秋の小諸と上田を訪ねる旅に出る。 先ず、懐古園を目指して、長野自動車道から上信越自動車道を走る。
懐古園に到着。 最初に、懐古園の正門にして象徴である「三の門」が出迎えてくれる。
三の門料金所を通って園内へ。 右手に二の丸の石垣が続く。
石垣の前にある「二の門跡」を通り過ぎると、右手に、二の丸跡に上がる石段がある。
石段を上り、関が原の戦いの時の舞台になった二の丸跡へ。
関が原に向かう途中の秀忠は、上田城攻略に手間取った。 真田親子に足止めされた徳川秀忠は、ここ「二の丸」に逗留した。
来年の大河ドラマ「真田丸」では、真田一族の最大の見せ場になる。
二の丸跡から更に奥に進むと中仕切門跡があり北丸跡と続く。
北丸跡の前にある「懐古射院」の看板は、懐古園の弓道場であった。
現在は弓道場になっている北丸跡の向かい側にある南丸跡へ。 石段前の左手に「鶯石」の石碑がある。
鶯石は、形が鳥に似ている大きな石で、藩主が通ると鳴くとの伝説がある。
南丸跡から更に進むと、黒門橋手前右手に、藩主牧野公が遷座した、懐古園稲荷神社がある。
紅葉谷に架かる黒門橋を渡る。 往時は場内でただ一ヶ所の橋だった。
黒門橋の上から紅葉谷を望む。 秋の紅葉の名所であるが、やや、早かった。
黒門橋を渡ると、黒門跡がある。 黒門は小諸城の一の門で本丸御殿の入口にあった。
本丸の石垣沿いを歩くと、本丸跡の入口に「お駕籠台跡」がある。 本丸跡には、1880年に創建された懐古神社がある。
懐古神社は菅原道真が合祀されていて、天満宮として知られている。
本丸跡には、山本勘助が愛用したと云う逸話が残る鏡石がある。 懐古神社の裏側に周り天守台へ。
前方に、天守閣が建っていた天守台の石垣が見えてきた。 天守台の左側には、馬場が広がる。
此処に建っていた天守閣は三層で、1626年に落雷で消失したと云われている。
富士見台に向かって馬場を歩く。 東屋が建つ富士見台に到着、残念ながら富士山は見えず。
白鶴橋を渡ると、小諸市動物園に出る。
懐古園の二の丸跡
地図の中央の矢印が懐古園の二の丸跡です <長野県小諸市丁にて>
懐古園の風景を、下記の「懐古園 その1」のボタンをクリックして48枚のスライド写真でご覧ください。
動物園から引き返し、水の手展望台へ。 途中に、高浜虚子句碑「紅梅や 旅人我に なつかしき」がある。
武器庫の前に出る、クレムリンの武器庫は凄いが此方は何もないらしい。
途中に、藤村自筆の「千曲川旅情のうた」の藤村詩碑がある。
不明の門跡から展望台まで、長いスロープが続いている。
水の手展望台に到着、前回、21年前の1994年7月2日に訪れた時に一番印象に残った場所である。
展望台からは、逆光の中にぼんやり浮かぶ千曲川が見える。 右手に流れて日本海に注ぐ。
千曲川の上流側には、高さ14.2mの重力式コンクリートダムである、西浦ダムが見える。
展望台のスロープの脇には、「水の手不明御門跡」がある。 酔月橋へ向かう。
酔月橋を渡ると、酔月料金所から懐古園の外を巡る鹿嶋参道に出る。
鹿嶋参道を進むと、紅葉に囲まれた広場に、岩塊が陳列してある。
鹿嶋参道の先には、鹿嶋神社と小山敬三美術館がある。
小山敬三美術館に入館し、彼の作品を鑑賞する。 美術館の前に三角点がある。
小山敬三画伯は小諸出身で文化勲章を受賞した。 美術館の建物は村野藤吾氏の設計である。
現在の懐古園では、小山敬三美術館の周りが一番紅葉が進んでいる。
美術館は千曲川の右岸高台にあり、千曲川が見渡せる。 「眺望百選R木立の間の千曲川」小諸市の標識が立っている。
鹿島神社にも参拝、創建は不明であるが、1590年に仙石秀久が造営したらしい。
境内には、横穴式円墳の蓋石・側壁の一部があり、古墳時代後期のものと云われている。
再び鹿嶋参道を戻り、酔月料金所から再入園し、天守台の石垣へ。
樹齢500年の欅がある。 藤村記念館の前には、島崎藤村の胸像がある。 記念館に入館する。
藤村記念館には、小諸時代を中心とした作品・資料などが多数展示されている。
藤村記念館の近くにある「荒神井戸」は、寛保の大洪水の後に掘られた、城内唯一の井戸である。
三之門まで戻り、懐古神社付属の「徴古館」に寄る。
三之門の正面に掲げられた「懐古園」の扁額は、徳川家達が書いたものである。
国重要文化財に指定されている、小諸城の三の門を最後に、懐古園を後にする。
今夜の宿の信州田沢温泉の富士屋ホテルで、部屋付きの掛け流し温泉と美食を楽しむ。
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