かれている。
東京タワーへ、「複眼的報道の塔」を見つける。
江戸開府400年、芝公園開園130年を記念したものでソーラー電波時計である。
東京タワーの前の広場では、街頭芸人の猿回しが人を集めていた。
芝公園にある蛇塚は金運のパワースポットとして知られている。
芝公園から愛宕神社へ。 愛宕山トンネルの東側の石段を登って南側から境内へ。
山頂に愛宕神社を祀る愛宕山は標高26mの丘陵地で江戸時代から
信仰と見晴らしの名所として賑わった。
神社正面にある男坂は86段の急勾配の「出世の石段」で、
曲垣平九郎がこの石段を馬で上下したと伝えられている。
明治元年には、勝海舟と西郷隆盛が江戸市中を見ながら江戸城無血開城を話し合った。
愛宕神社の参拝を最後に今日の散策を追え、東京メトロ日比谷線の神谷町駅から乗車して帰路に就く。
芝公園の芝東照宮
地図の中央の矢印が芝東照宮です <東京都港区芝公園4丁目8にて>
芝公園と愛宕山の風景を、下記の「芝公園と愛宕山」のボタンをクリックして37枚のスライド写真でご覧ください。